第7話:お父さんは心配性Ⅲ【後編】
※
ロイドは一日の仕事を終え、重い足取りで家路を辿る。
レイモンドとリッキーがアルカに教えた言葉は軍人としてはともかく、父親としては容認しがたいものだった。
教育のためとは言え、アルカを叱らなければならない。
その事実が重くのし掛かる。
「……ただいま」
「あなた、お帰りなさい」
家に入ると、ローラが食堂からひょっこりと顔を出した。
テンが足下をうろちょろしている。
「すぐにご飯の準備をするわね」
ローラはそう言って顔を引っ込める。
ロイドは尻尾を振りながら近づいてきたテンの頭を軽く撫でる。
制服のボタンを外しながら食堂に入ると、アルカは自分の席でカップを傾けていた。
さて、どう切り出すべきか。思案しながら自分の席に着く。
「……お帰りなさい」
アルカはカップを口から離した。
口の周りが白くなっているので、温めた牛乳を飲んでいたのだろう。
「アルカ、今日は訓練をしたのかな?」
「……今日はしてない」
いや、訓練じゃなくて、とロイドは心の中で自分に突っ込む。
「そ、そうなのか。実はレイモンドとリッキーが街でアルカに話しかけられたと言っててな。お父さんは少し心配だったんだ」
「……取材をしていた」
取材、と口の中で呟く。
これほど六歳児に似合わない言葉があるだろうか。
三十六年生きているが、ロイドは取材の経験などない。
精々、聞き込みくらいだ。
「あ、そうなのか」
「お待たせ」
何と言えばいいのか考えていると、ローラが料理をテーブルに置いた。
そのまま自分の席に座る。
「今日のスープは具が大きいな」
「アルカが切ってくれたのよ」
そうか、とロイドはアルカが切った野菜を口に運ぶ。
「ところで、何の取材なんだ?」
「……真に迫った演技をするには取材が不可欠だと思う。即ち、メソッド演技法」
何を言っているのか分からない。
ロイドが救いを求めて視線を向けると、ローラは小刻みに首を横に振った。
どうやら、ローラも意味を分かっていないようだ。
「……設定を煮詰めてくる」
アルカはテンを抱き上げると食堂を出て行った。
「あなた、アルカに何を言ったの?」
「なりたい自分を演じるようにアドバイスしたんだが……」
「どうして、それで取材と演技の練習を始めるのかしら?」
ローラが深々と溜息を吐いたその時、二階から声が聞こえてきた。
いつもよりかなり低い声だ。
「発声練習かしら?」
「俺に聞かれても」
顔を見合わせて溜息を吐く。
「アルカが目指してるのは軍人よね?」
「ああ、そのはずだ」
アルカなりに考えているのだろうが、見当違いの努力をしているような気がする。
と言うか、予想の斜め上を行かれた。
※
翌日、ロイドが部下と共に巡回していると、アーネストと出くわした。
誘拐事件の事後処理で顔を合わせたきりだから、一ヶ月ぶりになるだろう。
「アルカのお父さん」
「ああ、アーネスト君か。どうだい、あれから?」
アーネストは困ったように眉根を寄せた。
「戦闘訓練の時間になると泣き出す子がいて、元通りになるには時間が掛かりそうです」
「アーネスト君はどうだい?」
「僕はアルカが守ってくれたから大丈夫です。本当は僕がアルカを守らなきゃ行けなかったんですけど……いつか守れるようになりたいな」
アーネストは照れ臭そうに微笑むと手の平を見下ろした。
そこには無数のたこがある。
自分の無力さを痛感して強くなろうとしているのだろう。
大丈夫だ。
きっと、彼は強くなる。
「そう言えば、アルカはどうしたんですか?」
「どうしたって?」
とても嫌な予感がした。
「あの、言っていいのかな? 昨日、アルカがうちに遊びに来たんです。それでうちのメイドをじっと見てて……理由を聞いたら取材だって」
「迷惑だったかな?」
「いえ、凄くウケがいいです。礼儀正しくて、可愛いって」
アルカは僕と同類だと思ったのに、とアーネストは小さく呟いた。
「メモを取ったり、メイドの着ている服をスケッチしたり、アルカは凄いです。僕も頑張らないと」
アーネストは拳を握り締めた。
「ところで、アルカは何を目指しているんですか?」
「……軍人」
ボソリと呟くと、アーネストは驚いたように目を見開いた。
「ああ、お母さんみたいな護衛騎士を目指しているんですね。そっか、アルカは今から将来のことを考えてるんだ」
アーネストは寂しそうに言った。
ロイドに本当のことを伝える勇気はなかった。
勘違いにせよ、一人の少年に刺激を与えているのだ。
「じゃあ、僕はこれで」
アーネストはそう言って走り出した。
頑張るぞ! と拳を突き上げる姿は――名状しがたかった。
「……人間は自分でも気付かない内に他人に影響を与えているんだな」
ロイドは空を見上げ、しみじみと呟いた。
※
一週間後――アルカが何かやらかすんじゃないかと心配していたが、結果から言えば杞憂に終わった。
取材と発声練習を優先するあまり武術の訓練を疎かにしているのはご愛敬と言うべきか。
武術の訓練はどうするつもりなんだろう? とロイドはベッドの中で考える。
もう一眠りしてから考えるかと目を閉じたその時、扉の開く音が聞こえた。
ローラが起こしにきたのだろうか。
「イエーーイ! 父さん! 朝だぜ! 起きろ!」
ボン! と腹部に衝撃。
「おわッ!」
びっくりして体を起こすと、誰か――アルカがベッドから転がり落ちた。
とても痛々しい音が響いた。
「痛ぇぇぇぇぇッ!」
アルカは体を起こし、床の上で胡座を組んだ。
ロイドはポカンと口を開け、アルカを見つめた。
「父さん、アホみたいに口を開けてどうしたんだよ?」
「あ……」
アルカは立ち上がり、後頭部に触れた。
「うおっ! たんこぶができてる!」
「え?」
理解が追いつかない。
ここは自分の家で、目の前にいるのはアルカのはずだ。
白髪、黒瞳、顔立ちもアルカそのものだ。
ただ、いつもより声が低く、目付きがシャープになっていた。
「アルカ、さんですか?」
「当たり前じゃん。こ~んな可愛い娘が二人といる訳ないじゃん?」
自分は夢を見ているのだろうか。
それとも、今までのことが夢だったのだろうか。
分からない。
「さっさと起きて、訓練を開始しようぜ!」
アルカはそう言って拳を二度、三度と突き出した。
「待て、アルカ」
「そりゃ、待つけど」
アルカは困惑したように眉根を寄せた。
「その言葉遣いは? ああ、いや、いつものように話してくれ。混乱してるんだ」
突然、アルカの表情が変化する。
まるで人形になってしまったかのような変化だ。
変身といっても過言ではない。
「……取材の結果。少し待って欲しい」
アルカは寝室から出て行き、分厚い紙の束を抱き締めて戻ってきた。
ベッドに歩み寄ると、紙の束をロイドの太股に置く。
「……理想の私、第一案」
「やけに分厚いな」
紙を捲り、目眩を覚えた。
そこには詳細に作り込まれた設定が記載されていた。
話し方から行動のパターンまで書かれている。
ふてぶてしく笑うイラストまである。
「……次、第二案」
「こっちも分厚いな」
紙を捲り、小さく呻く。
第一案と同じく詳細な設定が記載されている。
眼鏡を掛けたメイドのイラストがあった。
「……第一案は悪人になりきれない不良娘、第二案は淡々と仕事をこなす怜悧なメイドという設定。メイドは小道具の眼鏡とスキルが足りていないので、しばらくは使わない」
「こういう意味で言ったんじゃないんだが」
予想の斜め上どころか、天井を突き破られた。
「……この設定で頑張りたいと思う」
「いや、ああいう話し方はどうかと思う」
アルカはページを捲り、ある部分を指差した。
「……第一案はちょっと乱暴な言葉遣いをしながら父親を尊敬しているという設定を盛り込んである。第二案は甲斐甲斐しく尽くすという設定。スキル関係は実際に身に付くか分からないので、仮としておいた」
「ああ、そうなのか」
何と言えばいいのだろう。
世の父親はこんな難題を乗り越えているのだろうか。
軌道修正を図るのは容易ではない。
「それにしても、アルカは流暢に話せたんだな」
「……む」
アルカは小さく呻き、考え込むように押し黙った。
「私は話すことが苦手な訳ではない。色々と考え込んだ結果として会話をする時にタイムラグが生じる。お父さんやお母さんに心配を掛けて申し訳ないと思うけれど、大目に見てくれるとありがたい」
アルカは流暢な言葉遣いで言った。
「……という訳で再開する」
アルカは目を閉じる。
そして、再び目を開くと、雰囲気が一変していた。
「イエーイ! つー訳で、テンと一緒に走り込みに行ってくるぜ!」
「その『イエーイ』は何なんだ?」
「多分、魂の叫びみたいな感じじゃね? 考えるな! 感じろ! ヒャッハー!」
アルカは寝室を飛び出した。
廊下で待っていたテンを抱き上げ、バタバタと階段を下りる。
ロイドはこめかみを押さえながら食堂に向かった。
食堂に入ると、ローラがテーブルに食事を置いていた。
「二日酔いの朝みたいな顔をしてるわよ」
「アルカがイエーイって言いながらベッドにダイブしてきたんだ。心臓が止まるかと思ったよ」
自分の席に座り、深々と溜息を吐く。
「元気なのはいいんだけど、ああいう元気のよさは考えものよね」
「はっちゃけ過ぎだろう」
夫婦揃って溜息を吐いた。
数分後、二人は息も絶え絶えになって戻ってきたアルカを見つめ、再び溜息を吐くのだった。
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