第一章 歯車は回り始める

第12話 新生

 王城付近の一角にそびえる豪奢な屋敷。趣味の悪い金色の装飾品が施されているそこには、豪金の風ゴルトウィンドのメンバーが住んでいた。


「ねえ、リアナちゃん。そろそろ心は決まった?」


 広々としたある一室に、パーティーメンバーが集まっていた。


「俺の両親も承諾したし、年齢的にも問題ない。準備も済ませてある。あとは君が首を縦に振ればいいだけの話なんだけど?」


 私は視線を逸らし、口を固く閉じた。


「全く、いつまでも反抗的な態度ばっかとって。んな事してもいいことないぜ?」

「.....................」


 私はなんと言われようと言葉を紡ごうとはしなかった。


「あれからずっと一緒にいるっつーのに、まともに手も触らしてくれないなんて、男としては生殺し状態なわけよ。こんないい女が、こんなに近くにいるのに抱けないなんてな」


 言いながらクレイスはこちらに顔を近づけ、肩に手を回そうとしてくる。しかし、それを反射的に私は弾いた。


「やめて.......!」


 すると、クレイスは不服そうに眉をひん曲げた。


「ったく。いいか、リアナちゃん。俺は心が広いからリアナちゃんに強引に迫るようなことはしてねーんだぞ?わかってんのか?」

「とか言って、外堀埋めて無理やり結婚しようとしてるくせに」

「前に言ってたもんな。メインディッシュは美味しく頂くために取っておくって」


 クレイスの戯言に、他の男も乗っかり始めた。


「おい、バラすなっつの」

「でも、本当のことだろ?」

「そりゃまあな。夫婦になった暁には、今まで溜まってた分を全部吐き出させてもらうぜ」

「そんときには俺らも呼んでくれよ?」

「仕方ねぇな。お前らには特別に使わせてやるよ。ただし、俺が飽きたあとな?」


 そう言って、クレイスは高笑いを上げた。不快極まりない。下水を覗いているような気分だった。


「つーことで、わかったか?リアナちゃん」

「....................」


 私はクレイスを憎悪のこもった瞳で睨めつけた。


「まあ、どんなに拒んでも君に選択肢なんてないんだけど。大事な故郷を潰されたくはないでしょ?」

「くっ...........!」

「安心しろって。妻っつっても扱いは愛人と大して変わんねぇからよ」


 クレイスは粘ついた笑顔を浮かべ、耳元で言葉を囁いてくる。


「今から楽しみだぜ?俺の手で喘いで、よがって、次第に快感に溺れていく君を想像するとなァ。そうだ、初夜はスペシャルゲストにあの無能力ヴォイド君も呼んでやろうか?きっと、忘れられない一夜になるぜ?」


 瞬間、脊髄を突き抜けるような憤怒が立ちのぼってきた。


「あんたは......!!!」


 私は感情が奮い立つままに、手を振りかぶった。

 するとクレイスは「おーこわこわ」と言いながらすぐに身を引き、攻撃範囲から外れる。


「そう怒るなって。一割ぐらいは冗談だからさ」

「んなことよりクレイス、そろそろ時間だぞ?」

「ん?あーそう言えば、結構いい女引っ掛けたんだって?」

「ああ。あの女ども、まんまと騙されて店で待ってるらしいぜ」

「よし、そんじゃあ行くか。お前ら、また張り切りすぎて女泣かすなよ?」

「クレイスに言われたくねーっつの」


 ギャハハハハハ!と耳障りな笑声をあげながら、クレイス達は部屋を後にしていった。


「.....................」


 感情のやり場がなく、自身の内側でとぐろを巻いている。助けはない。味方もいない。自分にあるのは、最低で最悪な男達の仲間であるという事実だけ。

 悔しくて、情けなくて、許せなくて。それでも、故郷を盾にされたら、何も出来なかった。


「私は、どうしたらいいの.......?」


 拳を爪が食い込むほど強く握る。瞳からは熱涙が流れ、視界がぼやけていく。

 こんな状況がこれ以上続いたら、気が狂ってしまいそうだった。ましてやあんな男と婚約などしようものなら、私はきっと生きていけない。

 己の無力さも、世界の不条理さも、いくら呪えど状況は変わらない。


 汚泥に染まり、醜くなっていく心。それでも、一筋の輝きだけは、今も胸の内に残っていた。


「ルシ............」








♢







 肌を撫でる柔風。雲により見え隠れする太陽。過ごしやすい気候。

 新たな門出の日に相応しい日和だった。


 俺とルインは思い出深い洞窟を抜け、日の元に姿を晒す。すると、入口のすぐ傍で待ち構えているものと目が合った。


「よう、隻眼」


 隻眼の狼。俺がここに落ちて一番初めに会った魔獣だ。


「グルルル.......」


 隻眼は相変わらずの迫力と威厳に満ちた姿で、俺達の前に立ちはだかっていた。

 ここで過ごしていて気づいたことだが、こいつは魔獣の中でカースト頂点に君臨している。道理で他とは違う圧力を感じるわけだ。


 隻眼は俺の方へと一歩詰め寄り、その顔を近づけてきた。


「………………」


 しかし、あの時のように喰い殺そうとはせず、牙すら見せてこない。

 俺はそんな隻眼の毛並みを優しく撫でた。こんな森に住んでいるというのに、何度触ってもふわふわとしていて気持ちが良かった。


「色々、世話になったな」


 この一年を振り返り、感慨深げにそんなことを呟いた。すると、隻眼は俺の服を咥え、そのまま上に軽く放り投げる。そうして打ち上げられた俺の体は、隻眼の背中へと落下した。もふもふの体毛に包まれる。


「うお、なんだ?断球結界ドームの近くまで連れてってくれんのか?」


 俺がそう聞くと、隻眼はこちらを一瞥した。


「………そっか。助かるぜ」

「おい、私を忘れるな」


 そう言いながら、ルインが俺の後を追うように隻眼の背中に飛び乗ってきた。


「私も行くぞ」

「え、見送りに来てくれんのか?ルインがそんなことする奴だとは思ってなかったわ」

「違うぞたわけが。私もお前の旅路についていくと言ったんだ」


 ルインは至極真面目な顔でそう告げた。しかし、そんな話しは初耳だった。


「はぁ?!いや聞いてねぇよ!」

「言ってないからな。そもそも私が傍にいなければお前は何も出来んだろう。今まで通り優しく見守ってやるさ」

「優しく見守るだァ?!人を魔獣の巣窟に放り出して『テキトーに強くなってこい』とか言う奴のどこが優しいんだ!」


 この一年、ルインの指導の元あらゆる訓練をしてきたが、どれもこれも命の危険を伴うものばかりだった。終始こいつは俺を苦しめながら殺そうとしてるんじゃないかと疑っていたくらいだ。

 優しさの対義語がルインだと辞書に乗っていてもおかしくないレベル。


「結果的に全てお前のためになっただろう?」

「結果論じゃねぇか!」

「全く、文句が多い男になったな、ルシードよ。前はもっと丸かったものを」

「あんな毎日送ってたらグレるに決まってるだろうが」

「フッ、まあ良い。話しは戻るが、私にはお前の行く末を見守る義務がある。なにせ、お前をこうして育てたのは私だからな」

「まあそりゃあ、そうかもしれねぇけど………」

「なに、案ずることはない。過干渉はせんさ。それに、姿も晒さん」

「は?晒さないって、どういうことだ?」

「こういう事だ」


 そう言うと、ルインは俺の刀に触れる。すると、ルインは光の粒子となり、刀の中へと吸い込まれていった。


「え、は、え?」


 唐突なルインの奇行に戸惑いが隠せない。俺が首を捻っていると、刀からルインの声が響いてくる。


「こうして基本的には刀と同化してお前を見守ろう。この声もお前にしか届かないようにしているから、安心しろ」

「ほんと、なんでもありだな」

「私を誰だと思っている?魔術王とまで称えられた神だぞ。これくらい朝飯前だ」


 表情は見えないが、勝ち誇ったような笑みが目に浮かぶ。

 俺は一つ深いため息をついた。ここまでするということは、ルインは本気なのだろう。こうなった彼女にはなにを言っても無駄だ。いやまあ、基本的にいつルインに意見しても無駄なんだが………。


「わかったよ。これからもよろしく頼む、ルイン」

「ああ。精々死ぬまで可愛がってやるさ」


 ルインはクスクスと笑った。ルインの同行。これが吉と出るか凶と出るかはわからない。

 そもそもルインは結局、謎が多いままなのだ。俺の姓に何の意味があるのか。なぜこの刀について知っているのか。どうしてルインはここで眠っていたのか。なんで魔術を人に与えたのか。あらゆる問いを投げてきたが、全て自分で答えを見つけろの一点張りだった。


 本当に、それがわかる日が来るのだろうか。あるいは、ルインと共にいることで見つけることができるのだろうか。

 などと考えている間に、隻眼の俊足によって俺達は断球結界ドームの真下までやって来ていた。


「着いたな」

「ああ、そんじゃ、行くか」


 そうして、俺は崖を見上げた。


「………………」

「………………」

断球結界ドームって、どうやって抜けんの?」


 完全に失念していた。ここから崖上まで飛ぶことぐらいはできる。しかし、断球結界ドームがあれば外界へと出ることは出来ない。当然、あの時の穴も塞がっている。

 やべぇなあと思っていると、ルインの大きなため息が聞こえてきた。


「仕方ない。私が手を貸してやる」

「ああ、頼むわ……」

「結局私が同行しなければお前は外にも出られないではないか」


 言いながら、ルインは俺の体に魔術を施した。


「これで結界でもなんでも通り抜けられる」

「へー、すげぇな」

「今回は特別だ。今後は極力手は貸さんからそのつもりでな」

「はいはい、わかった、よっ!」


 俺は言い切るのと同時に、狼の背中から崖の上まで跳躍した。断球結界ドームとは衝突することなくするりと抜けて、外界へと飛び出すことに成功した。


「ふう………。久々の地上ってやつだな」

「何か感想はあるか?」

「あー、まあ特にはなんもねぇな。けど、言わなきゃいけねーことはある」


 俺は後ろへ振り返り、両肺の限界まで息を吸い込んだ。そして、隻眼を含めた魔獣に向けて精一杯の声量で言葉を送った。


「今までありがとなー!!!そのうち戻ってくっから、元気でいやがれよー!!!」


 森林に木霊する俺の声。それに対し、魔獣達は遠吠えなどで答えてくれた。


「よし、挨拶は済んだ!」

「魔獣達を支配するわけでも、根絶やしにするわけでもなく、こうして心を通わせるとはな」

「あいつらは確かにヤバいやつだけど、感情ってもんがちゃんとあったんだ。ただ戦闘兵器として好き放題に使われることに腹を立ててただけで、元はそこらの動物と変わらねーよ」

「そんなセリフを吐けるのは、世界中探してもお前だけだろうな」

「それでいいさ」


 俺は断球結界ドームに背を向け、遠くにそびえる王都を見やる。やはり最初に向かうべきは、全ての中心であるあの場所しかない。


「さて、ようやく始められるんだな」

「ああ。思うがままに生きるがいい、ルシード。ここから新たに始まるのだ、お前の物語とやらがな」

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