第6話:お父さんは心配性Ⅱ【後編】



「……こいつは酷いな」


 ロイドは焼け焦げた地面とその周辺に転がる死体を見つめ、顔を顰めた。

 十人の傭兵が死んだという話だったが、現場に残っている死体を集めても十人分には到底及ばない。

 恐らく、火炎羆が持ち去ったのだろう。

 顰めっ面の老人が無言で死体を検分する。

 革のチョッキを羽織り、クロスボウを背負っている。

 老人はロックウェル一と噂される猟師だ。

 ロイドは火炎羆の生態に無知ではないが、こういう時は専門家が一番頼りになる。

 老人は丁寧に死体の一部を地面に置いた。


「どうだい、何か分かったかい?」

「……サイズは三メートルそこそこって感じだな。よほど経験を積んでいるんだろう。魔術の使い方が上手い」


 ロイドが尋ねると、老人はさらに森を指差した。

 死体と森の位置関係から火焔羆は斜め後ろから荷馬車を襲ったと分かる。


「見張りを立てていたと聞いているが?」

「人間は必ず油断する。ヤツはそれを知っているんだ。見張りが油断している隙に距離を詰め、傭兵に囲まれた所で魔術を放った」

「だから、焦げ跡を中心に死体が散らばっているのか」


 火焔羆の厄介な所は魔術を使う所だ。

 魔術の使い方を熟知しているとなると、こちらも覚悟を決めねばなるまい。


「焦げ跡を見て、攻撃範囲を確認しておけ! ただし、これはあくまで目安だ! こちらの予想を上回る可能性が高い!」


 部下は焦げ跡に駆け寄り、それぞれの方法で距離を確認する。

 ふと視線を傾けると、老人がこちらを見ていた。


「何か気になることでも?」

「お前みたいな男が最初から対応していればこいつもロックウェルまで来なかっただろうと思ってな」


 どうやら、老人は火焔羆が他の場所で衛兵と戦ったことがあると考えているようだ。


「次はどうする?」

「ヤツは森に潜んでいる」


 老人は足下を見る。

 そこには何かを引き摺ったような跡があった。

 恐らく、傭兵を森に引き摺っていった時についたものだろう。


「次に何をするのか決めるのはアンタだ」

「追うしかないだろう」


 驚いたのか、老人はわずかに目を見開いた。

 もっと情報を集めるべきではないかという気持ちはある。

 だが、後手に回れば被害が拡大するのは目に見ている。

 だから、ここは進むべきなのだ。


「出発するぞ! レイモンド、最後尾についてくれ! 後ろから襲ってくるかも知れないから絶対に油断するな!」

「ほぅ、知っているのか?」

「それなりに、な」


 老人が驚いたように目を見開き、ロイドは苦笑した。

 一部の動物と魔物は敵の追跡から逃れるために自分の足跡を踏みながら後退し、その途中で別方向に跳ぶことがある。

 それで死にそうな目に遭ったので、背後を警戒するのは当然のことだ。


「さあ、案内してくれ」

「ああ、それが仕事だ」


 老人はゆっくりと歩き出した。



 晩秋にもかかわらず、森には驚くほど多くの緑が残っている。

 老人は先頭に立ち、ゆっくりと森を進む。

 時折、視線を巡らせたり、立ち止まったりする。

 微かな痕跡から火焔羆の動向を探ろうとしているのだろう。

 老人が立ち止まり、横を見る。

 視線の先には人間の腕があった。

 駆け寄りたい衝動に駆られるが、何とか踏み止まる。

 火焔羆は獲物に強い執着心を持つとされる。

 ここで貯蔵庫を荒らせば警戒心、いや、敵愾心を煽ることになる。


「……ヤツは近い」

「注意して進もう」


 老人が再び歩き始め、ロイドは後を追う。

 二時間ほど歩いた頃、老人は足を止めた。

 理由を問うまでもない。

 地面が途切れ、崖になっていたのだ。

 高さは五メートルほどだろうか。

 下には川が流れ、川沿いには大きな岩が転がっている。

 流れもキツそうだ。


「……誘われたか」

「うおッ!」


 背後から誰かの声が聞こえた。

 振り返ると、レイモンドが仰け反っていた。

 どうやら、お守りの紐が枝に絡まったようだ。

 ロイドは溜息を吐きつつ、レイモンドの下に向かった。

 悪寒が背筋を這い上がる。

 嫌な予感がした。


「……合図をしたら振り返って槍を構えろ」


 小さく呟くと、部下は頷いた。


「レイモンド、お守りの効果は打ち止めか?」

「馬鹿を言え。これもお守りの効果だ」


 ロイドが手を伸ばすと、お守りは勝手に枝から離れた。

 ほぼ同時に火焔羆が後方の茂みから飛び出してきた。


「槍を構えろ!」


 ロイドは叫び、レイモンドと共に槍を構えた。

 火焔羆が動きを止める。

 もしかしたら、戸惑っているのかも知れない。

 きっと、ヤツにとって奇襲は必勝パターンだったのだ。

 そう、パターンだ。

 今までそれで勝ってきた。

 だから、それを破られると脆い。

 真剣勝負にも通じる所がある。

 一つの技だけで勝ち続けているとそれを破られた時に対応が遅れるのだ。


「「せいッ!」」


 ロイドとレイモンドは間合いを詰め、槍を突き出した。

 先端が火焔羆の胸に突き刺さる。

 と言っても、ほんのわずかだ。

 恐るべき毛皮の厚さだ。

 だが、槍の穂先にはたっぷりと毒が塗ってある。

 適量なのかは分からない。

 火焔羆が後ろ脚で立ち上がり、その拍子に槍が抜けた。

 まるで壁だ。

 それほどの体格差がある。


「Goooooo!」


 火焔羆がこちらを威圧するように吠えた。

 空気が震え、衝撃が全身を貫く。

 槍を握る手に力を込める。

 怖い。

 当たり前だ。

 命の遣り取りはいつだって怖い。

 だからと言って逃げ出す訳にはいかない。

 ここで逃げ出せばローラとアルカが襲われるかも知れない。

 火炎羆を倒し、家族を守らなければならない。

 だから、逃げる訳にはいかない。

 もちろん、死ぬ訳にも。

 火焔羆を倒して家族の下に帰るのだ。


「Goooooo!」

「お、ぉぉぉぉッ!」


 ロイドは雄叫びを上げて突進した。

 火焔羆が腕を振り回す。

 攻撃を潜り抜け、槍を腹部に突き立てる。


「ロイド!」


 レイモンドが援護に入る。

 火焔羆にとっては攻撃対象が二人に増えた程度の認識だろう。

 だが、ロイドにとっては百万の援軍を得たに等しい。


「せいッ!」

「そりゃッ!」


 ロイドは右から、レイモンドは左から火焔羆を攻める。

 声掛けも、アイコンタクトも必要ない。

 二十年も一緒に戦っているのだ。

 火焔羆は腕を振り回す。

 ロイドとレイモンドは攻撃を躱し、隙を突いて攻撃する。

 傍から見れば作業じみているだろう。

 余裕があるようにさえ見えるかも知れないが、余裕などない。

 火焔羆は遠心力を利用して丸太のような腕を振り回しているのだ。

 濁った風切り音を伴う攻撃は掠っただけで人間を撲殺できる。

 毒が効いてきたのか、火焔羆の動きがわずかに鈍る。


「散れッ!」


 ロイドは叫び、レイモンドと同じタイミングで跳び退った。

 火炎羆を中心に炎が膨れ上がり、視界が真っ赤に染まる。


「レイモンドッ!」


 思わず叫ぶ。

 飛距離が足りず、レイモンドは安全圏に退避できなかったのだ。

 その時、奇跡が起きた。

 炎がレイモンドの手前で二つに割れたのだ。

 まるで見えない壁が炎を防いでいるかのようだ。

 だが、神に祈りを捧げている場合ではない。

 今は敵に集中するべきだ。

 炎が晴れると、火焔羆は動きを止めていた。


「せいッ!」

「そいやッ!」


 ロイドの槍が火炎羆の首に、レイモンドの槍が胸に突き刺さる。

 そこに火焔羆の胸に矢が突き刺さった。

 恐らく、老人の放った矢だろう。

 火焔羆の体が揺らぐ。

 慌てて槍を引き抜くと、火焔羆は前のめりに倒れた。

 安堵の息を吐き、振り返る。

 老人は最後尾でクロスボウを構えていた。

 クロスボウを下ろし、相好を崩した。

 道中は顔を顰めていたが、笑うと愛嬌がある。


「いい腕だ」

「当たり前だ」


 ロイドが称賛すると、老人は再び顔を顰めた。


「どう分配する? アンタらが決めたことに儂は従うぞ」

「分配な」


 ロイドはレイモンドに目配せした。

 魔物の死体は金になる。

 火焔羆の毛皮は耐火性と耐熱性を有し、内臓は薬の材料になる。

 捨て値で売り払っても一カ月は遊んで暮らせる。

 残念ながら今回は毒を使ったので、内臓と肉は諦めるしかないが。


「俺達は仕事で火焔羆を駆除しただけだ。だから、爺さんの好きなようにしてくれ」

「おいおい、ロイド」


 レイモンドはそりゃないぜと言わんばかりの表情を浮かべている。

 だが、それ以上のことは口にしない。

 長い目で見ればこれがベターな選択だと分かっているからだ。


「分かった。アンタらには酒樽を贈る」

「その時はロイド・I・サーベラス宛で頼む。そうしないと善意の寄付だと曲解されて俺達の所に回ってこない」


 ロイドは肩を竦めた。

 一部の役人は宛名がなければ善意の寄付だと考える。

 前後の状況を読めと怒鳴りつけたくなるが、怒鳴った所で開き直るか、逆ギレするかのどちらかだろう。

 面倒臭い世の中だ。


「さて、帰るか」


 ロイドが踵を返した次の瞬間、レイモンドが炎に呑まれた。

 火焔羆だ。

 ヤツが炎を吐いたのだ。

 手を伸ばす暇もなかった。

 レイモンドは炎に包まれて崖から転がり落ちた。

 火焔羆は倒れたまま動かない。

 どうやら、最期の力を振り絞って炎を放ったようだ。


「クソ! レイモンドッ!」


 ロイドはレイモンドを追って崖から飛び下りた。



 夜、ロイドは重い足取りで家路を辿った。

 あれから川沿いを捜索したが、レイモンドは見つからなかった。

 炎に包まれたのは一瞬だ。

 すぐに川に落ちたのだから火傷の程度は軽いはずだ。

 それに崖の高さは五メートルしかなかった。

 もちろん、その高さから落ちたのならば無傷では済まないだろう。

 だが、命に関わるような傷は負わなかったはずだ。

 川は流れこそ急だったが、水深はそれほどでもない。

 よほどのことがなければ溺れたりしないはずだ。

 大丈夫だ。

 レイモンドは生きている。

 明日になればひょっこり戻ってくるか、捜索隊が発見するに違いない、とロイドは自分に言い聞かせて家の扉を開けた。

 ローラはいつものように出迎えてくれた。


「あら、遅かったのね?」

「あ、ああ、実は火焔羆が出たんだ」


 まあ! とローラは驚いたように目を見開いた。


「エドモンド商会の護衛がやられてね。事情を聞いた後、火焔羆を駆除するために森に分け入ったんだ。ヤツは背後から襲ってきたんだが、アルカがくれたお守りのお陰で接近に気付けたんだ。久しぶりに身の危険を感じたよ。だけど、安心してくれ。火焔羆は駆除できたんだ」


 ロイドは捲し立てるように言った。

 どうして、いつも通り話せないんだ? レイモンドは生きているんだ。これじゃ、まるで――、と心の中で自分を罵倒する。


「あなた、どうかしたの?」


 ローラは訝しげに眉根を寄せる。

 ロイドは顔を背けた。

 ローラの瞳を見つめることができなかった。


「……レイモンドが火焔羆の魔術を受けて川に落ちた」


 そこが限界だった。

 力が抜け、その場に跪いた。

 家族を支えなければならない立場なのになんて情けない。

 右手で顔を覆う。

 子どものように涙を流す姿をローラに見られたくなかった。


「……火焔羆の死を確認すべきだった」


 どうして、そんなミスを犯してしまったのか。

 老人の言う通りだ。

 人間は油断する。

 そのせいでレイモンドは火焔羆の魔術を受け、崖から落ちた。


「まだ、死んだ訳じゃないわ。そうでしょう?」


 ああ、と相槌を打つだけで精一杯だった。

 きっと、レイモンドは死んでいる。

 火焔羆の魔術をまともに喰らったのだ。

 生きていればすぐに川から這い上がるはずだ。

 革鎧だから大丈夫? 

 そんなはずがない。

 人間は服を着たまま水に落ちただけで溺れる。

 あなた、とローラは優しく抱き締めてくれた。

 情けない。

 自分のミスで二十年来の親友を失ったばかりか、妻に慰められているのだ。

 さらに情けないことに安堵しているのだ。

 なんて無様さだ。

 反吐が出る。


「……レイモンドおじさんは生きている」


 顔を上げると、アルカが階段の近くに佇んでいた。


「アルカ、部屋に戻っていなさい」

「……分かった」


 アルカは小さく頷くと部屋に戻っていった。


「あなた、最後まで望みを捨てちゃダメよ」

「ああ、そうだな」


 ロイドは小さく笑った。

 そうだ。

 死んだと決めつけてどうする。

 打ちのめされるのはレイモンドの死を確認してからだ。



 翌日、ロイドはいつもより早く家を出た。

 もちろん、それはレイモンドの捜索を行うためだ。

 事前に連絡をしていないにもかかわらず、詰め所には部下が集まっていた。

 他にも多くの人々――猟師や傭兵、ロックウェルの住人がいた。

 自分達の活動が認められていたことに目頭が熱くなる。

 だが、感動してばかりはいられない。

 ロイドは準備を整えると捜索隊を率いて街道を進んだ。

 しばらくして人影が見えた。

 動悸が速まる。

 人影は杖を支えに歩いていた。


「レイモンド副隊長だ!」


 ロイドはリッキーの声を聞くやいなや走り出していた。

 人影がみるみる大きくなる。

 人影はレイモンドだった。

 酷い有様だ。

 革鎧は着ていないし、服は泥に塗れている。

 杖だと思っていたのはへし折れた槍だった。

 よほど疲れているのか、目の焦点が合っていない。


「レイモンド!」


 ロイドが叫ぶと、レイモンドは前のめりに倒れた。

 慌てて抱き留め、その場に横たわらせる。


「レイモンド! しっかりしろ! 助かったぞ!」

「……ああ、その声はロイドか?」


 レイモンドは億劫そうに見つめてきた。


「アルカちゃんは何処だ? さっきまで一緒にいたんだが?」

「アルカは家だ。お前は幻覚を見たんだ」


 極度の疲労で幻覚を見たのだろう。


「そんなはずがない。アルカちゃんが手を引いてくれたんだ。ほら、見てくれ」


 レイモンドは右手を上げると、お守りが絡みついていた。

 お守りも酷い有様だ。

 泥に塗れ、あちこち解れている。

 む、とロイドは小さく呻いた。

 解れた箇所から白い糸のような物が伸びて、レイモンドの手に絡みついていたのだ。

 引っ張ると、白い紐――紐状に編まれた髪の毛が出てきた。

 見てはいけない物を見た気がして髪をお守りの中に戻す。


「た、確かに霊験あらたかだ」


 髪には霊力が宿ると神話や伝承で語られている。


「……だから、言ったのに」


 アルカの声がすぐ近くで聞こえた。

 ロイドは慌てて周囲を見回したが、アルカの姿はない。


「隊長! レイモンド副隊長を担架に乗せます!」

「あ、ああ」


 ロイドはリッキーに場所を譲った。

 リッキーともう一人がレイモンドを担架に乗せる。


「……そう言えば」

「どうしたんだ?」

「レイモンド副隊長の前を歩いていた女の子は何処に行ったんでしょう?」


 ロイドが尋ねると、リッキーは不思議そうに首を傾げた。

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