第19話 ハーフエルフ 7

 太陽が瞳を閉じ始め、世界が橙色の鮮やかな光に包まれていく。昼の明かりと夜の暗闇の間に現れる、黄昏時。

 俺とアザカは息せき切りながら森の中を走り抜ける。早く彼女の元へ戻るため、早く彼女を病から解放するために。足を叱咤しながら夢中で駆けていく。


 程なくして、アザカは唐突に立ち止まった。そこで彼女はあの時と同じように手を翳す。すると、結界によって隠れていた家屋が姿を表した。

 それを確認したのち、アザカは飛び込むように家の扉を開けた。


「お母さん.......!」


 俺も後に続いて家の中へと入る。


 ベッドには変わらず、ミシアさんの姿がある。しかし、ここに初めて来た時の無気力的な雰囲気は消えていた。代わりに、彼女は激しい呻き声を上げ、力無くもがいていた。


 ​─────最後は一日中激痛に悶えたあと、命を奪われる


 アザカの言葉が脳に蘇る。一瞬、内臓が握られたように締め付けられた。冷や汗がこぼれ落ち、脳が一瞬真っ白になる。それはアザカも同じようで、完全に身体が固まっていた。

 黒化が進み、肌はほとんど黒に染まる。苦痛に悶え、全身を右往左往と振り回す。

 そんな姿を見れば、誰だってショックを受ける。他人である、俺でさえも。

 しかし、それではいけないとすぐに思い直し、衝撃に停止しそうだった思考と体を無理やり動かした。


「アザカ!」

「..............!」


 彼女は一瞬ビクリと肩を震わした。


「エーレムの葉とサナーレの花だ!早く調合するぞ!」


 俺が彼女に進言すると、彼女は頭を振って何とか意識を現実に戻す。

 そして、こちらに強い瞳を向けた。


「ええ、わかったわ.......!」


 そこからの行動は迅速だった。サナーレの花とエーレムの葉を混ぜ合わせ、二人で調合していく。そして、出来上がったものをすぐにベッドにいるミシアさんの元へ届けた。

 しかし、ミシアさんは時間が経つにつれ暴れるようになり、とても薬を飲む余裕などなくなっていた。だから俺とアザカは何とかミシアさんの体を押さえながら、半ば無理やり薬を服用させた。


 その後、ミシアさんは次第にもがき苦しむような様子は見せなくなり、静かに眠りに着いた。


「.............大丈夫、かな」


 アザカは涙を溜めた瞳でそう問いかけてくる。ミシアさんの呼吸は未だに浅い。落ち着いたとはいえ油断ならない状況だ。

 しかし、これ以上俺達にできることはない。


「今は待とう。ミシアさんが目覚めるまで」


 事が終わったのは、既に夜が深まりきった頃だった。

 さすがに疲れもあり、俺は大人しく家の隅っこに座りながら体を休めにかかる。


「お母さん.......」


 アザカは母の手を一晩中握り、そこから離れることはなかった​─────。






 ちゅんちゅんと、鳥の囀りが耳に届く。窓からは陽光が差し込み、瞼を過剰に照らす。


「ん..............」


 意識がだんだんと覚醒していき、瞳をそっと開ける。そうか、もう朝になったのか。

 雑魚寝してたから腰痛てぇ.......。とぼやきながら体を何度かパキパキと鳴らした。


「おはよう」


 女性の声が響く。


「ああ、おはよ​────」


 普通に挨拶を返そうと、声が聞こえた方向を見やる。

 すると、半分程しか起きていなかった意識が完全に覚醒する。気づけばそこから飛び起き、大声を上げていた。


「ミシアさん?!」


 おはよう、といった声の主は、ミシアさんだった。彼女は上半身を起こし、アザカの頭を撫でながら微笑んでいた。瞳はしかとこちらを映していて、光が宿っている。体中を染め上げていた黒は消失しており、綺麗な肌色を取り戻していた。


「そうか、病が​.......」


 俺は、心の底から安堵した。それと同時に、ベッドに寄りかかっていた少女が喉を鳴らしながら起き上がった。


「ん、んん.......」


 彼女は寝ぼけ眼を擦る。まだ完全には起きていないようだ。


「アザカも、おはよう」

「.......?おは、よう.......」


 彼女は普通に挨拶を返した。しかし、段々と目の前の状況を理解してくると、驚愕に瞳を丸くした。


「おかあ、さん?」

「ええ。そうよ」


 咲き誇る母の笑顔。太陽にも負けぬ輝きを放つそれは、自然とアザカの瞳から涙を溢れさせた。


「お母さん.......。お母さん.......!」

「アザカ.......」


 アザカは母の胸の中に飛び込んだ。ミシアさんは娘を優しく抱きとめる。


 そうか。成功したのか。俺はほっと胸を撫で下ろした。


「私に感謝するんだな」

(はいはい、ありがとよ)


 ルインとそんな会話をしながら、俺は一度家の外へと去っていく。親子の愛を邪魔するほど、野暮じゃない。

 家の中からは、二人の泪に濡れた声が響いていた​───。







 しばらくすると、家からアザカが出てきて、中へと招かれた。


「ごめんね、ルシード君。気を使わせちゃって」

「いえ、大丈夫です」


 ミシアさんは恐縮そうに微笑んだ。ベッドから降りて、今ではちゃんと歩けている。寝たきりだったのが、嘘だったように。


「もう、エルフ熱は治ったんですか?」

「ええ。耳も聞こえるし、目も見える。肌だってほら、綺麗になったでしょ?」


 彼女はお淑やかながらも明るくそう語った。これが本来のミシアさんなのだろう。


「良かった.......」

「これも全部、ルシード君のおかげよ」

「え?」

「アザカに全部聞いたの。私の病を治すために、命懸けで魔獣と戦ってくれたって」


 俺は緩く首を横に振った。


「いえ、そんな大したことはしてません」

「大したことよ。私の命を救ってくれたんだから。本当に、ありがとう」


 ミシアさんはそう言って、深々と頭を下げた。アザカもそれに習い、続いてお辞儀をする。


「私からも。ありがとう、ルシード。あんたがいなければ、今頃どうなっていたか.......」


 こんな真正面から感謝を告げられたことなどないため、あたふたしてしまう。


「い、いや、とりあえず顔を上げてください!俺もアザカに救われてますし!」


 俺がそう言うと、二人は頭を上げ、ミシアさんは首を傾げる。


「どういうこと?」

「魔獣と戦った時、俺は怪我を負ってしまったんです。それも、結構重めの。その怪我を、アザカに治して貰ったんです」

「そうだったの、アザカ?」


 ミシアさんがアザカに問うと、本人は小さく頷いた。


「確かにそうだけど、それは元々お母さんを助けようとして負った傷。私が治すのは当然よ」

「それでも、助けてくれたのは事実だろ?」

「そうかもしれないけど……。いや、そもそもあんたはなんで、そんなになってまで私の手助けをしてくれたの?あんたにはなんのメリットも無いでしょ?」


 確かに、その通りだ。彼女にそこまで尽くす義理は無いし、得もない。かと言って、見返りを期待していたわけでもなかった。

 その上で手を貸した理由。漠然とだが、その答えは胸の内にあった。


「………理不尽な運命に、必死に抗っていたから、かな」

「え?」

「俺もあったからな。自分の力ではどうしようもなくても、何とかしようとしてた事が。けど、結局それには抗えなかった。だから、同じ境遇にいる人がいて、俺の力でどうにか出来そうなら、手を貸したいって思ったんだよ。俺みたいにならないようにってな。あとはまあ、そうだな………。​────俺の知り合いなら、困っている人を見捨てないだろうなって思った。そんだけだ」


 俺はそう言って笑いかけた。すると、二人とも目を丸くしたあと、納得したように一つ頷いた。


「そっか。すごいね、ルシード君は」

「こんな人間、見たことないわ」


 二人には笑みが宿っていた。

 そんなもてはやされるような考えじゃない。言ってしまえばただの自己満足理論なのだから。しかし、それで人にこうして笑顔を与えられるなら、それもいいだろう。

 俺がそう思っていると、ミシアさんが語りかけてきた。


「それで、ルシード君はこれからどうするの?もし予定がないのであれば、この家でゆっくりしてもらいながら色々お礼をしたいと思っているのだけど……」


 彼女がそう言うと、横にいたアザカも二度、三度と首を縦に振る。

 ありがたい提案だった。エルフと交流する機会なんてほとんどないだろうし、色々話しを聞いてみたい気持ちはある。

 ​──​──しかし、俺には他にやることがあった。


「すいません、お気持ちはありがたいんですけど、俺はすぐに王都に行かなくちゃ行けないんです」


 俺はそう言ってきっぱりと断った。いつまでも先送りにしていい問題じゃない。そもそも俺がこうして村を出てきたのは、そのためなのだから。


「だから、お礼などは​───」

「なら、私も行く」


 俺の言葉を遮ったのは、アザカの静かながらも力強い声だった。


「…………え?一緒に行くって?」


 俺が問うと、彼女はこちらに一歩詰め寄ってきた。


「また今日みたいに反動で体を壊した場合、並の治癒魔術では修復できない。けど、私の追憶治癒レミニセンスならすぐに治すことができる。そうして、あんたの役に立ってみせる。それが私の恩返し。どう?」

「どうって………。確かにありがたいけど​───」

「なら、決まりね」

「いや、ちょっと待てって……!ミシアさんは病から治ったばかりなんだぞ?もっと一緒にいるべきだろ!」


 ミシアさんが病によって床に伏せてから、二人とも想像を絶する辛い思いをしていたはずだ。共にいるのに、共有できない互いの痛み。

 それからようやく解放されたというのに、今度は物理的に距離を置くことなんて、するべきじゃない。今まで出来なかった二人の日常を送った方がいい。

 そんな俺の気持ちを察したのか、アザカは後ろへ振り返り、ミシアさんの瞳を見やる。二人は言葉を交わさず、ただただ見つめあっていた。

 それが数秒続いたのち、ミシアさんは一つ頷いた。


「ルシード君。図々しいお願いだとは思うけど、良ければアザカを連れて行ってくれない?」

「え……?」


 予想外の言葉に驚愕する。

 ミシアさんは瞳を細め、なめらかに言葉を告げていく。


「アザカは、私が病にかかってから、ずっと私のことばかりを考えていた。娯楽に興じるでもなく、投げ出すでもなく、ただただ私の病を治すために、色んな手を尽くしてくれた。それがようやく報われて、私をこの通り救ってくれた」


 彼女はアザカに歩み寄り、そっと頭を撫でた。


「もう何にも縛られることは無い。アザカには色んな世界を見て、色んなことを感じて。自分のやりたい事を、やって欲しい。それが、私の願いなの」


 ミシアさんの暖かい言葉に触れ、アザカは再度涙を瞳に溜めていた。それをミシアさんは指の腹で拭い、こちらに視線を向けた。


「アザカが自分から、あなたに恩返しをしたい、と言ったの。なら、私はその考えを尊重するわ。少し、寂しくなるけどね」

「ミシアさん………」


 娘のことを思い、娘の苦労を想像し、何よりも娘のことを大切にする。

 彼女は紛れもなく、人の親だった。


「そういうこと。だから、私も連れていって。ルシード」


 アザカは赤くなった目元を拭い、こちらに向き直る。その瞳には、あの時と同じ決意が宿っている。こうなってしまえば、もう俺に断るという選択肢はなくなっていた。

 俺は一つ長い息を吐き、その後大きく首肯した。


「わかった。じゃあ、これからもよろしくな、アザカ」

「ええ」


 こうして、俺とアザカはミシアさんに見送られながら、家を後にしていった。

 少し寄り道になってしまったが、俺の目的は変わらない。




 さあ、目指すは王都だ​────!




 俺は確かな決意を胸に、再び歩みを進め始めた。




 次章 再会の調べ​



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