第14話 ハーフエルフ 2

 俺とアザカは、深く鬱蒼とした森林の中を進んでいた。いつまでも景観は変わらず、自分がどこにいるのかも定かでは無い。しかし、アザカの足取りに一切の迷いはなかった。さすがエルフ、と言ったところか。

 そうして歩いて行くこと数十分。アザカは不意に足を止めた。


「着いたわよ」

「は.......?」


 そう言われて周りを見渡すが、相変わらずの緑一色で、特に変わったものも見当たらない。どういうことだ?

 俺が首を傾げていると、アザカは何もない場所へと手を翳す。すると空気に水面のような波紋が広がった。そして景観が一瞬ぐにゃりと歪んだかと思えば、先程まで何もなかったはずの場所に小さな家が現出した。


「おー、すげぇ......!結界魔術か?」

「似たようなものよ」


 アザカはそう答えながら、その家へと向かい、扉をガチャりと開けた。


「ただいま」


 アザカは俺といる時よりいくらか柔い声音を出す。そんな彼女のあとをついて行ってていいのか一瞬逡巡するが、アザカのアイコンタクトにより俺は足を進めた。


「お邪魔します」


 俺は一言挨拶し、アザカに続いて家の中へと入った。ログハウス調の家で、家具などは全て木製のものだった。独特な木の香りが漂い、心に安らぎを与えてくれる。質素だがそこには確かな温もりがあった。いい家だな、と安直ながら思った。


 俺が少し失礼かなと思いながらも家を見渡していると、奥の方のベッドに人影が見えた。


「..............」


 金色の髪。蒼い瞳。アザカより長く尖っている耳。息を呑むほどの美しい容姿を持ち、儚げな花を連想させる。

 彼女はベッドで上半身を起こしたまま、ボーッと一点を見つめている。それはまるで人形のようで、生気を感じられなかった。


 アザカはそんな彼女に歩み寄り、耳元で声を出した。


「お母さん、帰ったよ」


 アザカがそう言うと、彼女の瞳が一瞬揺らぎ、その後ゆるりとアザカの方へと首を巡らした。


「ああ、おかえり、アザカ」


 彼女は聖母のように優しく微笑んだ。


「大丈夫、アザカ?怪我とか、してない?」


 言いながら、アザカの母は布団の中にしまっていた右腕を上げ、アザカの顔に手を伸ばす。しかし、上手く腕が動かないようで、アザカの方から頬を近づけた。


「ほら、大丈夫よ」

「ああ、良かった.......」


 母は何度もアザカの頬を撫でた。その、どす黒く濁りきった右腕で───。


「お母さん、今日はお客さんが来てるの」

「お客さん.......?誰かしら」


 アザカはこちらをチラと見て、少し申し訳なさそうに一つ頷いた。俺はそれに対し同じく頷きを返し、できるだけ彼女の近くで声をかけた。


「こんにちは。俺、ルシード・アルティシアって言います」

「ルシード、君?」


 声をかけると、彼女は俺の名前を復唱しながら、こちらに顔を向けてくれた。近くで見たら尚更、美しい顔立ちが目立つ。アザカの母親って感じだ。

 しかし、彼女は微妙に俺と目が合っていない。いや、そもそも、彼女の瞳のレンズに俺の姿が映っていなかった。


「ルシードは、私を山賊から助けてくれたの」

「まあ、そうだったの。ありがとう、ルシード君」

「いえ、大したことではないんで」

「そんな謙遜しないで。本当にありがとう」


 そう言って彼女はゆるりとお辞儀をした。


「あ、自己紹介がまだだったわね。私はミシア・ティルフィード。アザカの母です」


 そう言って、ミシアさんは左腕をこちらに差し出してくる。その腕は、綺麗な肌色をしていた。俺はその握手を快く受けいれる。

 握った手は───あまりにも冷たかった。とても、血が通っているとは思えないほどに。


「そうだ、何かお礼をしないと。何がいいかしら.......?」

「いえ、お気になさらず。俺は大丈夫なんで」

「そういう訳にはいかないわ。私の大切な愛娘を助けてくださったんですもの」


 うーんと唸りながら考え込んでしまう。そんなミシアさんにアザカは声をかける。


「そういうのはあとにして、そろそろ寝る時間よ」

「え、でも.......」

「いいから。起きたあとに考えよう。ルシードもそれまでいてもらうようにするから」

「そ、そう.......?じゃあ、そうしようかしら」


 ミシアさんは体をベッドに預け、布団を被る。


「ごめんなさいね、ルシード君」

「ゆっくり休んでください、ミシアさん」

「ありがとう。アザカも、おやすみ」

「ええ。おやすみ、お母さん」


 その言葉に微笑みながら、ミシアさんは瞳を閉じて眠りについた。規則的な呼吸をしているが、常人より遥かに浅く感じる。


「...........アザカ」


 俺がアザカに呼びかけると、彼女はベッドから離れ、そっと呟く。


「念の為、外に出ましょう」

「ああ、わかった」


 俺達はできるだけ静かに扉を開き、家の外へと出た。穏やかな風が頬を優しく撫でる。

 彼女は俺より二歩、三歩と前に進んだ後、こちらへと振り返る。その表情は翳り、陰鬱としたオーラが漏れ出ていた。


「.......なんとなく、察してるでしょ?」

「まあ、そうだな.......」


 家の中での自然なやり取り。ごく普通の会話を広げていたが、その中には違和感が散りばめられていた。

 どこかおかしい。そう感じてはいても、俺はできる限り平静を保った。あの場で騒ぎ立てるようなことは、決してしてはいけないと思ったからだ。

 老衰か。いやおそらくは、病なのだろう。


「私のお母さん、エルフ熱にかかってるの」

「エルフ熱.......?」


 聞いた事のない病名に、思わずオウム返ししてしまう。


「エルフの種族に突如として現れた奇病で、罹ったものは必ず命を落とすと言われている。治すすべは見つかっておらず、大勢のエルフがこの病に罹った。エルフが希少になったのも、これが原因」


 語る彼女の表情は依然として暗い。エルフ熱。色んな文献を読み漁っていたつもりだが、自分としては初耳だった。


「知らなくても無理ないわ。基本的にエルフは閉鎖的な種族で、人間や魔族と積極的に関わろうとはしなかったから」

「でも、そのエルフ熱ってかなり重い病気なんだろ?だったら人間に知恵を借りた方がいいんじゃねぇか?」


 俺がそう言うと、彼女は緩くかぶりを振った。


「一部の信頼できる医師に頼んでみたけど、大半は奇病に感染するのを恐れて辞退。受けてくれた数人も、揃って原因不明と結論づけたの」

「そうだったのか.......」


 人間の力を借りようとはしたらしい。しかし、結果は芳しくなかったようだ。そんな極々一部の人間のみしか知らないのであれば、一般的に出回っている文献にエルフ熱について記載されていない理由については納得ができる。


「エルフ熱は、徐々にあらゆる感覚機能が衰えていき、肌が黒化していく。そして、最後は一日中激痛に悶えたあと、命を奪われる」

「.......ミシアさんの病気は、今どのくらい進んでいるんだ?」


 俺がそう尋ねると、彼女は唇をキュッと噛み、片腕を強く抑えた。


「もう、長くはないの」


 彼女は零れそうな涙を必死に押し留め、体を震わしている。それはまるで、触れれば壊れてしまうガラス細工のようだった。


「聴力はほとんど残ってないし、視覚に関しては今では何も見えてない。黒化も進んでいて、体も日を追う毎に冷たくなっている。起きてられる時間も、どんどん少なくなってて………」


 彼女は恐怖に身を掻き抱く。


「お父さんが死んじゃって、エルフの仲間もいなくなって。私に残されたのは、お母さんだけなの。私のたった一人の、家族なの.......!」


 アザカは痛みを吐き出すように嘆きを放った。

 自分の親の死。そんなこと、想像したことが無かった。いや、本来親が老衰しだしてから考え始めることだろう。加えて、エルフのように寿命が人間よりも何倍もあるのならば、親の死など最も遠い場所にあるべきものだ。

 それが今、少女の眼前で睨みを効かせている。お前の親は、いつ死んでもおかしくないぞと。

 親が徐々に衰弱していく様を、俺は見ていられるだろうか。病という毒に蝕まれていくその姿を、直視できるだろうか。自分の声が親に届かなくなっていく。自分の姿が親に見えなくなっていく。

 それはあまりにも残酷で、たった一人の少女に背負わせるような運命ではなかった。


「だから、そのお母さんを治すために、万病に効くエーレムの葉を必死で手に入れた……。けど、これでもダメだったら、もうどうしようも……」


 アザカは不安と恐怖に顔を歪ませ、視線を下げていった。恐らく、母を死の呪縛から解き放つため、様々なことを試行していた。希望を持ち、いつか治ると信じて走り続けていた。しかし、一向に治る気配がないため、ついにはエーレムの葉を入手するまでに至る。その姿が、容易に想像できた。

 あのエーレムの葉は、最後の希望だ。それで治すことが出来れば────。


「ああ、ダメだろうな。それでは」


 そんな希望も、一人の少女の声によって打ち消された。


(は?ダメって、どういうことだ?)


 俺は心の中で問いかける。彼女が言葉を発しても俺以外には届かないが、俺自身の声はみなに聞こえる。

 なので、口は閉じたまま胸の内で会話をすることにした。


「エーレムの葉は万病に効くと言うだけだ。その効果は病によって上下する」

(じゃあ、エルフ熱には……?)

「これだけの怪病、エーレムの葉だけでは太刀打ち出来んな」


 ルインは何か含みのある言い方をする。


(何か、あるのか?治す方法が)

「ああ、確かにあるぞ。聞きたいか?」

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