第2話 吸血少年、いや青年。

 握りしめたナイフが白い欠片を水へと溶かしていく。銀色の刃を這って滴り落ちた。道中で変種の野良犬を蹴散らしたため、血の付いた柄は少しパリパリとした感触を残している。雪で拭ったが、完全に綺麗にはならないものだ。

 取り壊しが決まった町はずれの廃工場には、油で出来た虹色の水たまり。季節外れのスニーカーで白んだ地面を軽やかに踏みつけた。氷点下でも固まる事の無いそれはパシャッと音を立てて散らばる。

 廃工場の奥地で、ぼろぼろの寝台に猫のように身を丸めている。真っ黒い髪の毛と瞳がこげ茶の東アジア人。薄いシャツと身長と不釣り合いな長白衣。養殖施設の箱部屋から連れ出された時から着て居る服だから、すでにシャツも長白衣も薄汚れていた。

「ハロゥ、ケージ」

 髪の毛と同じ翼色を持ったサツキがそっと顔を上げて口を開く。母国語がダイニチ国であるはずなのに、異国のあいさつで出迎えた。

「俺は檻じゃない」

 否定をするが、決まりきったテンプレート。いつもと同じやり取りのため、サツキはいつも通りの事実を重ねる。

「僕を閉じ込めているのはキミだろう」

 鎖で繋がれた首元をチャリッと揺らして笑っていた。

「ところで今日で何日目? 覚えてなくて」

 起き上がるため体を滑らすと、彼の服や手からラムネ菓子のような色合いの錠剤が転がる。甘い夢から帰ってこない彼に、俺はずいぶん前から掛ける言葉を失っていた。

「指折り数える事をやめたんだな」

 寝台から降りた白い足がソロソロとコンクリートの床を引き擦る。人魚が初めて歩いた時みたいなおぼつかない足取りで、サツキは俺のもとへと歩み寄った。

「僕、まだ歩けるみたい」

 禁断症状で震えた手を伸ばされる。空を切る前に細い体を抱きとめた。とても同世代の男とは思えない白く鶏ガラみたいな姿は、見慣れたはずなのに触れてはいけないモノのようで脆かった。

「でも逃げられないよ。走れないから」

「……その翼で飛べばいいじゃないか」

 背にはカラスのような真っ黒い翼。肩甲骨が変形した飛ぶこともできない部位が、破れたシャツから付け根を覗かせていた。

「飛べない事を知っていて、キミはそういう意地悪を言うんだね」

 サツキの体温を両手で感じ健康状態を目視で測る。栄養失調気味という点以外は特に異常はないように思えた。

「献血の時間なんだろ。一週間に一度のやつ。……せいぜい殺さないようにしてね」

「殺すものか、サツキは立派な売りものなんだぞ」

 馴れ合うと、愛着が沸く。避けるべきなんだろうが、もう手遅れな気さえする。か細いサツキの体をやんわりと起こして、部屋に置いてある機械設備を操作する。べったりとくっついて離れないサツキは、必要に俺の肌を求めた。

「施設と違って好きなだけ血もクスリも飲めるのだけが嬉しいね」

 遠心分離器の準備をしている最中だと言うのに、サツキはそんな事を言って俺の首筋に噛み付いた。薄い皮膚はぷつりと切れじわりと痛む感覚。今に始まったことではないため、患部は既にサツキの噛み痕だらけである。

「成分献血みたいなモノだからな。吸血もドラッグも関係ない。あんたの体は自動的に俺達にはない酵素がつくられるようだ」

 もたれ掛るサツキを抱き留めながらチューブにセットされている針を点検する。それからチューブに繋がる機械のスイッチを入れて、ビンとチューブを真空にした。

「難しい話は分からないよ」

「それは悪かったな」

 食事中のサツキはいたって静かのため、彼の痩せ細った太ももに手を伸ばした。脈拍を頼りに太い血管を探し出し、チューブに繋がる針をそっと刺した。刺さった瞬間、サツキはピクッと体を震わせる。それから強く噛み付くから痛み分けみたいな気になってくる。

「ケィジは酒もタバコもクスリもやらないだろ」

「それがどうかしたのか」

 チューブを通ってサツキの真っ赤な鮮血が分離機に掛かる。ほどなくして、必要な成分だけをこし取った血液が滅菌した専用の瓶に流れ込む。

「だから甘いんだ。混じり気なく、健康的で」

「……それは、どうかな」

「あぁ、健康なんて言葉は上流階級の民だけか」

 嫌味とも取れる言葉の後には力なく笑うサツキの声が鼓膜に届く。

「僕は施設の食事と違って、美味しいモノが食べられるだけマシかもね。心は健康になっていく」

 どうみてもドラッグをかじってトリップすることだけが楽しみの生活は、心の健康とは離れていると思う。けれど言い返すのも億劫で口をつぐんでいた。

「生血なんて我がままを聞いてくれたのはケィジだけだよ。みんな合成血液ばっかり寄越すから」

 熱い舌が皮膚を這う。吸血に適した箇所を見つけ、また噛み付く。喘ぎ声にも似た吐息を耳元で聞きながら、分離機が逆回転になったのを確認する。

「合成血液が何からできてるか知ってる?」

 出涸らしみたいになった必要のない血液をまたサツキの体内に戻すべく、機械が自動的に輸血モードに切り替わったのだ。

「ヒトになりそこなって死んだ奇形児の血を機械で培養した血液なんだよ」

「……酵素は培養血液からは取れないのか」

 自分には上流階級のような学は無いので詳しい科学知識は持ち合わせていなかった。

「ガン細胞はディエヌエーの転写ミスから発生するバグなんだ。死んだ細胞は、はじめっから転写ミスしやすいって事さ。それに遺伝子をデザインされている僕たちが生きているからこそできる作用だってあるんだ」

「……難しい話は分からないんじゃなかったのか」

「ケィジは疑問形ばっかりだね」

 すべてをわかっていたら、きっとこんな生活はおくっていない。サツキに八つ当たりをしても意味が無いと知っているから何も言わなかった。

 機械がピピピッと作業完了のアラームを鳴らす。サツキの一部だった液体のビンを確認する。ちょうど百ミリ、約半本分。ビンを軽く叩き気泡を抜くと、サツキは「ケィジもいつかは僕を捨てるんだ」と静かな声で呟いた。〝食事〟を終えたサツキは微睡んでいる。抱きかかえたまま、機械を止めてビンに蓋をした。真空にしたビンを改めて見なくたってわかるほど少ない量に不安を覚える。日に日に少なくなっていく酵素を含んだ造血量を、カシラはなんて言うだろうか。――俺がサツキを捨てる時は、どうせ俺だってカシラに捨てられるんだろう。

「その時は俺も一緒に処分されるさ」

 眠りに落ちたサツキには聞こえて居なかったようだ。貧血気味の彼には酷い仕打ちのように思えるが、残念ながら俺だって死にたくはない。懐に隠していたビタミン剤を半分に噛み割って、血だらけの唇に転がしてやった。

 飲みきったのを確認してから、残りの半分は自分の口に放り込む。奇形なんかに俺達と同じ効き目があるかは分からなかったが、どうすることが最善なのか分からなかったから、自分と同じことをした。

 サツキを寝台へ寝かせた。鎖のせいで行動範囲が狭いせいか、だいぶ筋力は衰えているようだった。軽い体は本当に天使かなにかになってしまったかのようで、とても男性のものとは思えない体つきだった。

「おやすみ、」

 同情しているわけではない。ただ、自分がサツキの立場だったらと思うと、涙の一つや二つこぼれたのだろうか。そんな腹の足しにもならない言葉が浮かんで消えた。掃き溜めみたいな環境を少しでも良くしてあげたいとは思うけど、俺にはなにも出来なかった。


(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る