戦慄とカタルシス

「エルネス、カナタ、何かあったらよろしく頼むぜ」


 前方で馬を操るトマスの声が飛んできた。

 二人で相談して俺が馬車の後方を、エルネスが前方を警戒することになった。

 

 幌の向こうに通り過ぎた景色が流れていく。


 入り口周辺は奥の方に比べて木々の隙間が多い。

 そのため、十分な明るさがある。


 変化に目を向けやすく、何か起きても対応しやすい。

 やはり、一番危険なのは夜間だろう。


 完全に日が沈めば移動は困難で野営するしかない。

 さらに野営中は気を緩めることはできず、脅威に備える必要がある。


 幸いなことがあるとすれば、馬車で移動時間が短縮できることだろう。

 数日かけて歩いた道のりが一日で踏破できる可能性がある。


 それに自分の足で進まなくていいと考えるだけで気持ちが楽になった。

 

 トマスの馬はケガをものともしないように、力強く足を運んでいた。

 時速を測ることはできないが、歩く速さの何倍かのペースで進んでいる。


 集中力を切らさないように注意しながら、森の様子に意識を向け続けた。


 それからしばらくして、リサが声をかけてきた。


「大丈夫? 前はトマスもいるから交代するわ。少し休んだら?」

「ありがとう。それじゃあ少しだけ」 

「大森林のことなら、任せてくれていいわ」

 

 リサは得意げにいった。


 そこを離れて荷台の上を移動し、エルネスに声をかけようと思った。

 彼は集中して視線を配っているように見える。


「俺の方は異常なしでした。エルネスの方は?」

「……あっ、カナタさん。こちらも問題ありません」


 エルネスは静かに返事を返して、そのまま前方を向いている。

 彼の邪魔をしてはいけないと思い、荷台の真ん中あたりへ移動した。


 リサに見張りを代わってもらったことで、少し緊張が解けた気がした。

 危険の予兆を見逃してはいけないというのはプレッシャーに感じる。


 出発してから数時間が経過したところで、トマスが俺たちに休憩すると伝えた。

 道の途中にある開けた場所で休み、彼は馬に水分や餌を与えていた。 


 それからは途中で馬を休める時間を取りつつ、同じぐらいの速さで進み続けた。

 順調なペースで進み、周囲の様子が前回よりも速いペースで変化している。


 リサが見張りを交代してくれるようになったので、負担を減らすことができた。

 途中で彼女の説明を聞いて、メルディスに近づいていることが分かった。


 あまりの速さに馬の脚力に感動を覚えるほどだった。

 負傷することもあったのに、一体どんな身体をしているのか不思議に思った。


 順風満帆だと感じていたが、メルディスを抜けた辺りから日暮れが近づいているのが気になり始めていた。

 あと一時間か二時間ほどで、周囲は暗闇に包まれてしまうだろう。


 馬を走らせることはできるかもしれないが、それでは馬が潰れてしまうはずだ。

 トマスは言葉にしないものの、焦るような様子が伝わってきた。


「……どうしましょ、夜の森で馬車は目立ちすぎるわ」


 リサが不安そうに見張りをしている。

 あと少しで森を抜けられるという状況だった。


 薄暗くなってくると馬が怯んでしまうようでペースが落ちている気がする。

 いや、それよりもこれだけ歩き通したのだから疲労も関係しているか。


 自分にできることはそう見当たらず、リサと一緒に後方の警戒をしていた。


「カナタさん、こちら側をお願いします!」


 唐突にエルネスが大きい声を上げたので驚いた。

 いわれるがまま、荷台の前方へ向くとエルネスは馬車を下りていった。


 そして、火のついた松明を持って馬の先導を始めた。

 俺は急いで移動して前方の警戒についた。


 日が沈みかけた薄闇の向こうに森の出口が見えている。

 もう少しだ、もう少し。願うような気持ちになりながら、周囲の警戒を続けた。

 

 やがて、木々の切れ目が目前に近づき、そのまま通り過ぎていった。

 俺たちは何とか短い時間で大森林を突破することができた。


 エルネスが前を歩いているし、前方の警戒は必要ないだろうと思った。

 俺は後方を見守るリサのところに移動した。


「……何事もなくてよかった」

「そうね、運が良かったのかもしれない」


 リサはホッとするように息をついた。

 彼女が後方から視線をそらし、俺だけがその方向を見た瞬間だった。


 森の暗がりの中でマナクイバナがこちらを見ているのが目に入った。

 思わず戦慄を覚えるが、すぐにその場から姿を消していた。


「カナタ、何かあった?」

「……いや、ただの見間違いさ」

 

 リサを心配させまいと思って強がりが口に出た。


 森の外ならば危険は少ないはずだと判断して、醜悪な姿を忘れることにした。

 とにかく、無事にウィリデへ帰ってこれてよかった。

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