〈teiri〉 お天気お姉さんが淫乱で放送事故!(爆

 ゾンビ化現象から一週間後の月曜日。

 早朝の被服室。授業がはじまる前に俺はここでていりと落ち合うのが決まりとなっていた。

 今朝飛んできたメッセージの真意を直接問いただすと、ていりはさっそくびえーんと泣きついてきた。

「ゾンビの次は世界がエロエロになってるんだよぉ……!」

 事情を聞くと、こういうことだった。

 ゾンビ化現象を受けてていりは学校に出る以外は基本的に家で大人しくしていた。

 家での過ごし方も、テレビや携帯など視覚情報ではゾンビが映るため、基本的にラジオに切り替えた。

 ゾンビ化していても喋り方は以前となんら変わらず、精神的安定のため聴覚情報を好むようになった。

 元々、深夜ラジオ好きということもあってラジオは聞き慣れていた。

 だが今朝、事件が起きた。

「ラジオで朝のニュース聞いていたらね、お天気お姉さんが今日は夕方から東海地方は雨が降って……って、ここまでフツーだよね。でもその後ね、本日の夕方から社長部屋に呼ばれて、私の下もぐしょぐしょに、ぬ、濡れてって……!」

「おいそれ以上は言わなくていい!」

 ぼっ、と火が点いたような真っ赤なていりの顔。

 事実なら放送事故レベルだが……。

 俺は携帯のラジオアプリのタイムシフトでていりが聴いた朝のニュース番組を聴く。

「ほら、やっぱり言ってる! すっごいエロいこと!」

「言ってないんだよな、俺が聞くと……」

 何度聴き直しても以上は見当たらない。

 つまりはゾンビ化現象と同じだ。

 ていりにはゾンビに見え、俺には見えない。

 ていりには淫語が聞こえ、俺には聞こえない。

 一応、ラジオ番組のサイトを開いたがお詫びも載せていない。

 ネットニュースにもなっていない。

「電車のアナウンスもめちゃくちゃだったよ。一号車は女性専用車両ですので~の後に、そこで今日は『快楽特急 痴漢電車でGO! 名古屋鉄道編』の撮影するからって!」

「だからいちいち口に出さんでいい。てかゲームメーカーに訴えられそうなタイトルだな、それ……。ああもう、お前いまにも顔が上気しそうだぞ。無理すんな」

 話を聞く限り、耳に入る言葉の文意こそなんとか伝わるが、ちょくちょく淫語が混じったり、変換されたりして聞こえるらしい。

 そして唯一、俺の声だけがまともに聞こえる。これもゾンビ化と同じだ。

 ゾンビ化に加えて淫語化、ていりにとって過酷な一日がはじまった。

 教室に戻ったとき、クラスメイトたちの賑やかな談笑を耳にして、ていりはいまにも上気した顔を冷ますようにパタパタと両手で扇いでいた。

 淫語が飛び交っているのだろう。「おはよう。ていりさん……ってもしかして今日も調子悪い?」と吉野に挨拶なんてされたときには鼻血を出しそうになっていた。

 一体どんな卑猥な言葉に変換されたのか……。

〈teiri〉 おはよう。ていりさん……って、もしかして今日も腰の使いすぎで調子悪い?

 疑問に思ったところ、即ていりからエロ翻訳されたメッセージが飛んできた。

 ただでさえ眉間撃ち抜かれて寄生虫がうねうね飛びしてきているゾンビ吉野かなえに、セクハラまがいのワードまで聞こえるようになるなんて、これはいよいよきついな……。

 俺はすぐに吉野が言った正しいセリフを一言一句間違えずに打ちこんで返事した。

 不幸中の幸いは、淫語に変換されても、話者のセリフをていりが大きく聞き間違えていることはないといったことか。

 セリフの要所そのものは変わらないから、一応コミュニケーションはできなくもない……はず。

 それから、ていりのエロ翻訳は続いた。

 俺のメッセージボックスには『須藤君は調教ワンワンプレイしたいとか!』やら『南さんは英単語の小テストで実践四十八手を覚えたとか!』やら、もう見ると頭がくらくらするようなワードに埋め尽くされていった。

〈teiri〉 飛び交う淫語。佐藤くんと田中さんが今日ラブホテルおしゃれ貴族で会おうって……もしわたしが新聞部ならスクープでていり砲が炸裂してるよ!(ずどーん

 メッセージにはギャグテイストのものもあったが、それはていりが無理しているのだと俺にはわかった。

 視界には多種多様なゾンビに溢れ、耳には聞きたくもない卑猥な言葉が飛び交う。

 あまりに荒唐無稽すぎて想像が追いつかなくなってきたが、過酷には違いない。

 彼女にとって、俺だけがまとも。

 彼女の世界で、俺だけが清い光。

 ちらっとていりを一瞥して、彼女の淡い桜色の唇を見た。

 そのまま下に目線を下ろして、制服から盛り上がった豊かな胸元が目に入った。

 馬鹿、と俺は頭を叩いた。

 彼女はそういうことが嫌になっているのだと、付き合っても触れられないのだろうなと一瞬でも思った自分が情けなくなった。

 ていりのエロ翻訳を、俺は出来る限り元のセリフに翻訳にして伝えていった。

 その日だけではなく、次の日も、その次の日も。

 ていりにつきっきりになって彼女を支えた。

 さすがに連日連夜続いてぐったりしたが、それでも気力を振り絞った。

 夜は必ずといってもていりから電話があった。

 毎夜二、三時間の通話はざらで、話の内容はていりに起る異常事態について新たに発見したことやどうやったら解決できるかなど話し合っていたが、日が経つごとにていりは異常事態の話題を持ち出さずあえて避けた。

 今日食った晩飯の話やら俺のバイトの近況、そんな大して面白くもない話題が続いたが、ていり的にはそれで満足らしい。

 彼女の歪んでしまった世界に、俺は正しい世界を必死で輸入しようとした。

 しかし、毎日数時間も話せば当然話題も尽きてくるものだが、「話さなくてもただ電話を繋いでいてくれるだけでもいい。わたしに構わずやることやってくれていいよ」とていりは言った。

 そうは言ってもていりと通話を繋いでいる以上、勉強など身が入るわけがない。

 今日も、気づけば深夜ゼロ時を回っていた。

「あー、悪い。そろそろ時間だ。試験勉強しないと」

「あ……もう、そんな時間……」

 ていりのしょげた声がスピーカー越しに漏れる。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、集中して勉強しないとお互いにとってよくないという思いに迫れていた。

「せいくん、せいくん。来週、髪、切ってね。伸びてきたんだー」

 ていりが慌てたように二の句を継いだ。どこか繋ぎとめるようだった。

「もうそんな時期か」

 カット。ハサミを持つ自分を想像すると、自然と胸の昂ぶりが声に出ていた。

「わたし、髪伸びるの早いよね。えっちなのかな、えっちなのかな。だから世界がえっちなのかな」

「アホ。そんなわけあるか」

「次の髪型はどうしよう。せいくん、どう考えてる?」

 心の冷静な部分で、ていりが俺の気を引くためにカットの話題を持ち出したのは想像がついた。

 そしておそらくていり自身、髪を切られるということが自分にできる俺のための最大の貢献だと考えているようでもあった。

 高校生という貴重な時期に、アマチュアに髪を切らせる女子校生など早々いない。

 世の中にはプロに万札を払う子だっているのだから。

 結局、その日は髪の話題で夢中になって午前一時まで電話をした。

 勉強はできなかった。

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