第7話 勇者 4

 けたたましい咆哮が轟く。鼓膜がビリビリと痺れ、頭に鈍痛が走った。


「な、なんだ……?!」


 その疑問は、すぐに解消されることになる。低い唸り声と共にこちらへと迫る魔族が、一匹。


「あれは、ゴブリンロード……!」


 鋭い眼光に、卓越した牙。人の倍以上の巨体に、青黒い肌を持つゴブリン。手には相応のサイズの棍棒を持ち、筋肉の量も常識外れだった。

 ゴブリンロード。100匹に1匹の割合で生まれるゴブリン。気性の荒さも単純な武力も通常種を大きく上回っており、ゴブリン達は奴をおさに据えて行動することも少なくない。

 階級は、中級魔族。総捌勇者エイス・ランカーが相手をしていい魔族ではない。


「聞いてねぇぞ、あんなのがいるなんて……!」

「あのゴブリンの数の多さは、もしかしてあいつが原因……?」

「とにかく逃げよう、勝てっこないよ……!」


 そう言って逃走しようとするが​───。


「グガアアアア!!」


 ゴブリンロードは標的をこちらに定め、空気を裂きながら疾走してきた。その速度は凄まじく歩幅も大きいため、人間が逃げきれるようなスピードではなかった。

 地響きと共に迫る巨体に、みんなの足が竦む。


「ど、どうしよう、逃げることも……!」

「クソっ、こんな所で!」


 そうこうしている内に、ゴブリンロードは急激に距離を詰めてきていた。

 パーティー内に絶望が走り、恐怖が体を縫い止める。このままではいけない。だが、どうすることもできない。

 迫り来る脅威に、完全に思考を飛ばされていた。ただ一人を除いて───。


「みんな、魔術はまだ使える?」

「え……?」


 僕がそう尋ねると、みんな呆けたような表情を浮かべた。


「ルシード……?」

「倒そう。あいつを」

「はァ?!お前正気か……!」

「いくらなんでもあれを相手にするのは……」

「助けを呼んでも来ない。逃げることだって出来ない。なら、戦うしかないよ」

「……何か考えがあるの、ルシード?」

「うん。上手く行く保証はないけどね」


 僕のこの策に乗ることは、あまりにも勇気のいることだろう。言い出した僕も、不安と恐怖で体が震えている。けど、そうするしか生きる道はない。そう判断したからこそ、僕は進言したのだ。


 一瞬の重い沈黙が流れる。それを破ったのは、意外な人物だった。


「…………わかりました。やりましょう」

「め、メイ?!」

「先程もルシードさんの作戦があったからこそ戦果を上げられました。だから、今回もルシードさんを信じます」

「メイ……」


 メイの手は震えているというのに、言葉は力強かった。そこで、沈んでいた空気が徐々に変化していく。


「まあ、そうだな。今はルシードを信じるしかねぇ」

「うん、僕も乗るよ。その話」

「それじゃあルシード、指示よろしくね!」

「……ああ、やろう!」


 各々の決意は固まり、武器を構える。もう陰鬱とした空気はない。そこにあるのは、戦士としての矜持だけだ。


「ガアアアアアア!!」


 ゴブリンロードは、すぐそこまで迫っている。火蓋が切って落とされるまで、猶予はない。


「メイ!ゴブリンロードの棍棒が地面に付いたら腕ごと凍らせて!」

「は、はい!」


 指示を出している合間に、ゴブリンロードは攻撃射程内まで踏み込んできていた。

 涎を撒き散らしながら、棍棒を振り上げる。落下点は、僕の頭上だった。


「ルシード……!」


 大丈夫。何も真っ向から立ち向かうわけじゃない。

 ゴブリンロードは一気にその棍棒を振り下ろした。よく見て、冷静に対処すれば問題ない……!

 一直線に下ってくる鈍重な一撃。とても鍔迫り合えるものじゃない。ならば、逸らすだけだ。僕は体をひねりながら、鞘の小尻を棍棒に当てる。すると、攻撃点が逸れ、僕の真横を通過する。そして、そのまま轟音と共に棍棒が地面へと叩きつけられる。


「今だ!」

氷弾エイス!」


 僕が合図すると、メイは氷魔術を放ち棍棒ごとゴブリンロードの右腕を凍りつかせる。棍棒は地面と接しているため、実質その場に固定された状態になるのだ。

 この機を逃さず、次の指示を出す。


「ルイナ、矢であいつの両目を潰して!」

「りょーかい!」


 ルイナはすぐさま弓矢を構えた。


分裂弓スプリット・アロー!」


 一つ放たれた矢は分裂し、二つに分かれる。そしてそのままゴブリンロードの目に吸い込まれるように飛来していき、両の目玉を貫いた。


「ウガアアアアア!!!」


 ゴブリンロードの濁りきった悲鳴が空を穿つ。視界を奪えたことにより、動きが鈍るはずだ。


「よし……!キース、ゴブリンロードの足の腱を切断して!」

「おうよ!」


 キースは速度強化クイックを使い素早く背後に回り込むと、足のふくらはぎを切りつける。するとゴブリンロードは体を支えられなくなり、その場に倒れ込んだ。


「オリバ、ゴブリンロードの頭を思いっきりかち割るんだ……!」

「う、うん!」


 オリバは指示を受けると、「うおおおお!!」と勢いづけながら駆けていく。

 この一撃が決まれば、勝利が確定するだろう。オリバの大剣には五人の希望が詰まっていた。

 しかし、相手は中級魔族。そう易々と命は差し出さない。


「ゴアアアアアア!」


 ゴブリンロードに唯一残された最後の攻撃手段。それは、氷漬けされていない左腕だった。オリバの声に反応し、その腕を伸ばしていく。


「オリバ……!」

「危ない!」


 唐突なことだったため、オリバにそれを回避する余裕はなかった。腕はオリバの四肢をもごうと躊躇なく伸ばされる。


 しかし、それを僕は許容しなかった。


「させない……!」


 僕は左腕の側面に素早く回りこんだ。

 こうなることは予測出来ていた。殺されかけている魔族が抵抗をしないはずがない。必ず残った腕でオリバを潰しにかかると。

 そして、視界を奪われているが故に使えるのは聴覚のみであり、ともすれば声を出しているオリバの位置は把握出来ても、無言の僕の位置は把握出来ない。


 ようするに、隙だらけだ。僕は刀を振り抜き、腕の筋肉を深く切り刻んだ。


「アアアアア!!!」


 力無く地面へと落ちていく左腕。これにより、オリバを遮るものは無くなった。


「行け、オリバ……!」

「おおおおおお!!!」


 オリバはゴブリンロードの眼前まで迫り、その猛勢のまま大剣を振り下ろす。元の怪力に筋力強化ストレングスが付加されているその一撃は、ゴブリンロードの頭を叩き斬るのに十分な火力だった。ゴシャア!という鈍い音と共にゴブリンロードの頭蓋骨は真っ二つに割られる。


 それを最後に、そいつが動くことはなかった。完全に事切れたようだ。


「やった……」

「たお、した?あの、ゴブリンロードを……?」


 半信半疑だった思いは、時間をかけて確信にかわり、みんなのテンションは頂点に達した。


「うおおおお!すげええぇ!」

「本当に倒したんだ、私達!」

「あの中級魔族に勝てたんだ!」

「本当に倒すことができるなんて!」


 メンバーの顔に大輪の花のような笑顔が咲き誇る。その喜びを体いっぱいで表現したり、感極まって涙ぐむ者もいた。

 それを見て、僕は大きく息を吐き下した。今は勝利した歓喜より生き残れた安堵の方が大きい。


「それもこれも、ルシードさんのおかげです!」

「え、僕……?」

「そうよ。あんたの作戦が無かったら、私達確実に負けてたんだから!」

「それに、刀の扱いも凄かったしね」

「今回のMVPはルシードだな!」

「いや、僕は何もしてないよ。ただ、魔術が使えない分、他のところで補おうとしただけで……」

「全く、謙遜もすぎると嫌味になるわよ。賛辞は素直に受け取っときなさい!」

「ルイナ……」

「よーっし!今日は祝勝会だ、パーッとやろうぜ!」


 こうして、僕の初クエストは、大勝利によって幕を閉じた。


 この駆け出しダッシュに入るという僕の選択を、一度見直してみる。戦力面で見ればまだまだ荒いところもあるけど、みんなの能力には将来性があった。呼吸もあってきてるし、その内複雑な連携も取れるようになるだろう。何より、和気あいあいとしたこのパーティーの色がとても心地よく、暖かかった。

 改めて思う。駆け出しダッシュに入って良かったと。そして恐らくこれからも、みんなにはお世話になることだろう。

 着実に一歩ずつ進んでいこう。一人でとは言わず、ここにいるメンバーと。そうすれば、いつかきっと総壱勇者ファースト・ランカーにだって手が届くはずだ。

 そう、僕は半ば確信していた。


 しかし、全てはまやかしだったと、僕は近いうちに思い知らされることになる。全く予想外の方向から、唐突な終わりを告げられるのだ。

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