第4話:強欲【前編】



 アルカが目を覚ますと、そこは倉庫だった。

 意識を失ってからそれなりに時間が過ぎたようだ。

 天井付近にある窓から白々とした光が差し込んでいる。

 体を起こして視線を巡らせると、周囲には子どもが十人いた。

 その中にはJとSの姿もある。

 JとSは棍棒を手にした男を睨んでいる。

 大方、男を倒せば逃げられるとでも考えているのだろう。


「アルカ、目を覚ましたんだね」

「……アーネスト」


 アーネストがアヒルのように躙り寄ってきた。


「僕達は攫われたらしい」

「……見れば分かる」


 情報共有は大事だが、分かり切ったことを神妙な顔で言われても困る。


「……見覚えのある顔は?」

「アルカ以外は同級生だよ」


 営利誘拐という言葉が脳裏を過ぎるが、アーネストの同級生――精霊術士の卵が集められていることを考えると人身売買の可能性が高い。

 洗脳して兵士にでもするつもりなのだろう。


「……キ●ガイに人殺しの仕方を教えている訳ではなかった。この国はなかなか考えている」


 つまり、洗脳される前に洗脳してしまえということだ。

 JとSを見ていると方針を変える必要性を感じるが、大人になる頃には国家のために喜んで命を投げ出せるようになっているかも知れない。


「……素直に従ってればアーネストの生存率はアップする」

「アルカは?」

「……死ぬかも知れない」


 アーネストは顔面蒼白になった。

 大人しくしていればという条件は付くが、犯人は精霊術士を手荒に扱ったりしないはずだ。

 逆に言えば精霊術士でないアルカを手荒に扱わない理由がない。


「逃げ……」

「静かに」


 アルカは人差し指を唇に当てる。


「……あくまで可能性の問題」

「どうして、そんなに落ち着いてるの?」


 二度目だから、と言いかけて口を噤む。

 どれほど自分は汚染されているのか考えるとうんざりする。


「……今は落ち着いて考える時」

「どうするの?」

「……どうもしない。救助を待つだけ」


 床に横たわる。

 子どもの体力で誘拐犯から逃げられるとは思えない。

 体力を温存しながら救助を待つべきだ。


「……ちょっとだけ足掻いてみる」


 ネズミが倉庫の片隅からこちらを見ていたる。


「……おいで」

 チュー、とネズミが近づいてきた。


「あ、アルカ?」

「……大丈夫」


 ネズミはアルカの前髪を銜え、思いっきり引っ張った。

 髪の毛が何本か抜ける。


「……宜しく」


 ネズミは小さく鳴くと倉庫の片隅にある排水溝に戻って行った。

 両親の所に辿り着けばいいのだが、途中で犬や猫に襲われる可能性が高い。


「話せるの?」

「……何となく分かる」


 アルカは静かに目を閉じた。



「アルカ、アルカってば」

「……む」


 小さく唸りながら目を開けると、アーネストが隣にいた。

 Jも一緒だ。

 眠い目を擦りながら体を起こす。

 見張りの男は居眠りしているらしく頭を前後させていた。


「脱走するから手伝え」

「……断る」


 断られるとは思っていなかったのか、Jは鼻白んだ。


「……私は子どもの計画が通用すると考えていないし、貴方のことを信用していないから手伝わない」

「チッ、お前なんか死んじまえ。アーネストはどうするんだ?」

「ぼ、僕は……」


 苦手意識が残っているのか、アーネストは口籠もった。

 助けを求めるようにこちらを見る。


「僕は残るよ。アルカを残しておけないし」

「……ッ!」


 Jは無言でアーネストを殴るとそのままS達の所に戻って行った。

 幸いにも見張りは眠ったままだ。


「……アーネストだけなら逃げられた」

「僕だけ逃げても仕方がないよ。それに……僕とアルカの命が掛かっているのに信じていないヤツの計画に乗れないよ」


 どうやら、アーネストはアルカを守ろうと考えているようだ。

 エルウェイ卿はとてもよい教育をしている。


「ネズミはどうしたかな?」

「……過度の期待は禁物。所詮、ネズミ」


 家に辿り着けたとしても両親が神がかった洞察力を発揮しない限り真実を知ることは不可能だ。


「……こんなことになるのなら犬と仲良くしておけばよかった」

「確かにネズミより頼りになりそうだね」


 アーネストが微笑んだその時、倉庫が真っ赤に染まった。

 アルカはアーネストを抱き締めて床に伏せた。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」


 視線を動かすと、炎に包まれた見張りがのたうち回っていた。

 Jが精霊術を使ったに違いない。


「扉を破れ!」

「分かった!」


 Jが命令すると、Sは扉に向けて手の平を向けた。

 黄色の光が集まり、円錐状の岩が形成される。

 ドンッ! という音と共に岩が放たれるが、扉に穴を空けただけだ。

 Sは断続的に円錐状の岩を放つ。

 五発目で扉が倒れる。


「行くぞ! けど、お前達はダメだ!」


 Jは振り返るとアルカの足下に向けて握り拳大の炎を放った。

 幸い、炎はすぐに消えたが、アーネストはガクガクと震えている。


「そこにいろ!」


 子ども達は外に出て行った。

 まあ、あれだけ大きな悲鳴と音を立てたのだ。

 逃亡は失敗するだろう。

 見張りの男を酸欠状態にして蝶番を焼き切った後、夜陰に乗じて逃げるべきだった。


「どうしよう?」

「……取り敢えず、そこの男を助ける」


 見張りの男は火を消そうとのたうち回っている。


「誘拐犯だよ?」

「……助ければ味方してくれるかも知れない」


 辺りを見回すが、火を消せそうな物はない。

 せめて、大きな布があれば酸素を遮断して火を消せるのだが。


「僕がやるよ。精霊さん、お願いします」


 アーネストがお願いすると、緑の光が見張りの男を包み込んだ。

 全く風を感じなかったが、炎は瞬く間に消えた。


「精霊さん、ありがとうございました」


 緑の光は一瞬だけ強く輝き、空気に溶けるように消えた。

 アルカは見張りの男に歩み寄る。

 Jの炎は見た目ほど強くなかったらしく皮が剥けている程度だ。

 見張りの男はアルカを見つめていた。


「なんで、助けて?」

「……貴方を助けて心証をよくしておきたかった」


 見張りの男は驚いたように目を見開いていたが、倒れている場合ではないと気付いたらしく頭を振りながら立ち上がった。


「ああ、クソッ。ガキどもに逃げられたら兄貴に殺されちまう。お前ら、動くんじゃねぇぞ」

「……分かった。大人しくしている」


 アルカはその場に座る。

 アーネストが隣に来て腰を下ろした。


「いいか? 扉がないからって逃げるなよ!」

「……分かった。逃げない」


 見張りの男は疑いの眼でアルカを見ている。


「……安心して欲しい。逃げろという意味だと曲解したりしない」

「薄気味悪いガキだな」

「……自分でもそう思う。両親に申し訳ない」


 子どもらしくない上、引き籠もり、さらには自傷を繰り返していたのだ。

 迷惑を掛けて申し訳ないと思う。


「兄貴!」

「そんなデカい声を出さなくても聞こえてるよ」


 見張りの男が叫ぶと、黒ずくめの男がJを担いで倉庫に入ってきた。

 無造作にJを投げ捨てる。

 Jはすぐに立ち上がり、黒ずくめの男に炎を放った。

 だが、炎は黒ずくめの男の手前で消えてしまった。

 目を凝らすと、黒い光が黒ずくめの男から立ち上っていた。

 精霊術を無効化したということは精霊の力なのだろう。

 心臓が大きく鼓動した。

 黒ずくめの男も同じなのかアルカを不思議そうに見ている。

 だが、すぐに興味を失ったらしくJに視線を移した。


「全員、捕まえましたぜ」

「ああ、ご苦労」


 部下と思しき男達は倉庫に入ってくるなり、担いでいた子どもを投げ捨てた。

 殴られたのか、怪我をしている子どもが多い。


「……どうやって?」


 全員が精霊術士とは思えない。

 何かトリックがあるはずだ、とアルカは目を細めた。

 すると、糸のように細い光が男達に絡みついていた。

 ふとあることに気付く。

 黒ずくめの男が黒い光を立ち上らせているのに対し、部下達は一カ所から糸が伸びているのだ。


「……分からない」


 精霊術を無効化する手段を持っているのならば、どうして、見張りの男はJの攻撃を受けてしまったのか。答えはすぐに分かった。


「おい、そこのガキを刺せ」


 黒ずくめの男はSにナイフを放るとJを指差した。

 なるほど、とアルカは頷いた。

 わざと逃がして捕まえ、一人を刺させて不信感を植え付けようとしていたのだ。

 この倉庫は大きな音を出しても気付かれない所にあるのだろう。

 Sは首を横に振る。


「仕方がねぇな。そこの……真っ白い髪のガキ、お前が刺せ」

「……断る」


 あん? と黒ずくめの男はアルカを睨み付けてきた。


「……不信感を植え付けるつもりならば必要ない。私はその子どもを信用していない。意味のないことはしたくない」


 黒ずくめの男が踏み出すと、アーネストはアルカを庇うように立ち上がった。


「あ、アルカに酷いことをしたら僕が許さないぞ!」

「……自分の生存率を下げる必要はない」


 アーネストの足は生まれたての子鹿のように震えている。

 そのまま脱糞してしまいそうな勢いだ。


「あ、兄貴、そのガキは勘弁してくれませんか?」

「おいおい、何を言ってんだ?」


 黒ずくめの男は見張りの男を睨んだ。


「その二人は俺を助けてくれたんです」

「あ? お前はいつから偉そうな口を利けるようになったんだ?」


 黒ずくめの男は見張りの男を睨み付け、深々と溜息を吐いた。


「分かった。お前が火傷したのは俺の責任だからな。火傷に免じて今回はお前の言うことを聞いてやる。だが、次はねぇぞ」

「兄貴、ありがとうございます!」


 見張りの男は頭を下げた。

 どうやら、黒ずくめの男は暴君ではないらしい。

 まあ、部下を使い捨てるような人間ならばとっくに殺されているだろう。


「よし、続きだ。さっさと刺せ。できないのならお前が代わりになれ」


 Sはナイフを手に取った。

 目が忙しく動いている。

 ナイフを手にしたくせに躊躇っているようだ。


「簡単に刺せると思うなよ」


 JはSを睨み付けた。

 確かに体格差を考えればSがJを刺すことは難しいだろう。

 黒ずくめの男はニヤニヤと笑っている。


「ああ、そうだな。簡単に刺せないよな。“動くな”」


 黒ずくめの男が呟いた瞬間、体が重くなった。


「な、何だ、体が動かない」


 Jの体がビク、ビクと震える。

 見れば他の子どもも動けなくなっているようだ。

 アルカは自分の手を見下ろし、握ったり開いたりする。

 体の動きと感覚が鈍くなっている。


「お前は動けるのか?」

「……何をした?」

「俺もよく分からねぇが、俺の言葉には他人を従える力があるってのは分かってる。と言っても、何でもできるって訳じゃねぇ」


 なるほど、とアルカは頷いた。

 恐らく、制限時間があったり、自分のように効果が薄い人間がいたりするのだろう。


「……それだけの力があって誘拐?」

「精霊術士はそこそこ金になる。まあ、それ以外にも旨味はあるがな」

「……目的は組織を大きくすること?」


 黒ずくめの男はニヤリと笑った。


「そうだ! 俺は金も欲しい、地位も欲しい、女も、美味い飯と酒も! そのためには力がいる! 俺は、いや、俺達は裏の世界でのし上がってやる!」


 恐らく、黒ずくめは伝説を築いているつもりなのだろう。

 そして、自分の伝説を聞いて欲しくて仕方がないのだ。


「……盗賊王に俺はなるとか言い出しそう」

「盗賊王か、気に入ったぜ」


 黒ずくめの男は歯を剥き出して笑った。


「おい、“お前は動いていいぞ”」

 黒ずくめの男はSに歩み寄り、優しく肩を叩いた。

「刺せ」


 Sは立ち上がり、覚束ない足取りでJに近づいていく。


「止めろ、止めろよ。友達だろ?」

「ごめん、本当にごめん」


 SはJの脇腹にナイフを突き刺した。

 次の瞬間、Sは地面に倒れていた。

 Jに突き飛ばされたのだ。


「動ける?」

「ああ、ちょっとしたショックで動けるようになるのさ。ついでに言っておくが、俺はこいつに命令しただけだ」


 怒りによってか、Jの顔が真っ赤に染まる。

 Jは脇腹からナイフを抜くと訳の分からない叫び声を上げてSに襲い掛かった。

 ナイフがSの腕を切り裂く。


「う、うわぁぁぁっ!」

「こいつ、殺してやる!」


 SはJに殴り掛かった。

 とは言え、体格差は明らかだ。

 それに武器の有無もある。


「……見ない方がいい」


 アルカは立ち上がり、自分の手でアーネストの目を覆った。

 背後から身の毛もよだつ叫び声が聞こえてきた。

 悪寒、いや、痺れるような快感が背筋を這い上がる。

 これが人間だ。

 自分本位で、余裕がなくなれば裏切る。

 頭を振った。

 違う。

 人間は自分本位かも知れないけれど、そうではない人間もいるのだ。

 肩越しに背後を見ると、JがSに馬乗りになってナイフを振り上げていた。

 そして、Jはナイフを振り下ろした。

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