第5話 俺にとって、悔いが無い選択。

ここは、何処(どこ)だろう。

暗い。とても暗い。自分が瞼(まぶた)を開いているのか、瞼(まぶた)を閉じているのかさえ不明瞭(ふめいりょう)だ。

そして静かだ。何も聞こえない。自分の吐息すら、聞こえない。

俺は、どうしたのだろうか。上手く思い出せない。

かすかに覚えているのは、俺が真冬の海に飛び込んだ。

自殺行為に他ならない事をした、という記憶だけだ。

どうして俺は、そんな事をしたのだろうか。

……そもそも、俺が海に訪れる前は何をしていたんだ?

たしか、ひたすら走っていた気がする。

それは何故(なぜ)だ?

どうすれば、俺はひたすら走るんだ? 

考えられる可能性としては……何かしらから逃げていた、とか?

なるほど、言われてみればそうだ。俺は逃げていたんだ。

そこまでは思い出せた。じゃあ、俺は何から逃げていたのか。

考える。現状を解明させる為に、俺はひたすら考え続ける。

そうすれば、おのずと答えはでる。

……あぁ、そうか。思い出せた。あんなの、忘れられる訳がない。

俺は、捨てられた。そして俺は現実から逃げて、最終的に海に飛び込んだ。

俺は自殺行為に他ならない事をしたんじゃなくて、自殺行為そのものをしたのか。

となると、ここは天国か地獄のどちらなのか? にわかには信じがたい。だが、この空間には、妙(みょう)な説得力がある。

ここには、何もない。光も、音も、匂いも、感触も、あらゆるものが存在していない。

その理屈も推測ができる。死後の世界には、肉体は存在しないのだろう。

故に、五感で感じられるものは、感じられない。

推測をしていると今更ながらに実感が湧いてくる。

俺は――久瀬(くぜ)広海(ひろみ)は、死んだ。

これから俺はどうなるんだ? 一生こんな感じで、ここに漂(ただよ)っているのだろうか。それは……かなり厳しいぞ。

俺がちょっとした絶望に打ちひしがれていると、何かの気配を感じる。

それは、見えない。でも、勘違いではないと、俺は言い切れる。

俺は感じられる。眼前(がんぜん)に、それはいるはずだ。それは悠然(ゆうぜん)とした気配を配(くば)りながら、ただ俺の前を漂(ただよ)っている。

待って待って、ものすっごい怖いんだが! これはあれか。俺の魂を閻魔(えんま)大王(だいおう)の所に運ぶつもりなのだろうか?

まずいな……俺は生前にそんな徳を積んでいないぞ。強(し)いて言えば、学校の階段で、俺よりも上段にいる女生徒の下着が見えそうになった時に、とっさに視線を逸らし続けてきた事ぐらいだ。閻魔大王はこれで俺を天国に連れて行ってくれるだろうか?

……ええいままよ! うだうだ考えていたって、どうしようもないだろ!

俺は腹を括(くく)って、精一杯の声を絞り出す。

「な、なんだぁ……お前は」

俺の声はガタガタに震えていた。覚悟を決めてこの有様です。だって怖いし!

身を刺すような緊張感にもどかしさを覚えながら、俺は静かにそれの返答を待つ。

「私は……招(まね)く者です」

 それは言った。女性の声だった。ひどく無機質な声で感情は読み取れそうにない。

招く者、か。本名ではなさそうだ。俺には言えない訳でもあるのだろうか? それとも、マネクモノ、か。

俺は反射的に「ずいぶんと奇天烈(きてれつ)な名前ですね」とか言いそうになったが、マジでそれが本名だったら笑えないので止めた。

俺は代わりに、別の事を聞いてみた。

「ここは、どこだ」

 先ほどは死後の世界だと思っていたが、さすがに考えすぎていた。正しい状況判断をするためにも、今は正確な情報が必要だ。

俺が黙考(もっこう)していると、彼女が前触れもなく言った。

「あなたは、死にました」

 随分(ずいぶん)と唐突(とうとつ)に告げられた。けれど、それ程の衝撃は訪れなかった。俺にあったのは納得感だ。

「……まぁ、だよな。真冬の海に飛び込んだんだし。人間が死ぬには十二分か」

「ずいぶんと冷静ですね。……取り乱すと思っていたので、安心しました。」

 相変わらず無機質な声で言う。しかし、付け足された彼女の声音には、初めて感情を感じた。安堵(あんど)したみたいだった。

「それで、ここはやっぱり死後の世界なのか?」

「はい。違いありません」

「なるほど、面白い……。では、お前は死に関係する者。つまり、死神だな?」

 俺は話の主導権を握る為に、ここで一つ攻勢に出てみた。

 死んでしまった俺は、彼女によって死後の世界に招かれた。死んだ者を、死の国に連れてくる彼女。つまり、彼女は死神に違いないね! こんな状況でも、淡々と物事を解明できちゃうなんて、俺はほんと切れ者ですね! 

 彼女からの返答が少しばかり遅い。おそらく、俺の聡明(そうめい)さと状況把握力の高さに感極(かんきわ)まっているのだろう。彼女の驚愕(きょうがく)ぶりを窺(うかが)えなくて、まことに残念だ。

 そんなことを考えながら彼女の返答を待っていると、吐息が漏れたような音と言葉が零(こぼ)れてきた。

「……あ、いえ。私は関係してません」

 彼女は否定した。無機質な声ではなく、少し気まずそうな声音で否定された!

「え……。あ。そ、そうなのね、ふーん」

 何が、なるほど、だよ! あぁ、恥ずかしい! この上なく恥ずかしい! 穴があったら埋まりたいよぉ…… 

 俺が己の失態(しったい)を前に軽く現実逃避をしていると、機械のような温かみの無い声で彼女が話し始める。

「私が招くのは、これからです」

……どういうことだ? 死とは関係ないと言っていたので、閻魔大王の所に連れて行かれる訳ではないのだろう。ならば彼女は俺を、何処に連れて行くんだ?

 俺は疑問を晴らす為に、彼女に問う。

「お前の目的は、なんだ?」

 俺が問いをした瞬間、彼女から悠然(ゆうぜん)とした気配は消え、厳(いか)めしい圧が飛んでくる。

「今から取引をします」

 彼女は否応なしに告げる。

「再び命を得て私の従(じゅう)僕(ぼく)になるのか、悠久(ゆうきゅう)の時をこの無と共にいるのか――」

 それは無機質な声ではなく、異議申し立てを許さない峻烈(しゅんれつ)さすら感じる物言いだった。

「選びなさい」

俺はどっちを選ぶ? 彼女の従僕になって生き返るのか、何もないこの空間にずっといるのか。

どうするべきだ?

俺が状況の判断とどちらを選ぶのか考えあぐねていると、彼女が問うてくる。

「そこまで時間を要する選択ではないでしょう。一度死んだ者が、再び生を得られるのですよ! ……まぁ、自由は保障(ほしょう)しないかもですけど」

 おい。最後に小声でもごもご言っていたけど、俺は聞き逃さなかったよ?

「さあ、疾(と)く選びなさい!」

 ……なんだか彼女の言い分を聞いていると、俺に前者を推奨(すいしょう)しているように聞こえてくる。

「はぁ。わかった。決めたよ」

「よろしいです……ならば選びなさい。生を得るのか、このまま無と共にあるのか!」

 自身の選択が、俺にとって悔いが残らない選択なのか確認する。

「俺は……」

 問題ない。俺はこっちを選ぶ。というか、こっちしかないだろ。

 再び決意を固め、俺は彼女に言う。

「後者でいいよ」

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