第3話 お願い、神様。

「ふう」

本屋で会計を済ませ、店を出た直ぐの所でスマホの画面を開き、時刻を確認する。

ちょうど二時半を過ぎたところだ。

本屋があるショッピングモールを訪れてから、すでに一時間は経っている。

吟味(ぎんみ)した結果、ライトノベルを一冊、SF小説とファンタジー小説の計三冊を購入した。

「あー。早く読みたいな」

柄にもなくワクワクしちゃう!

さっさと受験を終えて、当分は勉学から離れた生活をしたい。

それを実現させる為にも、まずは大学に合格しなければならない。

今から帰宅すれば、家には三時前には着くだろう。十分に勉強の時間はある!

今日は良い感じに、息抜きができた。こんなに気分が良いと意味もなく不安になってきちゃうぜ!

俺はそんな益体もない事を考えながら、足をショッピングモールの出口へ向かわせる。

「ねーえー。今度はいつ会えるの?」

砂糖菓子のように甘ったるい声音(こわね)で懇願(こんがん)する、女性の声が耳に入る。

俺に話しかけている声ではない。俺は一人で買い物にきているので、それは明確だ。

それは分かっている。

しかしながら、俺はそれを聞き流してショッピングモールから立ち去る訳にはいかない。

近くを見回してみても、その声の発生源とおぼしき人間は見当たらない。

普通ならショッピングモールみたいな大勢の人間がいる場所で、特定の人物を声だけで探し出すのは不可能に近いだろう。

だが、今回は例外だ。

俺には特定できる。というかすでに誰の声かは分かっている。

聞き慣れた声だった。あれは俺の母、久瀬美咲(みさき)の声だ。

でも、それはおかしい。

この時間帯は久瀬家の生活を支える為に、俺が通うことになる大学へ払う資金を集める為にも、汗水流して働いているはずだ。

だからこそ、確認をしなければならない。

俺は再三(さいさん)にわたって、自身の付近を矯(た)めつ眇(すが)めつ見渡(みわた)した。

 平日とはいえ、この群衆(ぐんしゅう)はさすがショッピングモールって感じだ。……ったく、煩(わずら)わしいぜ。

「なら来週はいつなのー?」

また母の声が聞こえた。声は左後ろから聞こえてきた。

俺はとっさに首を回(めぐ)らし、自身の後方を確認する。

「……ボールスミス」

そこには若い男性に人気な、ブランドの販売店があった。店の前には、母の姿は見えない。おそらく店舗内(てんぽない)だろう。

「母が男物のブランドに? なんのようが……」

俺は愕(おどろ)きを感じながらも足を進ませて、了見(りょうけん)違いかもしれない母を探す。

母がこの店にいるとして、考えられる話は『気がせいた母が、俺の大学合格祝いを調達している』とか? だが、まだ合否が確定していないのに、祝いの品物を購入していられるほど、久瀬家の経済状況は潤(うるお)っていない。それに、母は俺が大学に必ず合格すると思うほど、楽観的な人間じゃない。

そもそも、先ほどの女らしさ全開の声音(こわね)と内容からしても、この仮定はないのだろう。

「そうなると後は――」

俺は思考がまとまりきる前に、頭(かぶり)を振って思考を停止させる。

案(あん)ずるより産(う)むが易(やす)しという。無駄にあれこれ考えるよりかは、実際に自分の目で見た方が早いだろう。

いつの間にか止めていた足を再び動かす。怪しまれないように手頃な位置にあった、白を基調とした明るい色合いの財布を手に取りながら辺りを伺(うかが)う。

「どこにいるのか……。えっ!」

この財布たっか! 俺が中学から使い続けている今の財布の六倍もたけーよ。思わず値札を高速で二度見しちまったよ。おかげで首がいてぇ。

さすがブランド物だ。

「ほえー……」

感嘆(かんたん)のあまりに間抜けな声が漏れてしまった。いかんいかん。少し取り乱してしまった。冷静になれ。

母に買ってもらうなら、こっちの財布にしよう。値段も一万円でまだ安い方だし、形状はシンプルで色は落ち着いた感じの黒や青でまとめられている……いいな、これ。

「ふぅーーーー。……こんなもんか」

俺はできるだけ緩やかに、細くて長い息を吐いてから、持っていた黒い財布を元の場所に戻す。自分の吐く息が少しだけ揺れていた。

やっぱり、緊張している。だが、己で緊張を認識できるのは、それなりに落ち着けているということだ。

いざという時に取り乱してしまわない為にも、ここは冷静を心がけよう。

最後にゆっくりと深呼吸をして、自身を落ち着かせてから母の探索を再開する。

「ここは外れだったか……」

俺が今いる財布などの小物コーナーには母がいなかった。

次に店の端っこにある、アウター系のコーナーを覗く。

「……いた」

つい声が漏れてしまった。だが、あちらは気付いてないようだ。

母は十六歳で俺を生んでいるので、今年で三十四歳になる。着ているのはスーツではなく、清楚(せいそ)さを感じさせる私服だった。ボーダー柄のトップスに、清涼感を感じさせる白のフレアスカート。その上からベージュ色の長いアウターを羽織っている。肩まである髪は、軽(かろ)やかに巻かれている。

「これなんてどーお? 宗(そう)ちゃんに似合うんじゃない」

「そうかー? 俺はこっちの方が好きだわ」

母の隣には、一人の男性がいた。黒のスキニーパンツ、白いタートルネック。変に明るいキャラメルみたいな色のコートを脇(わき)に抱(かか)えて佇(たたず)んでいる。髪の毛なんてウニみたいにトゲトゲしている。詳しい年齢はよく分からないが、おそらく二十代前半ぐらいだろう。

そんな二人を見ながら、俺はふと思う。

俺は母に駆(か)け寄って、尋(たず)ねるべきなのだと。

平日のこの時間に、何でここにいるのか。仕事はどうしたのか。その男は誰なのか。

他にも色々と質問したいことはある。けれど、俺は足が踏み出せない。

それは母とあの男の空間が、すでに完成しているように感じたからだ。あの二人以外は、あの空間には不要な物なのだと。

一目みただけの俺ですらそれを把捉(はそく)することができた。おそらくあの男は、母にとってかなり親しい地位にある人間なのだろう。俺よりも、ずっと。

俺は知らず知らずのうちに、ため息を漏らしてしまう。

彼はかなり若いが、ゆくゆくは俺の父親になるのかもしれない。すこし……というか、かなり複雑な気分だ。

「なー美咲。これも買ってよ」

俺が変な感傷に浸(ひた)っている間も、我関(われかん)せずと母達の世界は忙(せわ)しなく回っている。

男が黒いコートを眺めながら、母に話しかけていた。

「うーん。……しょうがないわね。買ってあげる」

母は男が眺めていた服を手に取り、買い物かごに入れる。驚いたことに床に置いてある買い物かごには、あふれんばかりの商品が詰め込まれていた。総額で何万円するのか検討も付かない。

男は母が商品を買い物かごに入れたのを確認すると、同時にそそくさと歩き始める。

「んじゃ買い物はこれぐらいにして、そろそろ映画館に行こうぜ?」

それを聞いて母は、床に置いていた買い物かごを持ち上げる。おい宗ちゃん! そこはお前が持てよ!

母はこれがいつもの事だと言わんばかりに、何一つ文句を言わず男の後を追いかけている。

母は自分の右腕にかかる重量の重さに気が付いたようで、心配そうに男に訪ねている。

「こんなに買っちゃったけど……。お金足りるかな?」

「平気だろ。ガキの為に貯めていた金があるんだろ? そっから出せよ 」

男が淡々(たんたん)と、意味不明な妄言(もうげん)を述(の)べた。

……マジでよくわからい。どういうことだ?

「そうね。お金は食事に使いたかったけど……そうする」

母があっさりと、男の妄言を容認(ようにん)する。

「はぁ? ……あ。すぅ……ふぅーーーー」

 俺は考えをまとめる為にも、まずは自分を落ち着かせる。

とりあえず、母は嘘偽りなく、俺の大学費用を貯めていた。とても有難(ありがた)いことだ。感謝している。

けど、そのお金を使っているのは、母とあの男の二人だ。それだと、俺の大学費用はどうなるんだ?

相変わらず理解が追いつかない。俺はその答えを求めるべく、母達の動向(どうこう)をただ眺(なが)めている。

「そういえば……」

男が何かを思い出したのか、急に足を止めて振り返り母に話しかける。

「……美咲のガキはどうすんだよ。そろそろどうにかしろよ。……じゃなきゃ俺は結婚しねーぞ」

男の発言に、俺は身の毛がよだつ。

胸に手を当てなくても、心臓が尋常じゃない速度で脈打っているのが感じられる。いつのまにか体中にじっとりと、不快な汗をかいている。

店に置いてある姿見に映る俺の顔は、悲壮に満ちあふれている。我ながら情けない顔だ。

だが、今は俺の顔面事情なんてどうでもいい。無理矢理にでも母達に意識を向ける。

母は瞑目(めいもく)している。考えているのだろう。男はその様子を見ながら、片足をかすかに揺らし続けている。

しばらくしてから、母が目を開けて言葉を発する。

「……大丈夫よ。広海には大学に通わせないで、就職させるから。それと同時に、家からは出て行ってもらうつもりよ。……宗ちゃんに迷惑はかからないし、これじゃだめかしら?」

 母の言葉を聞いた瞬間、俺の心がすり減っていく。

俺のことを厭(いと)う者が父親になるのを、母は望んでいる。

唯一の肉親にすら選ばれることなく、蔑(ないがし)ろにされて俺は捨てられる。

今回も、俺が信じたものが、俺の心をゆっくりと削り取っていく。

分からない。俺が何をしたっていうんだ。

どうか、神様。

今から誰もが幸せになれる、嘘みたいに素敵な選択をしてみせるから。

お願いだ。……待ってくれ。

――されど、俺の決意や願いなどを、誰も待たないし必要としない。

母達の世界は、より鮮やかに色付いていく。

「まあ……。それなら構わない」

男は母の顔は見ずに、そっぽを向きながら答えた。

「うふふ。ありがと」

母達はどちらからともなく、お互いに手を取り合って歩きだす。

世界に幸せを見つけられたと囁いて教えてあげるように、二人で優しく微笑んで歩き始めていた。


それと並行(へいこう)して、俺の世界は朽(く)ち果(は)てた。

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