第27話 空っぽの勇者 2

「てめぇは……!」


 クレイスが憎悪のこもった瞳を向けてくる。しかし、今そんなものは眼中になかった。

 俺は涙に瞳を濡らす、一人の少女に釘付けだった。


「ルシ……!」

「ほんと久しぶりだな、リアナ。少し背が伸びたか?」


 そんな戯れを口にしていると、リアナは俺を力強く抱擁してくれた。それに応え、俺も強く抱きしめ返す。


「会いたかった、ルシ……」

「俺もだよ、リアナ」


 彼女との悲痛な別離から、約一年半。いや、体感だと何十年も経っているだろうか。

 俺はこうして彼女の声が聞けるのを、こうして彼女を強く抱きしめることを、心の底から待ち望んでいた。

 俺に愛情と勇気をくれた彼女と、ようやく再会出来たのだ。


「てめぇ、何しに来やがったクソ無能力ヴォイドがァ!!!」


 クレイスは拳を振り上げ、俺に憤慨のまま殴りかかってきた。


 ガキィン!


「なっ……!」


 しかし、俺はその拳を、懐に隠していた刀のこじりで弾いた。


「​───薄汚い手を向けてくんなよ、三下」


 俺が嘲るような笑みを浮かべると、クレイスはさらに青筋を立てていった。


「図に乗ってんじゃねぇぞ、カスがァ!」


 クレイスが吠えたてる中、一人の男が椅子を倒す勢いで立ち上がり、同様に激昴を顕にしていた。


「これは、一体どういうことだ.......!!!」






「​─────それはこちらのセリフだ、ルロイド卿」






 教会の扉が開け放たれ、力強い声音が響き渡。


「なっ、貴様らは……!」


 不敵な笑みを浮かべるは、ランク3スリー総壱勇者ファースト・ランカー、アリサ・フレイス。彼女に続き、ルイナ、メイ、ロイスという人の環ファミリーの面々が教会に足を踏み入れる。

 そんな彼らと肩を並べて歩く、もう一人の男。騎士団の紋章が刻まれた羽織りに、真白の仮面。怪しくも威厳のあるその男は、「やれやれ」と愚痴を零しながらアリサ達と共に教会内へと入ってきた。


「あれは、雷紅のアリサ……!」

「それに、あの仮面、まさか……!」


 観衆がどよめきを泡立たせている中、クレイスはさらに憤怒の火口を爆発させた。


「何しに来やがった、てめぇら!!!」

「何をしに、か。心当たりがあるんじゃないか?」

「はァ……?」

「こうしてわざわざ私と、バーネストが姿を見せたのだから」


 バーネスト・シャウゼン。魔族全般の調査から、国内で起きた事件の精査や原因究明などを行う調執騎士団の団長だ。


「全く、団長である私をこんなところまで引き連れてくるとは、君の豪胆さと図々しさは尊敬に値するよ」

「皮肉になってないぞ。それは私の褒め言葉だからな」

「そうかい」


 唐突に入ってきたその異質な集団に、誰もが呆気にとられていた。


「アリサ、さん?それに、調執騎士団の団長まで…………。なんで、こんなところに?」

「俺に手を貸してくれたんだよ」

「え…………?」







 リアナの婚約を聞いた、あの日。気が動転しているところをその場にいるもの全てに諌められた。

 その後、何とか心を落ち着かせてから、俺は彼女達に俺がなぜ王都に来たのかを説明した。


「なるほど……。そういう事だったのか」

「じゃあ、あの時言っていた、成し遂げなきゃいけないことがある、ていうのは」

「ああ。俺はクレイスの野郎から、リアナを連れ戻す。そのために、俺はここまで来たんだ……!」


 俺が自身の固い意思を告げると、アリサさんはふむと一つ頷いた。


「それならば、合点がいくことがある。なぜあのような善良な娘が、薄汚い豪金の風ゴルトウィンドに所属しているのか。ようやくわかった」

「ようやく……?」


 アリサさんのひどく納得したような顔に、違和感を覚える。それほどまでに、リアナを気にしていたのか……?

 そんな疑問を、ロイスが代わりに解消してくれた。


「姉御はああいう真っ直ぐな子が大好きだから、ずっと気にかけてたんだよ。けど、クレイスに遮られて大した接触はできないし、何よりそのリアナちゃんがいつもひどく辛そうな表情をしていたから、心配していたんだ」

「そうだったんですか……?」

「ああ。どうにも裏があるようにしか思えなかったからな」


 彼女はそこで一拍置き、俺に向き直った。その瞳は俺の芯を見通すような、見定めるような力があった。


「それで、改めて聞くが、お前はどうしたいんだ?」

「​──決まってる。リアナを連れ戻す」

「強引に、力づくでか?」

「そのために俺はこの一年半を生きてきたんだ」

「しかし、そんなことをすればお前はただの誘拐事件を起こした犯罪者となるぞ?」

「は……?いや、俺はリアナを解放しようとしているだけで.......!」

「リアナ・リーベルはクレイスのパーティーに入ったことも、おそらく婚約を受け入れたことも、全て合意の上となっている。それらを崩す行為は、立派な犯罪だ」

「………なんだよ、それ!あいつが力と権力で脅してやったことだろ?!なんで俺が糾弾されるんだ……!」

「…………そうしてクレイスに苦しめられたものは、多くいる」

「え?」


 アリサさんはそっと瞳を閉じながら言葉を紡いだ。


「クレイスはそうやって権力と武力を振りかざし、卑劣な行いを幾度となく繰り返してきた。しかし、それらが明るみに出たことは無い。総壱勇者ファースト・ランカーという地位と、ルロイド・ベルムの子息という出自をもってして押し潰してきたからだ」


 彼女はすうっと瞳を開き、その奥に強い光を宿した。


「私も、そして調執騎士団も、いい加減頭にきてたんだ。これは丁度いい機会とも言えるだろう」


 彼女は鋭い瞳のまま、口角を上げた。


「私達がちゃんと舞台を用意してやる。お前が存分にやれるようにな」

「え、本当ですか?!」


 俺はその言葉を聞いて思わずアリサさんに詰め寄ってしまった。対してアリサさんは、「ただし!」と言って俺の眼前に手のひらを突き立ててきた。


「条件がある」

「.......なんですか?」

「それは、言わずとも何となくわかるだろう?」


 彼女は挑発するように、楽しげな笑みを浮かべた。

 それを見て完全に察した俺は、ふぅっと一つ息を吐き、すぐに返答を出した。


「わかりましたよ」

「よし、契約成立だな。​────精々あの無駄に整った顔をコテンパンにしてやれ、無能力ヴォイドの勇者!」






 バーネストさんは懐にしまっていた紙束を取り出し、おもむろに言葉を放つ。


「クレイス・ベルム。君に捕縛状が出ている」

「..............は?」


 クレイスは全く訳がわからないといった表情で、呆けたように口を開けていた。バーネストさんはそれに構わず、紙に目を通しながら次々と言葉を紡ぐ。


「婦女暴行、殺人、脅迫、器物損壊、威力業務妨害.......。これに書ききれない程の罪状が山のように出てきたよ。とんだ極悪人だね、君は」

「なに、言ってやがる.......。俺はそんなことしてねぇ!」

「被害者の証言、第三者の目撃情報、そして痕跡から出た君の魔力残滓。どう足掻いても黒だと思うんだがね」


 言いながら、バーネストさんはクレイスに見えるように紙をこちらに向けた。そこにはクレイスが咎人である証拠がぎっしりと記載されていた。


「なん、だよ、それ.......」

「だが安心したまえ。捕縛状が出ているのは君だけじゃない。豪金の風ゴルトウィンドのメンバーであるオルト・ロスクエル、ディロイ・マルロフも同じく捕縛状が出ている」

「はぁ?!」

「んだとッ!」


 タキシードで観客席にいた二人から怒号が飛んでくる。

 尚も構わず、バーネストさんは何枚か紙をめくり、低い声音でさらにもう一人の名前を上げた。


「そして、​────ルロイド・ベルム。あなたにも捕縛状が出ている」

「な、なんだとッ?!私になんの罪があると言うのだ!」

「王都に収めるべき国税を金額を偽って納税しているね。資料にもちゃんと残っている。加えて、再三忠告されていた領での貧富の格差を無くせという王の言葉を無視し、人権侵害を尚も断行した。地位と権力を利用して婦女暴行に及んだ件数など、数えだしたらキリがない。蛙の子は蛙、といったところかな?あなたも立派な罪人ですよ」

「ば、バカな.......!なぜそのような事が.......!」


 バーネストさんは四人の戦慄した表情に呆れ返るようにため息を漏らした。


「我々も日々激務のため、隅々まで手が回らない時もある。しかし、これほどの蛮行、いつかは明るみに出してやろうと思っていた。その尻尾を最近になってようやく掴んだんだよ。まあ、捕縛状までこれほど早くこじつけられたのは、彼女のおかげだけどね」


 バーネストさんはそう言って、隣の女性に視線を送った。


「今まで口封じされてきた者達に、真摯に聞いて回ったんだ。『本当のことを話してくれ。大丈夫だ、私達が必ず君達の安全を保障する。共にあの悪党共を吊し上げよう』、とな」


 アリサさんは、クレイスと同じ総壱勇者ファースト・ランカーだが、ランクは彼女の方が上のため、権威も必然的にアリサさんの方が強い。加えて、彼女は常に畏怖と憧れを抱かれる存在であり、国民からの信頼は絶大だった。

 クレイスの魔の手に縛られるか、アリサさんの救いの手を取るか。天秤にかけた時、被害者や目撃者がどちらに傾くかなど、明白だろう。


「そして、今ここで最後の一人の被害者の声を聞かなければならない」


 そう言って、アリサさんはリアナに優しくも力強い視線を向けた。瞬間、リアナはビクリと肩を震わした。


「​───リアナ・リーベル。お前は、望んで豪金の風ゴルトウィンドに所属したのか?」

「..............それは」


 明らかな惑いを見せるリアナ。そんな彼女に対し、アリサさんは地が割れるほど重い一歩を踏みしめた。


「この婚約も、合意の上で行っているのか.......!その男と添い遂げることを、お前自身が望んだのか!自分の言葉で真実を口にしろッ!!」


 アリサさんの真に迫る叫声は、教会中どころか、街中にまで響き渡った。その言葉は胸を震わし、心の臓にまでしかと届いてきた。あらゆる苦難を乗り越えたものの言葉だけが持つ、鋼の力。それは固く閉ざされたリアナの心の鍵を打ち砕いた。


「わた、しは..............」


 リアナは瞳を揺らがせ、視線を徐々に下げていく。体は震え、呼吸も乱れている。

 ​────葛藤しているのだろう。この一年半、クレイスに脅迫され続け、磨耗していた心が、彼女から言葉を奪っている。言いたいけど言えない。拒絶したいけどできない。そうやって自分を殺し続けた彼女が、今運命に抗おうとしている。定めの鎖を、懸命に引きちぎろうとしているのだ。

 ならば、俺にしてやれることは、一つしかない。


「​リアナ」


 呼びかけると、リアナは今にでも崩れ落ちてしまいそうな表情で、弱々しく俺を見上げてきた。


 俺に、今出来ること。今までリアナにしてあげられなかったこと。ずっと、俺がしたかったこと。それは​────ただ彼女の傍で、彼女のことを見守っていたかった。それだけだ。


 俺は、幼かった頃と変わらない最高の笑顔で、彼女の縛りつけられた心を引っ張りあげた。


「​────大丈夫だよ、俺がいるから」


 ​彼女の瞳の奥に、心の奥底に、想いが届いた気がした。リアナの鎖が、一気に解かれていく。抑圧された全ての感情が解き放たれ、恫喝により植え付けられた恐怖も、軽く乗り越えていく。


「ルシ.............」


 溢れそうな涙を拭き取り、彼女は再度こちらに視線を向けてくる。そこには宿るのは、希望という光と、業火のような熱い覚悟だった。

 明朗快活で、お転婆で、誰よりも優しい彼女が、ここに戻ってきたのだ。


「やめろ、クソ女ァ!!!」


 クレイスの粗暴な制止の声も、今のリアナには届かない。彼女は大きく息を吸い込み、先程のアリサさんと負けないくらいの声量を解き放った。


「私は、この男達に脅されていました。従わなければお前の故郷を潰すと何度も言われました。だから、私は本当は、こんな男のパーティーになんて入りたくなかった。結婚なんてもってのほか!だって私は、この男も、あのパーティーも、心の底から大っっっっ嫌いだからッ!!!」


 リアナの内に眠らされていた声が轟く。その言葉もまた、人々の心に熱として伝わっていった。長い間苦痛を味わったからこその、リアナの叫び。

 それを聞いたアリサさんは、心底嬉しそうに微笑んだ。


「よく言った、リアナ!それでこそだ!」


 対照的に、クレイスはいよいよ怒りのボルテージがゲージを振り切っていた。


「てめぇ、裏切んのかリアナァ!!!」

「元々あんたの仲間じゃないっての!」


 二人の喧騒を起点として、騒然とし始めた結婚式の会場。そこに、アリサさんの鋭い声音が突き抜けていった。


「クレイス・ベルムを含む四人の咎人よ、大人しくお縄につくんだな.......!」



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