第8話 俺が、自分を変える。

『俺が助けますよ』

誰かの声が俺の脳内でこだまする。

いや、誰かの声じゃない。これは……俺の声だ。でも、俺はこんな言葉を言った覚えがない。

どうにかして思い出そうとするも、いつ、どこで、どうして、こんな発言をしたのか点で覚えてない。

……でも、なんだろう。この言葉を思い出そうとすると、別のものが思い出されていく。何かに、気が付けた様な気がした。何かに、憧れた様な気がした。随分と胸の内がすっきりとした覚えはある。

この言葉は、そんな時に俺が口にした言葉だったはずだ。

「……とにかく、俺は助けるって、約束したんだったな」

この約束が、誰との約束なのかは覚えていない。何を助ければ良いのかも覚えていない。それでも、この約束は果たさなければならない。じゃないと、俺は後悔すると思う。

……何も出来ない、か。先程の俺は、たしかにそう言った。

「いつからだっけ?」

自分の心を偽(いつわ)るようになったのは、いつからだ。

そんな哀(あわ)れな自分を、自分で慰(なぐさ)めるのに慣れたのは、いつからだ。

始点(してん)は分からないが、おそらくあの地獄の二年間は、絶対に関与しているはずだ。

あの全てが敵に思えた時間は、完全に俺を飼い慣らしていた。

他者に受け入れられる事だけを考慮して、自分の心を殺し続けてきた。

やがて俺は、そんな世界に疑問を持たなくなった。

でも――今の俺は、そうじゃない。

「自分には、素直でいたい」

自分の心を無下(むげ)にしなきゃ成立できない世界なんて、俺は望まない。だから、俺が望む世界を作りたい。でも、どうやったって俺だけじゃ世界を変えられない。かと言って誰かが世界を変えてくれるのを待って、誰かに縋(すが)り続けるなんて言うのも俺には許容(きょよう)できない。

――だったら、俺が自分を変えるしかない。

「うん。やってみるか」

可能性がどうとかメリットがどうとか、心底どうでもいいって思える。

俺は、あの女の子を助ける。そうしたいと思ったから、俺は助ける。

行動理由が浅い、そう言われるかも知れない。けど、人が行動を起こす理由なんて、それで十分だろ。

どんな行動理由も、突き詰めればこんな感じの一言で表せちゃうだろ。

みんな、求めすぎなんだよ。

……それにあれだし。俺はこれから、閻魔大王と面会する予定なんだよ。だったら徳のひとつでも積んでかないと、地獄行きになっちゃうだろうが。

俺は一呼吸してから木陰を出る。今ならまだ逃げられると、俺の理性や常識が叫んでいる。それでも、俺は止まらない。

両者の間に元へ近づいていき、徐(おもむろ)に女の子の前に立つ。急に現れた俺に、男も女の子も呆然としている。

「……な、なんだ、お前?」

俺は答えない。短剣を持った男を見据(みす)えたまま、現状を打開する手段を模索(もさく)し続ける。

十中八九。まともに立ち向かえば、素手では刃物に勝てない。格闘技や護身術に精通している者なら、もしかしたら勝てるのかもしれない。だが、俺はただの男子高校生だ。そこは弁(わきま)えておかないと。

「おい、お前は誰だ! その女の仲間か。答えやがれ!」

さすがにずっと無視は相手を興奮させちゃうから危険なのか。どうしよう。自己紹介でもすればいいのかな? それとも急に腕立て伏せとかしてみるか? 確実に意表は突けると思う。

俺が男に対してどう反応するべきか考えあぐねていると、背後からか細い声がする。

「あなた、何をしているんですか。私なら大丈夫です……早く逃げてください!」

 とても小さいのに、良く通る声だった。泣き出しそうな顔色とは裏腹に、声にはいくらかの落ち着きが聞き取れた。俺は首だけを巡らせて、女の子の姿を確認する。とくに目立った傷は見当たらない。

「いや、俺は大丈夫だから。……ふぅーーーー」

 女の子からの話を切り捨てるように終わらせると、俺はできるだけ緩やかに、細くて長い息を吐いてから、行動を開始する。

まず、男を刺激しないように、柔らかい微笑みを浮かべる。次に、俺は友人を見つけた時のような心持ちで、徐々(じょじょ)に男との距離を詰めていく。

「ん……。いやー。なんていうか、穏やかじゃない雰囲気がしたんで……つい?」

声音は努(つと)めて軽(かろ)やかに。足取りは常に同じ速度。可能な限り変な挙動は取らない。

俺は目線を男に向けたまま、のんきに右手で左側のニットの袖を左(ひだり)肘(ひじ)まで捲(まく)る。

ここまでで俺と男の距離が、先ほどの半分になる。

「はあ? 何言ってんだ、お前」

 男は先ほどと変わらず、短剣を構(かま)えている。だが、先ほどまでの殺伐(さつばつ)とした雰囲気は、幾分(いくぶん)かは和らいでいる。

 俺はそれを確認して、さらに歩みを進める。

「……まあまあ、落ち着いてくださいよ」

今度は左手で右側のニットの袖を、のろのろと右肘付近(ふきん)まで捲(まく)る。依然(いぜん)として、俺は男との距離を詰めていく。

やがて俺は、手を伸ばせば男の肩に触れることも難(むずか)しくない位置まで、距離を詰めることが出来た。

俺の目の前には、短剣を構えている男がいる。恐怖で呼吸が乱れそうになる。だが、ここからが正念場だ。

「なんだか今日は普段より暖かい感じですかね。こんなに気温が上がるなら、もう少し薄着をしたんだけどなー。……おかげでさっきから汗が止まんないですよ」

俺は微笑みを崩さないで体重を右脚に乗せ、空を伺うように見る。けれど、常に俺の視界は、男を捉え続けている。

「だから、どうしたんだよ。……てか別に今日は――」

ふと思い出したかのように、男は空を仰ぎ見た。

男の視線が、俺から外れた。この状況を待ち望んでいた。

身体の動作は必要最低限で、体重の乗った右膝だけを動作させる。

それ以外は既に、準備を終わらせてある。袖を直しながらだったけど。

俺は身体を支えている右膝から、一瞬にして力を抜く。俺の身体は少し落下しながら、くるりと九十度ぐらい回転して俺の右半身が男の正面へ向かう。

それと同時に、右の袖を直した時に身体の正面に置いてあった左腕を、肘打ちするように素早く後ろに引いて上半身の回転に勢いを付ける。

同じく右の袖を直しながら、胸の当たりに置いておいた要(かなめ)になる右拳。俺は歯を食いしばって、自分の右拳を下方(かほう)から全力で振り抜く。

俺がしようとしているのはあれだ、俗(ぞく)に言うアッパーカットだ。

欲を言うならば、力が逃げないように身体はまっすぐに構え、しっかりと下から突き上げるように打ちたかった。……俺が中学生の時に閲覧(えつらん)したネットサイトには、確かそう打てとの記述(きじゅつ)があった。部屋にある電気の紐(ひも)で、いっぱい練習していました。

今回のアッパーカットは、かなり不安定な体制で繰り出した。俺は身体が横に回転する力を、無理やり上半身を仰け反らせて縦方向への回転に変換した。その結果、俺の上半身は右拳を振り抜いた時には、地面と平行になるほど仰け反っていた。

男は空を見ているせいで、俺の下方からの一撃に気付いてない。さらに男の顎が、無遠慮(ぶえんりょ)にこちらに晒(さら)されている。

そこへ吸い込まれるように、俺の右拳が衝突する。

「ごぁっ!」

男の首が、飛んだ。いや、やっぱ飛んでない。少し下から見ている俺には、男の首が飛んだように見えただけだった。それぐらい勢いよく、男の頭が動いた。

男は握っていた短剣を落とし、糸が切れた人形のように崩れる。

俺は後方に倒れそうになるのを、なんとか踏ん張って上体を戻す。そのまま少し離れてしまった男の方へ小走りで近づき、落とした短剣を左方(さほう)にある森の方へ蹴り飛ばす。

「……やっ、た?」

当事者の俺でも、驚きを隠せない。あんなにも綺麗に入るとは、露(つゆ)ほども思わなかった。……これは電気の紐で激しく特訓した成果なのか? いや、それはないのか。

「いたたた」

俺の右膝や腰に少しばかり鈍痛(どんつう)が走る。その場で軽く屈伸などをして、身体の調子を確かめていく。右膝や腰の痛みも、直ぐに和らいでいく。

だが、そうでなくては困る。これで終わりじゃないんだ。まだやることはある。カラダもってくれよ!

俺は踵(きびす)を返して、女の子の方へと駆け寄る。女の子はあんぐりと口を開け、呆(ほう)けた様子でこちらを見ていた。……そんな目で見られても困る。

妙な居心地の悪さを感じていると、急に女の子が息を呑み、口早に告げてくる。

「後ろ!」

俺はその言葉を疑問に思い、その真意を確かめようと首だけを巡らしてみる。

「やってくれたな……クソガキがっ!」

ぐでっと倒れていた男が、既に立ち上がっていた。ゆらゆらと佇(たたず)むその姿が、俺の脳内に最大級の警報を鳴らしてくる。

「なっ! ……え、は?」

既に男が立ち上がっている事に、俺は大いに驚いた。だが、それ以上に驚いたのは、男の両手が真紅に燃え上がっていたからだ。

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