第7話:お父さんは心配性Ⅲ【前編】
※
テーブルの対面にはアルカが、右の席にはローラが座っている。
ちなみにテンは床で肉入りのパン粥を食べている。
久しぶりの一家団欒――そのつもりだったのだが、アルカは微妙に深刻そうな表情を浮かべている。
見れば肘に擦り傷がある。
転びでもしたのだろうか。
そんなことを考えていると、アルカは口を開いた。
「……私は才能がないかも知れない」
「藪から棒にどうしたんだい?」
「ほら、少し前に士官学校を目指すって話をしたじゃない」
事情が分からずに問い掛けると、ローラがフォローに入った。
「それで戦い方を教えて欲しいって言われたのよ」
「そいつは早すぎるんじゃないか?」
少なくともロイドは六歳の頃に戦闘訓練なんてしていなかった。
まあ、手製の木剣片手に戦争ごっこはしていたが。
「私もそう言ったんだけど、今から努力しないとアーネスト君みたいな精霊術士に差を付けられる一方だって言うのよ」
ローラは困ったように眉根を寄せた。
言われてみれば精霊術士は小さい頃から精霊術を扱う訓練を受けている。
「随分、計画的なんだな」
「ちゃんと現実を見据えているのよ。流石、私の子ね」
ローラは誇らしげだ。
子どものいる部下の話では六歳児はもう少し――誤解を恐れずに言うのならば馬鹿っぽいはずなのだが、何処をどうしたら九年後のことを見据えられるようになるのだろう。
やはり、アルカはローラの血を強く引いているのかも知れない。
「だから、今日は剣術と体術を教えたんだけど、上手くできなくてちょっと落ち込んでいるのよ。すぐに泣くし」
「お前は何をしたんだ?」
我慢強いアルカが泣くなんて、ローラは何をしたのだろう。
「そんな目で見ないで。剣の扱い方と殴り合いの仕方を教えて、軽く組手をしただけよ」
「組手? 初日から?」
「ええ、私の圧勝だったわ」
ローラは自慢気だ。
現役を退いたとは言え、皇后の護衛騎士だ。
アルカが泣くのも当然だ。
「大丈夫だったか?」
「……大丈夫」
アルカはコクコクと頷いた。
「……二つ、学んだことがある」
「何を学んだんだい?」
「……武術は暴力なのだと学んだ」
「ああ、いや、それは、どうなんだ?」
いきなりそこに辿り着いてしまうのはどうなのだろう。
それ以前に何をしたら六歳児にこんなことを気付かせることができるのか。
「……あと、しっかりと技術を身に付けないと怪我をすることに気付いた」
「木剣で自分の
ローラは憐れむような目でこちらを見ていた。
「……申し訳ない」
「アルカのせいじゃないわよ」
じゃあ、誰のせいですか? 俺のせいですね。はい、分かります、と頷くことはできない。
このまま認めてしまったら駄目な父親だと思われてしまう。
それだけは絶対に避けなければならない。
「アルカさえよければ、お父さんが教えてあげるぞ?」
「……む」
アルカは小さく呻き、ロイドとローラを見比べた。
二日目で先生が替わるのはどうかと考えているのかも知れない。
「そんなに深刻に考えなくてもいい」
「……お父さんとお母さんの仲が悪くなるのは避けたい。些細な擦れ違いから仲が拗れるのはよくあること」
もっと深刻なことを考えていた。
「アルカは何処でそんなことを覚えてくるんだい?」
「……夢の中」
「夢の中?」
アルカはコクコクと頷いた。
一体、この子の頭の中はどうなっているんだろうと思わなくもない。
「……今は見ない」
「不思議なこともあるんだな」
相槌を打つだけで精一杯だ。
「じゃあ、夢の中で武術の修業を積めばいいんじゃないかしら?」
思わずローラを見つめる。
自分が踏み込めない領域にズカズカと踏み込んでいくスタイルは真似できそうにない。
「……無理」
「どうして?」
「……夢の中の私には武術の経験がない」
「それじゃ、仕方がないわね。現実で武術を覚えましょ」
ローラは華麗にスルーした。
「あなた、明日から頼むわね」
「「え?」」
ロイドとアルカは同時にローラを見つめた。
「アルカの訓練のことよ」
「……それは分かっているんだが」
明日からとはどういう意味なのか。
状況的に自分がアルカに武術を教えるということは分かるのだが――。
「よろしく頼むわね?」
はい、とロイドは頷いた。
※
ロイドの出自を辿ると東国の戦士階級に行き着く。
何でもご先祖様は大冒険の末にロックウェルに定住することを決めたらしい。
どうして、大冒険をしたのか。
それは修業――旅をしながら武術の腕を磨こうとしたからだ。
わざわざ海を越えることに何の意味があるのか理解できない。
だが、調べてみると修行のために東国から渡ってきた者はチラホラいたりする。
修業のために旅をするのは東国の戦士だけかと言えば違う。
昔の帝国人も修業のために旅をしている。
もしかしたら、戦士は行き詰まると旅に出たくなる生き物なのかも知れない。
まあ、何処か遠くに行きたいという気持ちは分からなくもない。
ともあれ、ご先祖様の武術は受け継がれてきた。
正直、アルカに教えるつもりはなかったのだが、いざ教えるとなると少しだけ興奮する。
「……う~ん」
ロイドは庭で素振りをするアルカを見つめて唸った。
何と言えばいいのか。
素振りをしているはずなのだが、動きがとんでもなくギクシャクしている。
たとえるなら木剣を使った不思議な踊りだ。
棒に踊らされていると言うべきかも知れない。
「あぐぅッ!」
突然、アルカが蹲る。
思いっきり木剣で脛を打ったのだ。
うぐうぐ言いながら素振りを再開する。
涙目で、鼻を啜っている。
ご近所さんに見られたら悪い評判が立つのは避けられない。
テンはロイドの足下に座っている。
子犬にもアルカの近くにいたら危険だと分かるのだろう。
どうしたものか? とロイドは途方に暮れた。
アルカは体力がない上、体の使い方が分かっていないのだ。
ついでによく泣く。
骨折と火傷をした時は平然としていたのにどうして脛を打ったくらいで泣くのだろう。
意を決して尋ねてみる。
「どうして、泣くんだい?」
「……耐性がなくなった?」
アルカは手を休め、小さく首を傾げた。
多分、色々あったせいで暴力的なものに忌避感を覚えるようになったのだろう。
「そうか。けど、耐性がないと武術を身に付けるのは難しいな」
「……どうすればいい?」
そうだな、とロイドは腕を組む。
なかなか難しい質問だ。
何しろ、暴力に忌避感を覚えた経験がないのだから。
それどころか、父親に武術を習うようになってから少し暴力的な性格になった。
暴力に長じることが強さなのだと思い込んでいた。
二つ名をノリノリで名乗っていたことに匹敵する恥ずかしい過去である。
よくよく思い出してみると、新兵訓練所に入学した時と卒業した時で性格が変わっている者がいた。
軍に適応した結果だろう。
逆に暴力的な性格を演じれば耐性を高められるのではないだろうか。
ロイドはアルカを見つめた。
流石に娘に暴力的な性格を演じろとは言えない。
もう少しマイルドな表現が必要だ。
「そうだな。自分が理想とする人物を演じてみるのはどうだろう?」
「……お父さんみたいになりたい」
「そいつは光栄だな。けど、理想はもっと高く持った方がいいんじゃないか?」
「……む」
アルカは小さく呻いた。
交友範囲が狭いので、参考にする人物が思い浮かばないのかも知れない。
「難しく考える必要はないさ。たとえば物語の主人公でもいいし、神話の英雄でもいい」
「……とても難しい」
アルカは難しそうに眉根を寄せる。
「まあ、なりたい自分でも構わないさ」
「……なるほど」
アルカは神妙な面持ちで頷いた。
※
翌日、ロイドが詰め所で書類を整理していると、レイモンドが近づいてきた。
アルカが作り直したお守りを首から提げている。
「なあ、ロイド。お前、アルカちゃんに何か言ったか?」
「藪から棒にどうしたんだ?」
意味が分からずに問い返すと、レイモンドはバツが悪そうに頭を掻いた。
「巡回していたら、アルカちゃんに兵士っぽい言葉遣いを教えてくれって言われたんだ」
「それでどうしたんだ?」
「そりゃ、まあ、教えたさ。アルカちゃんには命を救われたからな。お守りをもらってから悪夢を見なくなったし、アルカ様々だよ」
う~ん、とロイドは唸った。
実際、お守りのお陰で命を救われているのだが、何でもかんでも結びつけるのは止めて欲しい。
「アルカを教祖に据えて宗教団体を立ち上げたりしないでくれよ」
「そいつはいいな! アルカちゃんは神秘的な所があるから流行るぞ!」
どうやら、レイモンドはアルカが神秘的に見えるようだ。
「で、どんな言葉を教えたんだ?」
「タマをつぶ――」
「お前は俺の娘に何を教えてるんだ!」
立ち上がって叫ぶ。
「怒るなよ。俺だって馬鹿じゃない。普段は使うべきじゃないと注意したさ」
「子どもに分別があると思うのか?」
イスに座り、溜息を吐く。
「その時はお前が叱ってやれ。俺は汚い言葉や暴力との付き合い方を教えるのも親の仕事だと思う」
「一理あるとは思うが、お前が言うなって気持ちの方が強いな」
自分が汚い言葉を教えたくせに叱るのは親の仕事なんて身勝手にも程がある。
きっと、叱ったらレイモンドは優しいおじちゃんを演じるのだろう。
「他には?」
「沢山教えたからな」
レイモンドは腕を組んで言った。
「まあ、俺達が敵を罵倒する時に使ってた言葉を教えれば問題ない」
「大ありだ。ったく、どうして、そんな言葉を知りたがるんだ?」
「お前が言ったからじゃないのか?」
は? とロイドは聞き返した。
「俺は乱暴な言葉を覚えろなんて言ってないぞ?」
「けど、自分が理想とする人物云々とは言ったんだろ?」
レイモンドはドヤ顔で言った。
イラッとする顔だ。
二十年来の親友でなければぶん殴っている。
「そんなつもりで言ったんじゃない」
「俺に言うなよ。まあ、アルカちゃんが言うにはなりたい自分を考えているんだと」
暗澹たる気分で溜息を吐く。
「あ、隊長!」
「リッキー、何か用か?」
巡回を終えたのか、リッキーがやって来た。
「街を巡回してたら、髪の真っ白な女の子を見たんです。きっと、あれはレイモンド副隊長の手を引いてた生霊の本体ですよ! うちの婆ちゃんは霊感が強かったんですけど、それが遺伝しているとはびっくりです! しかも、話しかけられて二度びっくりです!」
俺の娘を生霊呼ばわりか、とロイドは溜息を吐いた。
「おい、リッキー。お前が見たのは生霊じゃない」
レイモンドは強い口調で言った。
「あの方は女神様だ」
「おい!」
ロイドは突っ込んだ。
「道理で浮き世離れしているはずです。きっと、高等な神霊に違いありません。」
「おお、見る目があるな」
レイモンドとリッキーは力強く握手を交わした。
お前らヤクでも決めているのかと突っ込みたかったが、どういう訳か、気力が湧いてこない。
「……レイモンド、誤解を招くような言い方をするな。リッキー、お前が見たのは俺の娘だ。生身の人間だぞ」
「三度びっくりです」
将来、こいつがロックウェルの治安維持を担うのか、と溜息を吐く。
意外なほど長い溜息で出た。
「で、何て話しかけられたんだ?」
「兵士っぽい言葉遣いを教えてくれと言われましたので、タマをつ――」
「お前ら、タマが好きだな!」
ロイドは声を荒らげた。
詰め所にいた部下達が一斉に視線を向けてきた。
だが、しばらくすると興味をなくしたらしく自分の仕事に戻った。
「他には?」
「尻の穴に石突きをぶち込むぞ、です」
ロイドは両手で顔を覆った。
住人に愛される衛兵隊になるために使ってはいけない言葉を決めるべきかも知れない。
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