第5話:お父さんは心配性Ⅰ【後編】



 小春日和と言えばいいのか、秋とは思えないほど温かく穏やかな天気だった。

 心地よい日差しに目を細め、公園を歩く。

 しばらく歩くと鳥の羽音が聞こえた。

 それも一羽や二羽ではない。

 もっと、沢山の羽音だ。嫌な予感がした。

 そして――。


「アルカーーーーッ!」


 ロイドは叫んだ。

 アルカが公園のベンチに座っている。

 それはいい。

 だが、鳥に埋もれているのはどういうことなのか。

 どうすれば様々な種類の鳥を集められるのか。

 訳が分からない。


「……解散」


 アルカが小さく呟くと、鳥は一斉に羽ばたいた。

 いや、一羽だけ残っている。

 その一羽は甲高い声で鳴いて飛び立っていった。


「……お父さん、どうかした?」

「鳥が沢山いたからびっくりしたんだよ」


 ロイドは冷や汗を拭いながらベンチに歩み寄った。


「……アーネストもびっくりしていた」

「そりゃ、まあ、びっくりするさ」

「……無口だけど、気はいい連中」

「そ、そうなのか?」


 ローラなら上手く話を合わせられるんだろうな、とそんなことを考えてしまう。


「……お父さん、何か用?」

「ほら、ぬいぐるみを燃やされてしまっただろ? お母さんが新しいぬいぐるみを作るって言うから、布を買いに行くんだ。よかったら、一緒に行かないか?」


 可愛い熊ちゃんだぞ、と付け加えておく。


「……むぅ」


 アルカは小さく呻いた。


「どうかしたのかい?」

「……お母さんの感性は独特だと思う」

「コメントは控えたいんだがいいか?」


 ロイドは間を置かずに問い掛けた。

 どうやら、アルカもアレを可愛いと思っていなかったようだ。

 ローラには悪いが、親子の繋がりのようなものを感じる。

 ちょっと嬉しい。


「……沈黙は金」

「難しい言葉を知ってるんだな。ところで、どうする?」

「……行く」


 アルカは小さく頷き、立ち上がった。

 ロイドの手をジッと見ている。

 もちろん、視線の意味を理解できないほど鈍くない。


「行こうか?」

「……うん」


 手を差し出すと、アルカは怖ず怖ずと手を握り返した。



 街の中心部はいつもと同じように賑わっていた。

 アルカの手を握りながら商店の並ぶ区画に移動する。

 視線を落とすと、アルカは物珍しそうに店を見ていた。


「何か気になるものでもあったのかい?」

「……この国の物流がとても気になる」


 物流、と口の中で呟く。

 ローラはアルカが自分に似て頭がいいと言っていたが、同意する。

 予想の斜め上をいく当たりそっくりだ。


「ど、どんな所が気になるんだい?」

「……何故、海の魚が売られていないのか。精霊術を使えば鮮度を保ったまま内陸まで輸送できるはず」

「軍では糧秣の輸送に精霊術を使っているんだが、民間でそれをできるのは帝都の大商会くらいだな」


 ロイドは答えられる質問だったことに内心胸を撫で下ろした。


「……何故?」

「新鮮な食材が運ばれてくると後方に余裕があると分かるし、温かい飯を食うと明日も頑張ろうって気になる。兵士に飯の心配をさせないことが有能な指揮官の条件だな」


 どうして、俺はこんなことを子どもに言ってるんだ、と無精髭の生えた顎を撫でる。


「……お父さんは戦争の経験がある?」

「まあ、な」


 アルカは思案するように俯いた。


「……長い間、帝国は戦争をしていないと思っていた」

「東国が滅びてから大規模な戦争はしていないな」


 大陸の北に位置する連邦が南下を続け、武力衝突が国境付近で起き、武装勢力が貴族の領地や同盟国内で暗躍している。

 しかし、庶民がそれらに対する不安を口にすることはない。

 彼らにとっては魔物や犯罪者の方が脅威なのだ。


「……なるほど」


 どれほど理解しているのか、アルカは頷いた。


「……この光景が明日にも失われてしまうものとは思わなかった。隣国や反帝国組織の動向に気を配らねばならない」

「そこまで深刻な状況じゃないぞ」

「……備えは必要」


 う~ん、とロイドは唸った。

 教育はローラに任せているが、何処をどうすればこんな風に育つのか。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか目的の店に着いていた。

 小さな店には鮮やかな布が並んでいる。

 しばらく立っていると、恰幅の良い男が近づいてきた。


「ロイドさん、いらっしゃい。今日はどんな用件で?」

「ぬいぐるみ用の布を買いに来たんだ」


 アルカの手を放し、ポケットから取り出した紙を手渡す。


「ちょっと待ってて下さい」


 店主はそう言って店の奥に引っ込んだ。

 隣にいるアルカに手を差し出すが、いつまで経っても握り返してくれない。

 不思議に思って隣を見ると、誰もいなかった。


「アルカーーーッ!」


 ロイドは道に飛び出して周囲を見回すと、アルカらしき人影が細い路地に入っていく所だった。

 慌てて後を追ったものの、所詮は子どもの足だ。

 簡単に追いつけた。

 アルカはゴミ箱の陰に隠れるように座っていた。


「アルカ、心配させないでくれ」

「……申し訳ない」


 アルカはペコリと頭を下げた。

 可愛らしい仕草だが、ロイドの注意はアルカが抱いているものに向いていた。

 ゴミのように見える。


「……犬を拾った」


 アルカは両手でそれを突き出す。

 確かにそれは子犬だった。

 泥に塗れてぐったりしているが。


「死にかけているじゃないか」

「……お腹が空いているだけ。ぐったりしているのは殴ったから」

「殴った?」

「……自分で助けを呼んだくせに噛み付いてきた。とても恩知らず」


 思わず聞き返すと、アルカはムッとしたように言った。

 見れば右手の甲に小さな歯形が付いている。

 幸いと言うべきか、出血はない。


「……ちゃんと散歩する、しっかり躾ける。だから、お母さんの説得に協力して欲しい」

「お母さんが何を言うのか想定しているのか」


 アルカはコクコクと頷いた。

 何を言われるのか想定し、根回しを忘れない。

 一体、ローラはアルカにどんな教育を施したのだろう。


「分かった。一致団結してお母さんを説得しよう」

「……お父さんだけが頼り」


 ロイドは店で生地を受け取り、アルカと一緒に家に帰った。



 家に帰ると、ローラが出迎えてくれた。

 アルカは子犬を突き出して頭を下げた。

 その思い切りの良さは誰に似たのだろう。


「……散歩と躾をきちんとするので、犬を飼うことを許して欲しい」

「いいわよ」


 ローラは二つ返事で了承した。

 これにはロイドの方が驚いてしまった。

 絶対に一悶着あると思ったのだ。


「いらない籠でベッドを作って……けど、その前にご飯かしら? ミルクパン粥で大丈夫よね?」

「……大丈夫」


 アルカはコクコクと頷いた。

 ミルクパン粥とは細かく千切ったパンを牛乳で煮た物である。

 離乳食や病人食として用いられる。


「じゃ、すぐに作るわね」


 ローラは踵を返した。


「……よかった」


 アルカはホッと息を吐いた。


「役に立てなかったな」

「……心強かった。とても感謝している」


 アルカは靴を脱いで食堂に向かった。

 心なしか足取りが軽い。

 父親らしいことができたかな、とロイドも靴を脱いで食堂に。

 食堂に入ると、アルカは床に座っていた。

 子犬はぐったりしたままだ。


「アルカに離乳食をあげてた頃を思い出すわね?」

「そうだな」


 ロイドは自分の席に着き、しみじみと呟いた。

 昔から妙に大人しい子だった。

 まあ、大人しすぎて気が気ではなかったのだが。

 あんなことがあった、こんなことがあった、と思い出を反芻する。


「できたわよ」


 ローラは湯気の立つ皿を床に置いた。


「……食べる」


 アルカは子犬を床に置き、皿を鼻先に移動させた。

 子犬はぐったりしている。


「……食べないと死ぬ」


 指をミルクパン粥につけ、子犬の鼻先に持っていく。

 子犬は小さな舌でアルカの指を舐めた。


「……もっと食べる」


 子犬は震える足で立ち上がり、ミルクパン粥を食べ始めた。

 時間を掛けて食事を終えると床に伏せた。



 翌日、ロイドは階段を下りた所でヤカンを手にしたローラと出くわした。


「アルカが庭で子犬を洗うから持って行ってあげて」


 ローラはヤカンを差し出してきた。

 もちろん、拒否権はない。

 ヤカンを受け取って庭に出ると、アルカは子犬を入れたタライの近くに屈んでいた。

 熱湯じゃないよな、と念のためにヤカンの蓋を開けて恐る恐る指を浸ける。

 やや温く感じるが、これならば子犬が火傷することはないだろう。


「お湯を持ってきたぞ」

「……お父さん、ありがとう」

「大したことはしていないさ」


 ヤカンを手渡す。

 アルカはロイドがしたようにお湯の温度を確認してからヤカンを傾けた。

 お湯が泥を洗い流していく。

 ん? とロイドは軽く目を見開いた。

 泥の下から現れたのは青みがかった灰色の毛だったのだ。

 アルカはロイドの危惧を他所に子犬の泥を洗い流していく。

 子犬はされるがままだ。

 犬や猫は水に浸けられるのを嫌がるとばかり思っていたのだが――。


「……お父さん、どうかしたの?」

「よく似た犬を何処かで見たような気がするんだが……」


 軍務で同盟国に赴いた時だったか、連邦の同盟国に工作をしにいった時だったか。

 どうも思い出せない。

 一応、調べておくべきだろう。


「ところで、名前は決めたのか?」

「……犬?」

「いやいや、家族になるんだから、ちゃんと名前を付けてあげなさい」


 う~ん、とアルカは唸り、天を仰いだ。


「…………テン」

「うん、まあ、シンプルでいいんじゃないか」


 ローラは東国の言葉まで教えているのか、と考えながら頷く。


「……今日からお前はテン」

「わう」


 分かっているのか、いないのか、子犬はアルカを見つめ、小さく吠えた。

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