第2話 無能力 2

「うー、悔しいぃ〜」


 リアナは夕食を口に運びながらうんうん唸っていた。


「リアナも十分強かったよ」

「とか言って、冷静に私の攻撃受け流してたくせに……。あーあ、今日こそ勝ちたかったのに」


 リアナはそう言って肩を落とした。僕とリアナは空き時間があればしょっちゅう手合わせをしている。それは実力を上げてみんなを魔族から守るためである。しかしそれと同時に、単純に楽しいからというのもある。

 ちなみに、今のところ僕が負けたことは無い。魔術ありならひとたまりもないだろうけど、剣の腕だけならそうとは限らない。

 無能力ヴォイド故に、魔術は使えない。だからこそ、他の部分で努力しなくてはならない。剣の実力もその一つ。これは僕のささやかな矜持なのだ。


「ははは、お前達は十六になっても全然変わらないな」

「いいことじゃない。つまらない大人になるよりずっと」


 そう言って笑いかけてくれたのは、両親だった。と言っても、本当の両親では無い。僕は捨て子だったらしく、五歳の時に村の入口で倒れていたそうだ。それから、僕はこの村で育てられることになり、リーベル家に引き取られた。

 ではそれまで何をしていたのかと言われれば、全く覚えていなかった。五歳の時ならばある程度記憶が残っていてもいいものだが、何も思い出せない。手がかりと言えば、気づいたら付けていた半月のペンダントだけだった。これが僕の家族に繋がるものの気はするが、判然とはしない。

 それらについてはもやもやとした気持ちが残るが、そこまで気にすることでもなかった。


 だって今僕は、幸せだから。村の人達も、今の家族も、とても優しいし、とても暖かい。僕が願うことと言えば、ただ一つ───。


「それじゃ、食べ終わったら二人共お風呂に入ってきなさい」

「え、ちょ、お母さん!?」

「何よ」

「もう私達十六なのよ?その、一緒に入るとか、そういうのは……!」

「あら、別に一緒になんて言ってないわよ?リ・ア・ナ?」


 悪戯っぽく笑みを浮かべる母に対し、「もう、お母さんのバカァ!!」とリアナは真っ赤になりながら抗議していた。

 そんなやり取りを目の前でされると気まずいというか、少し気恥しかった。


「リアナももうそんなことを気にする年になったのかー」

「そうね。ついこないだまでずっと一緒に入ってたのに」

「もう何年も前の話しよそれは!」


 そう言いながら、リアナは少し荒々しく立ち上がった。


「ごちそうさま!私先入るけど、いい?」

「うん、いいよ」


 確認を終えると、彼女は食器を片付けてそそくさと風呂場へと行ってしまった。


「ふふふ、リアナをからかうのはやっぱり楽しいわね」

「程々にしてやれよ?難しい年頃なんだから」

「あはは……」


 僕はそんな会話に苦笑を浮かべることしか出来なかった。


「まあでも、本当にそんな関係になってくれても、一向に構わないんだがな」

「え、どういうこと……?」

「お風呂も一緒にする仲になってもいいってことよ」


 そう言って、母はこちらにウィンクを飛ばしてくる。最初は意味がわからなかったが、だんだん理解してくると、頬が熱を持ち始めた。


「そ、それって……!」

「ああ。ルシと俺達は家族だが、やはり血の繋がりはない。だからこそ、リアナとは兄弟でもないわけだ。ともすれば、結婚することも可能ということだ」

「け、けっこん?!」

「そうね。どこの馬の骨ともしれない男に取られるより、ルー君に貰ってもらった方が安心できるしね。リアナも満更じゃないっぽいし」


 唐突にそんなことを言われ、こちらには戸惑いしか生まれない。僕は言葉と思考につまってしまった。すると僕の胸中を悟った父が、優しく語りかけてきた。


「若者の恋愛にあれこれ言うつもりはないが、一つの案として考えておいてくれ。もちろん素敵な出会いをしたなら、それはそれで大いに祝福するさ」

「う、うん……」


 そんな会話で夕食の時間は終わり、一通りの洗い物と片付けの手伝いをした。その後風呂、狩りの道具である刀の手入れ、明日の支度などを済ませる。

 そうして、夜の闇が完全に深まったところで、毛布にくるまり灯りを消した。就寝の時間だ。


「……………」


 今日は畑仕事をしたり手合わせをしたりで、体は疲弊しきっていた。だというのに、あまり眠気が襲ってこない。目を閉じれば、夕食時の会話が反芻される。

 結婚。もうそんな話しが出るほど、歳を重ねていたのか。しかし、あまり実感は湧かない。それに、リアナと、結婚……。リアナと……。


 僕がそこで様々な思いを巡らせていると、コンコン、と扉がノックされた。


「ルシ、起きてる?」

「うん、起きてるよ」


 そう返事をすると、先程まで僕の頭の中を駆け巡っていた張本人が現れた。リアナは寝巻き姿で布団を抱えている。


「どうしたの、リアナ?」

「あ、えっと、なんというか、その…………。そう!部屋に虫が入ってきたの!だから避難してきた、というか……」


 リアナにしては妙に歯切れの悪い喋り方だった。それに、暗闇でもわかるくらい顔が火照っている。


「リアナ、虫苦手だったっけ?」

「う、うん、まあね」

「じゃあ森に逃がしてきてあげるよ」

「えっ!いや、それはいいかな!」

「?どういうこと?」


 リアナが拒否する理由がわからない。


「…………今日、隣で寝ていい?」


 顔を布団に埋めながら、弱々しい声音でそう言った。ドクン、と一つ鼓動が鳴る。恥じらいながら顔を真っ赤に染める彼女は、いつになく色っぽい。

 僕は乾ききった口で、何とか言葉を紡ぐ。


「うん、いいよ」

「……ありがと」


 リアナは短く礼を言うと、僕の隣にそっと布団を敷いた。そして、僕とは反対の方向を向いて毛布にくるまる。


 静寂が舞い降りる。耳に届くのは、木々の微かなざわめきと、矮小な虫の声。そして、リアナの呼吸音だけだった。

 眠気は完全に覚めて、むしろ動悸が激しくなっている。

 僕がドキマギしながら目を瞑っていると、リアナが言葉を紡ぎ始めた。


「昔はよく、一緒に寝てたよね」

「そう、だね」


 リアナとは、お風呂も、寝る時も一緒だった。しかし、いつしかお互いが成長し、気恥ずかしくなってきた頃から、自然とそういうことは無くなった。

 だから、こうして同じ場所で就寝するのは、数年ぶりだった。


「十六歳か……。時間が経つのは早いね」

「うん。正直、あっという間だった」

「もう子供じゃない。子供じゃいられないんだよね。これからのこと、自分達で決めていかなきゃいけない」


 リアナは囁くように告げる。大きな声音は出していない。むしろかなり小さいというのに、その一言一句はハッキリと聞こえてくる。


「ルシはさ、将来何かやりたいことある?」

「将来?将来、か………」


 自分が何をやりたいか。何をしたいのか。考えたことがないわけじゃない。けれど、結論が出た試しはない。

 それはおそらく、現状の全てに満足しているため、目指す場所がないからだ。悪くいえば向上心がないということになるが、良くいえば恵まれている。だから、僕の将来は既に決まっているようなものだった。


「僕は、この村で生きていくよ。僕の命を拾ってくれた恩も返しきれてないし、何より僕は、ここが好きだから」

「………そっか。ルシらしい考えだね」

「そう言うリアナは、どうするつもりなの?」


 僕がそう聞き返すと、少しの沈黙のあとに答えが返ってくる。


「私は、村を出ようと思ってる。ギルドに所属して、勇者になって、もっと色んな人を助けたい」

「……リアナらしいね」


 彼女がどうしたいのか、何となく察しはついていた。僕個人の見解でも、リアナはこの村に留まっていていい人材では無い。もっと広い世界に出るべきだと思っていたから、彼女の選択に驚愕も批判もしなかった。

 ただ少し寂しくなるな、と思っていると、彼女は再び口を開いた。


「…………あの、さ」

「ん?」

「ルシも、一緒に来ない?」

「え、僕も?」


 それは、全く予想外の提案だった。


「うん。ルシがいてくれると安心するっていうか、一緒にいて欲しいっていうか……」

「リアナ……?」

「さっきの話し、聞いちゃってさ」


 え……?さっきの話しって。


『ルシと俺達は家族だが、やはり血の繋がりはない。だからこそ、リアナとは兄弟でもないわけだ。ともすれば、結婚することも可能ということだ』


 父の言葉が、頭の中で反芻される。リアナは、あの時の会話を聞いていたらしい。瞬間、燃え上がるように頬が熱くなった。


「───ねえ、ルシ。あんたは、私の事どう思ってるの……?」


 震えるような声音で、リアナは問いを投げてきた。

 心臓がバクバクと音を立てる。呼吸も自然と慌ただしくなる。体温は急激に上昇していき、汗まで出てくる始末だった。


 リアナのことをどう思っているか。おそらく、いや確実に普遍的な問いでは無い。リアナは幼馴染みとしてでも家族としてでもなく、一人の女の子として、問いを投げているのだ。

 この回答には、大きな意味がある。僕達の中で決定的な何かが変わるだろう。


 それら全て踏まえた上での、僕の答えは────。


「僕は、」

「───いや、やっぱりいい!」


 意を決して発しようとした僕の言葉は、問いをした張本人にもみ消された。


「ごめん、変なこと聞いて。おやすみ!」


 そう言ってリアナは毛布を頭まで被ってしまった。僕はそんな言動に対し、呆れと安堵の混じったため息をついた。

 その後、二人の間に会話はなかった。あの時、僕の声が遮られなかったら、今頃どうなっていたのだろう。

 わからない。しかし、自分の中にはっきりとした答えは一つだけある。リアナとの関係がどうなるにしろ、僕の願いはただ一つ。


 みんなが、幸せでいられますように───。

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