第9話 勇者 6

 翌日。僕達はいつも通りクエストを受注した。しかし、それは通常のクエストとは違っていた。

 依頼内容は、断球結界ドームに綻びがないかチェックするというものだ。断球結界ドームとは結界魔術の一つであり、山を覆えるほどの規模を持つ。外界と内界を完全に断絶し、その中には何人なんぴとたりとも立ち入ることはできず、閉じ込められればどんな手段を使おうと外に出ることは叶わない。とはいえ、断球結界ドームは永劫に現界できるわけではない。定期的にかけ直さなければやがて崩壊してしまう。

 それは非常にまずいことなのだ。なにせ断球結界ドームとは、人の力ではどうしようも出来ない災厄などを隔離して封じ込めるもの。

 今回向かっている断球結界ドームは、その中でも最も恐ろしいと言われているものを幽閉していた。

 魔獣。第二次人魔大戦にて魔族が引き連れていた獣達の総称だ。そのどれもが巨大で禍々しく、特級魔族に相当する力を持っていた。魔獣達は魔族の指示のもと、圧倒的な力を振るいながら人間たちを一方的に蹂躙していく。しかし、時間が経つにつれ魔族の指示も聞かなくなり、己が破壊衝動のままに暴れ狂うようになった。魔族も人間もお構い無しに葬って行くその様は、まさに災厄そのものだった。そんな魔獣達に危機感を抱いた人間たちは、なんとか崖下の森林に誘い込み、そのまま断球結界ドームをかけて封印したのだ。のちにそこは、奈落アビスと呼称されることとなった。

 この奈落アビス断球結界ドームが喪失したら、魔獣達が再び外界へと解き放たれてしまう。そのため、一ヶ月に一回は手の空いているパーティーにチェックを依頼しているそうだ。

 そのパーティーというのが、今回僕達だったというわけだ。と言っても、重要ではあるが難しい仕事ではないため、今回はルイナとメイには買い出しなどを頼み、僕とキースとオリバだけで向かうことになった。


 馬車に揺られて、三時間。ようやく、僕達はそこへ辿り着いた。


「ここが、奈落アビス.......」


 森林が生い茂る地帯に、ぽっかりとした穴が空いている。その穴は王都よりも大きく、視界に収まらないほどの広さがあった。穴の下はと言うと、鬱蒼とした森林が広がるばかり。そこにある木々の背は異常に高く、大木が軒を連ねている。そして、その森の中には見たことも無い生物達が蠢いていた。見るだけで背筋が凍える。明らかに地上の生物とはかけ離れていた。あれが、魔獣.......。

 しかし、怖気づいている場合ではない。簡単で報酬が高い分、このクエストは断球結界ドームを一回りしなければならないため時間がかかる。早く始めるに越したことはない。


「じゃあ、早速始めよう」

「…………ああ」

「………………」


 キースとオリバはこちらに背を向け、スタスタと歩いて行ってしまう。今朝からのことだが、キースとオリバの様子がおかしい。気分や体調が悪いのかと思ったが、どうやらそうでは無いようだ。今の二人はなんというか、雰囲気が刺々しい。

 僕はそういうこともあるのだろうと割り切って、なるべく言葉を発さずに淡々とクエストに臨む。

 この断球結界ドームは崖に沿うように貼られているため、必然的にチェックの際に崖下が視界に映る。不気味な鳴き声や足音もそうだが、奈落アビスまでの高さにも恐怖を感じる。この高さなら魔獣もそうそう上がってこれない。逆に考えれば、落ちてしまえば人間など二度と地上に戻って来れなくなるだろう。

 などと考えていると、キースが不意に立ち止まり、断球結界ドームの一箇所に注視した。


「?どうしたの?」

「いや、ここ……」


 そう言って指さした場所には、深いヒビが入っていた。


「これは、そろそろ壊れそうだね。ちゃんと報告しないと」


 おそらくかなり年数が経っているのだろう。劣化により綻びが生じている。範囲は人一人分ほどしかないが、亀裂が複雑に絡み合っているので容易く割れてしまうだろう。


「………なあ、ルシード。ここ、もし割れたらどうなる?」

「え?」


 キースは真剣にすぎる表情でそんなことを問いてきた。いつものキースならそんな冗談は笑いながら言っているため、違和感を感じる。そもそも質問の意図も読めない。

 しかし、別に答えない理由もなかった。


「そうだね。亀裂もここだけだし、壊れたとしても魔獣のサイズじゃ通れない。だから、王都に報告して断球結界ドームをかけ直せば問題ないと思うよ」

「へえ、そうか」


 キースは不気味に口角を上げた。一体何に納得したのだろうか。

 キースは次はオリバの方に視線を向け、言の葉を飛ばした。


「おい、オリバ」

「ん?」

「わかるだろ?」

「え、本気なの……?」

「ここしかチャンスはねえ。やれ」

「………わかった」


 二人の間で交わされる抽象的な会話に、全くついていけない。


「二人とも、一体何を───」


 僕がその言葉を言い切る前に、オリバは何故か大剣を構えた。そして、それを力いっぱいドームに向かって振り下ろす。


「うおおお!」


 いつものかけ声と共に放たれた鈍重な一撃は、断球結界ドームの亀裂部分に直撃した。パリィーン!と甲高い音が響き、断球結界ドームの一部が砕け散る。


「え……?」


 意味がわからない。一体彼らは、何をしているんだ。


「どう、して」

「どうしてって、こういう事だよ……!」


 キースは僕の胸ぐらを掴むと、そのまま断球結界ドームの中へと放り投げた。


「なっ……!」


 わけもわからないまま、断球結界ドームの内側へと身を投げ出される。脳の理解は追いつかず、頭が真っ白になる。しかし本能で危機を感じ取り、何とか手を伸ばした。その手はギリギリのところで崖を掴み、落下だけは免れた。


「キース、どうして……!」


 見上げると、キースとオリバの顔が視界に映る。二人の瞳はどこまでも冷えきっていて、ドス黒い感情が見え隠れしている。


「お前が、邪魔だったんだよ」

「え……?」

無能力ヴォイドの分際ででしゃばって、目立って、活躍して。そんなもんはお前に求めちゃいねぇ。お前はただパーティーの隅っこですごいすごいって言いながら俺達を引き立ててりゃ良かったんだよ。何を勘違いしてんだ?あ゙ぁ゙!」


 キースは僕の手を強く踏みにじる。鈍い痛みが断続的に到来し、腕の力が抜けていく。


無能力ヴォイド無能力ヴォイドらしくしろや!なに人の女に手ぇ出してんだよ」

「手を、出す……?」

「あの日言ったよな、俺はメイに、オリバはルイナに惚れてるってな。それを知った上でてめぇはあいつらをたらしこんだんだ。こんなの裏切り行為にほかならねぇよなぁ!」

「そんな、僕は何もしてない……!」

「うるせぇよ。無能力ヴォイドごときが俺達適性者に逆らってんじゃねぇ!」


 キースの激昴は止まらず、話しなんて通じない。元より相手が対話の意志を全く持っていないのだ。

 ならばと思い、一縷の望みにかけてもう一人の方へと視線を向けた。


「オリバ……!」


 優しく、穏やかな彼ならば、きっとわかってもらえる。

 そう思い声をかけたのだが、オリバの表情は変わらない。まるで、こちらの声など聞こえていないかのように。


「………ルイナちゃんは、僕のものだ」

「オリ、バ……?」

「僕の、僕だけの天使だ。僕だけの彼女なんだ。誰にも、誰にも渡さない……!」


 瞳の焦点は合わず、上擦った声でそう叫んでいた。オリバのどこにも、正気というものが見当たらなかった。


「ああ、オリバ!俺も同じ気持ちだ!こいつは俺達から女を奪った……!これはその報いだ。精々魔獣の餌にでもなってやがれぇ!!!」


 キースはそのまま僕の手を蹴り飛ばした。僕の言葉も、希望も、意思も。全て彼らの一方的な悪意によって、押しつぶされてしまった。

 宙に投げ出された僕は、重力に引かれるまま奈落アビスへと落ちていく。

 落下の途中、キースの笑声だけが、絶えず響き渡っていた────。

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