第3話:精霊祭【後編】
※
アーネストはアルカを見つめながら陸に打ち上げられた魚のように口を開けたり閉じたりした。
顔を伏せ、こちらをチラチラと盗み見ている。
アルカはイスに座ったままアーネストを見ている。
飾り気のないワンピースはおしゃれタイムの効果によりふんだんにレースを使用した黒いワンピースにパワーアップした。
髪は執拗なブラッシングにより遠心力でふわりと広がるようになった。
「あ、アルカ……その、綺麗だよ」
「……月並み、二点」
アルカが人差し指と中指を立てて言うと、ショックを受けたのか、アーネストはよろよろと後退った。
そんなアーネストもアルカに負けず劣らずおめかししている。
「アーネスト君、そんなに落ち込まないで。五点満点中二点も取れれば上等よ」
母親がすかさずフォローに入る。
十点満点のつもりだったのだが、ここは何も言わない方がいいだろう。
「アルカ、行こう」
「……」
アーネストは怖ず怖ずと手を差し出してきた。
別に手を繋がなくてもと思うのだが、空気を読むべきだろう。
アルカが手を握り返すと、アーネストははにかむように微笑んだ。
将来、女に騙されて痛い目に遭いそうだ。
外に出ると、四色――赤、青、黄、緑の光が視界に飛び込んできた。
足を止め、小さく喘ぐ。
「どうかしたの?」
「……とても綺麗だけど、私の中にはこの美しさを形容する言葉がない。とても残念」
蛍のようだと言えばいいのか、星が降ってきたみたいだと言えばいいのか。
どちらにしても足りないと思う。
「無理に言葉にしなくてもいいんじゃない?」
「……もっともな意見」
アルカはアーネストに手を引かれて歩き出した。
※
街の中心部には何処から集まってきたのかと思うほど大勢の人がいた。
友達同士もいれば、子ども連れもいる。
カップルもいる。
区分的に言えば自分達もカップルになるのだろう。
少なくともアーネストはそのつもりだろう。
「……リア充爆死しろ」
人の流れに合わせて進む。
交通規制でもしているのか、馬車は通っていない。
道には布と木で作った屋台が並び、美味しそうな匂いを漂わせている。
前世の記憶にある屋台は一通り揃っているように見えるが、たこ焼きやイカ焼きはない。
その代わりに川魚の塩焼きが売られていた。
恐らく、これはロックウェルが内陸に存在するから――と言うよりも運送技術が発達していないからだろう。
精霊術を使えば鮮度を保ったまま内陸部に魚介類を輸送することなど容易いように思えるが、精霊術の素養を持つ子どもが六歳にして進路を決められてしまう事実を考えると、軍事以外の目的で精霊術士を使う余裕はこの国にないのだろう。
「……焼きソーセージ」
「じゃあ、行こう」
屋台で焼きソーセージを購入する。
アーネストはアルカの分までお金を出そうとしたが、丁重に断った。
焼きソーセージはなかなか美味しかった。
皮がパリッとしていて、熱々の肉汁が滲み出してくる。
夕食を抜いていたので、屋台を渡り歩いた。
焼きとうもろこしは甘くて美味しかったし、じゃがバタも美味しかった。
ジュースは甘いばかりで余計に喉が渇いた。
炭酸系飲料とかき氷も欲しい。
そんなことを考えていると、制服姿の男性が近づいてきた。
体型はガッシリしている。
ブラウンの髪を短く刈り、口髭を生やしている。
強面なのに何処かユーモラスな印象がある。
「やあ、アルカちゃん」
「……レイモンドおじさん」
アルカが名前を呼ぶと、アーネストはホッと息を吐いた。
レイモンドは苦笑し、アルカに手を伸ばすが、そのまま動きを止める。
どうやら、執拗にブラッシングされたことに気付いてくれたようだ。
「可愛いな。何処かのお姫様かと思ったよ」
「……ありがとう」
レイモンドは顎を撫でながら言った。
素直に礼を言ったことが面白くなかったのか、アーネストが不満そうにこちらを見ている。
「……仕事?」
「街を守るのがおじさん達の仕事だからな。楽しむのは若い連中に任せておくさ」
ハハッ、とレイモンドは笑った。
「おじさんは仕事を続けるけど、あまり夜遅くまで遊ぶんじゃないぞ。悪い連中が潜り込んでいるかも知れないからね」
「……気を付ける」
「ああ、そうして欲しい。邪魔して悪かったね」
レイモンドはアーネストの頭を撫でるとその場を立ち去った。
「……これがアーネストとレイモンドおじさんの差」
「うん、何となく、分かったよ」
本当に分かっているのか疑わしいが、ともかく屋台巡りを再開する。
本日二本目のソーセージを食べていると、子どもが街の一角に群れていた。
大きな箱――緞帳の下りた舞台のように見える――が置かれ、その隣には派手な衣装を着た男女が立っている。
「……あれは?」
「人形劇だよ。行ってみる?」
大きな箱の前に行き、派手な衣装を着た女性に銅貨を渡す。
すると、リンゴ飴を渡された。
空いている席に座り、リンゴ飴を見つめる。
「……惜しい。水飴ならショウワだった」
「ショウワ?」
何でもない、とアルカは頭を振る。
苛々が収まっても汚染は元に戻らないようだ。
しばらく待っていると、人間劇の幕が上がった。
昔々、ある所に一人の男がいた。
羊を連れて荒れ地を放浪する羊飼いの男だった。
何処にでもいる平凡な男だった。
ある日、男が放牧から帰ってくると、家族が殺されていた。
老いた両親、結婚を間近に控えた妹、やんちゃ盛りの弟が無残に殺されていた。
男は駆け出した。
血の涙を流し、血を吐きながら走った。
走り続けて、いつの間にか人間ではなくなっていた。
四本の足で大地を蹴り、優れた嗅覚で仇の臭いを追う。
男は狼になっていた。
仇を討つのは容易だった。
だが、目的を果たしても怒りは収まらなかった。
むしろ、怒りは激しさを増した。
男は怒りに突き動かされて次々と人を殺した。
人を殺すたびに怒りは大きくなった。
数え切れないほど多くの人々が殺され、三人の勇者と巫女が立ち上がった。
彼らは幾つもの試練を乗り越え、遂に狼と対峙した。
しかし、狼は強かった。
勇者達の武器も、技も狼を傷付けられなかった。
精霊術も黒い光に阻まれた。
万策尽き果てたその時、巫女が狼の前に歩み出ると何事かを口にした。
そして、そのまま狼に食べられてしまった。
永劫にも思えるような数秒が過ぎ、狼の目から涙が零れ落ちた。
狼は悲しげに吠え、走り去った。
それ以降、狼の姿を見たものはいない。
「……むぅ」
アルカが小さく呻くと、舞台の幕が閉じた。
子ども達は今一つ熱気の籠もらない拍手をして一人、また、一人と席を立った。
「アルカ、終わったよ」
「……」
アーネストに促されて立ち上がり、そのまま手を引かれて歩き出す。
「面白かった?」
「……とても興味を引かれる内容だった」
子どもに訓示を垂れるにしては話が暗いし、かなり消化不良気味だ。
果たして巫女は狼に何と言ったのか。
狼は何処に行ってしまったのか。
アルカは胸に手を当てる。
きっと、男は怒りに呑み込まれたのだ。
あの人形劇は他人事ではない。
そんな気がする。
「アルカ、ちょっと待ってて」
「……」
アーネストはそう言って何処かに行ってしまった。
周囲を見回す。
ボーッとしている間にあまり人気のない場所に来てしまったようだ。
レイモンドの言葉を思い出す。
人気のある所に戻るべきか考えていると、アーネストが戻って来た。
「アルカ、プレゼント」
アーネストはアルカの手を取り、手の平に指輪を載せた。
「……アーネストはおませさん」
「うぐ、アルカが欲しいって言ったんじゃないか」
指輪を見つめる。黒い鉱石の填め込まれた銀の指輪だ。
目を凝らすと、緑の光が見えた。
「……精霊を集める金属」
えへへ、とアーネストは笑う。
指に填めるとブカブカだった。
「……ありがとう、とても嬉しい」
「じゃあ、帰ろうか?」
アーネストの手を握る。
きっと、残っていたお小遣いを指輪に注ぎ込んだのだろう。
もう少し考えてお金を使うべきだと思うが、好意を向けられるのは嬉しいものだ。
「……アーネスト、アーネストは」
私が狼でも友達と言ってくれるか?
尋ねようとした時、視界が真っ暗になった。
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