大森林を突破せよ

 オオコウモリを撃退してから脅威が訪れる様子はなかった。

 エルネスが打ち明けた話は深刻な内容だったので重く受け止めた。


 転移装置が生物に悪影響を与えているのなら対策が必要で、作った本人――つまり村川に話をしておくべきだろう。

 エルネスとはしばらく焚き火の近くで見張りをしていたが、彼がいつもどおりの様子に戻ってくれたおかげでそこまで気まずい思いをせずに済んだ。


 見張りは、俺→エルネス→リサという順番だったので、もともとエルネスの番になるはずだったあたりでテントに行くことにした。夜の気配は濃く、日の出まではずいぶん時間がかかりそうだ。


 テントの前に行って入り口を開けて中に入ると、右側でリサが横になっていた。

 彼女を起こしてしまわぬように物音を立てないよう注意する。


 今回は馬車の荷台に荷物を置かせてもらえたので、中のスペースが少し広い。

 この前と同じように上にはランタンが吊り下がっている。

 

 森の中にいた時ほど冷えを感じないので、ブランケットは使わなくてもいい。

 俺はリサと反対側で横になった。


 オオコウモリの相手をしたり、エルネスから難しい話を聞いたりしたせいか、目が冴えてしまってすぐに寝付けそうになかった。

 それでも疲れを取りたいので、目を閉じて身体を休めることにした。

 

 エルネスがいても気にすることはないのに、リサがいると緊張を覚えてしまう。

 年頃の男女が眠るには少し窮屈なスペースに感じた。


 リサはすでに眠っているはずだが、いびきや寝息が聞こえてこない。

 この距離で相手が起きているのなら、なかなかに気まずい距離感だ。


 寝つけない状態のまま、何分か経過していた。

 俺は眠ることをあきらめて、横になったまま身体だけでも休めることにした。


 目を閉じたまま、取りとめもないことを考えていると声が聞こえた。


「――ねえ、起きてる?」

「……リサ、何だか眠れなくて」


「大変なことになってるから、何だか怖くなってきたわ」


 彼女のしおらしい言葉に驚きを覚えた。


「誰だって戦争になりそうなら怖いもんだよ。それは普通のことさ」

「カナタはウィリデの人じゃないから、帰ってしまうの?」

「……わからない。でも、できる限りのことはしようと思ってる」


 それからリサの言葉はなかった。

 しばらくすると、寝息のようなものが聞こえてきた。


 俺も徐々に眠気を感じるようになっていた。

 少しずつ意識が遠のき、身体の力が抜けていった。


 それから目が覚めると、テントの外が明るくなっていた。

 ランタンの灯りは落とされている。


 マットレスのようなものが敷いてあるわけではないので、寝起きの身体は少しこわばる感じがする。

 リサはすでに起きたようで、彼女のいた場所には何もない。


 俺はゆっくりと立ち上がって、テントの外に出た。

 うっすらと雲が浮かんではいるが、気持ちのいい朝日が差し込んでいる。


 馬車の方に歩いていくと、吹き抜けていく風は涼しくてさわやかだった。

 焚き火は消火されており、燃えかすなども片付けられている。


 そのまま進むと、トマスが馬を撫でているのが目に入った。 

 丁寧で優しい手つきをしている。


「トマス、おはよう」

「おはよう、目が覚めたのか」

 

 彼は少し眠たそうな顔をしていた。

 旅先で剃るのは手間なようで、金色の口ひげがさらに濃くなった気がする。

  

「よく眠れたから、だいぶ疲れが取れた気がするよ」

「あんまり無理するな。こんな状況じゃ、みんな自分のことで手一杯だ」

「ああっ、ありがとう。なるべく気をつけるよ」

 

 俺はトマスに礼をいってその場を離れた。

 荷台の裏側に行くと、エルネスが荷物を積んでいる最中だった。


「エルネス、おはようございます」

「おはようございます」


 彼はにこやかな表情であいさつを返してくれた。

 とりあえず、昨日の一件が尾を引いていないようでよかった。


「……そういえば、リサはどこですか?」

「馬の傷口につける薬草を取りに行っています。さほど遠くではないそうなので、すぐに戻ってくるでしょう」


 エルネスの言葉で馬がオオコウモリに噛みつかれたことを思い出した。

 ケガを被った馬が気の毒だし、今は万全に動けないと困ってしまう。


 何か治療が施せるなら賢明な判断だと思った。

 

 俺は荷台に置いておいた荷物を確認してから、そのまま出発の時間を待った。

 それからしばらくすると、片手に草の束を握ったリサが戻ってきた。


「みんなもう出れそうなのね。ちょっと待っててもらえる」


 なにか手伝えることはないかと思い、馬の近くへ移動した。

 リサは両手で草の葉を握りつぶして、ペースト状になったものを馬の傷口があった場所に塗り込んだ。


「助かったぜ。大事な馬だからな。森のエルフの知恵ってやつか」

「……ええ、そんなところね」


 トマスは素直に感謝しているように見えた。

 リサは役に立てて少し照れくさそうにしている。


「それじゃあ、出発しよう。三人とも荷台に乗ってくれ」

「ああっ、わかった」


 トマスは御者台へつき、俺たちは荷台に乗りこんだ。

 馬に鞭を入れる音が聞こえた後、ゆっくりと馬車が動き出した。


「トマスの話では、途中までの進み具合で行程を変えるそうです」


 エルネスがおもむろに口を開いた。


「そうですね、順調に進むといいんですけど」

「ウィリデ側に抜ける前に日が暮れたら、メルディスに寄ればいいわ」


 エルフの二人は普通に会話するぐらいの元気があるようで安心した。

 二人とも弱気な素振りを見せていたので、しばらく心配していた。


 馬車は順調に進み、いよいよ大森林が目前に迫ってきた。

 不測の事態に備えて、魔術がいつでも使えるようにしておこう。


 ――全身を流れるマナに意識を向ける。


 ここ数日はそこまでたくさんの魔術は使っていないので、感覚は良好だった。

 今の様子なら、突発的なことが起きても問題ないはずだ。

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