行商人トマス その2
リサに案内されて見知らぬ街角をひたすら歩いた。
行商人の馬車を借りられたら、短い時間でウィリデに戻ることができる。
立派な建物だという水の宮殿近くを通過したが、日没間近ということもあって、周りに池や運河のある城のような建築物程度の印象しか持てなかった。
普段は国王などの重鎮がいるらしい。
リサはレギナの地理を完全に記憶しているわけではないと話したが、水の宮殿が目印になったこともあって、目的地をどうにか見つけることができた。
「市場の近くで宿屋があるのはこの辺ね」
周囲には薄闇が広がり始め、街灯に明かりが灯っていた。
リサが目星をつけた宿屋の入り口には馬車と馬があった。
「カナタさん、運が良かったですね。これはウィリデとフォンスを行き来している行商人のものです。話が通るか分かりませんが、交渉に行ってきます。人数が多いと不審に思われるので、二人は少し離れていてください」
エルネスは力強い眼差しをしていた。
傍から見て楽な話し合いになるとは思えない。
自分の身勝手で彼に負担をかけることを心苦しく感じた。
ただ、他に手段は思いつかなかった。
俺とリサは遠巻きに宿屋の入り口を見守った。
予想した通り、厳しい交渉になったのか、エルネスはしばらく出てこなかった。
それからエルネスが宿屋を出てくる頃には、すっかり日が沈んでいた。
戻ってきた彼の表情には疲れの色が浮かんでいた。
「やりました。ただ、ドワーフが乗るという条件をつけると通りそうになかったので、リカルドには申し訳ないですが……」
「とりあえず、ウィリデに戻って伝えられるだけでもよかったです」
俺はエルネスに頭を下げて礼をいった。
「手痛い出費になったので、しばらく依頼を片付ける日が続きそうです。カナタさんも手伝ってください」
「はい、喜んで手伝います!」
俺たちはそれからグランディスの方向に戻りながら、途中にあった食堂で夕食を取ることにした。
それなりに美味い料理だったが、状況が状況だけにあまり味わって食べることができなかった。
食後は夜のレギナを歩きながら、帰路についた。
一日が終わる頃にはずいぶん疲れが溜まっていた。
翌朝、俺たちは早い時間に準備を済ませて、宿屋を出発した。
部屋の窓から見た朝焼けに染まる景色は美しかったが、ゆっくり見とれているような気持ちの余裕はなかったと思う。
それから街の中を通って、レギナの外側にある城壁跡に向かった。
リサしか地理に明るくないので、最初から最後まで彼女に頼りっぱなしだった。
現役の城壁を抜けて、しばらく歩くと目的地に着いた。
小さなパルテノン神殿みたいな場所で、朽ちた石柱や岩壁が並んでいる。
リカルドはどこかと思ったが、すぐに柱の影から姿を現した。
希望を見つけられたからなのか、昨日よりも元気なように見える。
「これはカナタ殿。結果は如何ように?」
「馬車に乗ってウィリデに戻れそうだけど、リカルドを連れていくのは難しそうなんだ。ただ、必ずカルマンのことは伝えるよ」
彼がドワーフだから置いていくというのは言いにくいことだった。
「リカルドには申し訳ないですが、訳ありと思われて断られる可能性が高かったです。僕も必ず伝えることを誓いましょう」
「そなたたちは信頼にあたる者のようだ。信じよう。こちらこそ無理を言って申し訳なかった。わたしはカルマンに戻るわけにもいかず、かといってフォンスでは肩身が狭い。時間はかかるが、ウィリデを目指そうと思う」
リカルドは真っ直ぐな目をしていた。
おそらく、ウィリデならフォンスほど辛く当たる人はいないだろう。
「それじゃあ、リカルド。大森林は危険が多いから気をつけて」
「鍛冶と腕っぷしには自信があるゆえ、問題なかろうかと」
彼はそういって、鞘に収まった太い刃幅の太刀を握りしめた。
俺よりもはるかに太い腕が力強さを物語っている。
「それでは僕たちは馬車の時間があるので……どうかご無事で」
「ドワーフさん、夜の森には気をつけてよ」
俺たちはリカルドに別れの言葉を口にしてその場を後にした。
今回ばかりはリサのペースに合わせるというよりも自然に早足になっていた。
状況が切迫していることを考えずにはいられなかった。
俺以外の面々も同じような思いのようで、口数は少ないまま先へ進んだ。
市場の近くにある宿屋に到着すると、馬と馬車の前に見知らぬ男性が立っていた。
茶色のシャツと緑色のズボンに灰色のベスト。
腰回りのベルトに財布代わりのような大きめの布袋がぶら下がっている。
男性は金色の髪と口ひげを蓄えいて、年齢は30代ぐらいに見える。
その風貌を見てヴェニスの商人という言葉が脳裏に浮かんだ。
もっとも、彼はそんな悪どい人物ではなくただの行商人だろう。
「やあ、エルネス。今回はいい取引ができた。すぐに出発しよう」
エルネスから大金をせしめたのか、彼はご機嫌そうに見える。
軽やかな足取りで御者台へと向かった。
「それでは行きましょう。二人とも馬車に乗ってください」
俺とリサはそそくさと馬車に乗りこんだ。
エルネスは行商人と会話を交わしてから加わった。
生まれてはじめて馬車に乗ったが、何とも不思議な感じがした。
上の部分は完全に幌で覆われているものの、前後の入口と出口の部分は筒抜けな作りになっている。
大森林を通るのに心伴いように見えるが、普段はどうしているのだろう。
余計なお節介を考えていると、馬車が動き始めた。
テーマパークでアトラクションが開始するようなワクワク感が湧いた。
「おれはトマス。生まれはウィリデで親が行商人だったから、フォンスにはよく来てた。今も仕事で行き来してる。今回はよろしく」
「はじめまして、カナタです。今回は引き受けてくれ助かりました」
「商売だから気にしなくていいって。ところでいつもなら万全の状態で森を抜けるんだが、今回は突発だから安全対策が万全じゃない。客のあんたにも馬車を守ってもらうから、そこんとこよろしく」
トマスは言い終えるとムチを打った。
馬は反応よく鳴き声を上げて足を運び始めた。
「……というわけで、僕とカナタさんの魔術で危険から守らなくてはなりません。トマスが急ぎで引き受けてくれたのは金額面だけでなく、それも条件に入っています」
エルネスは申し訳なさそうな顔をした。
「いえいえ、馬車が見つかっただけでもよかったので」
そのへんのことにこだわっていたら、レギナを発てなかったはずだ。
とにかく、ウィリデに戻れそうなだけでも良かっただろう。
「うーん、馬車は目立つから守るのは大変よ」
リサが悩ましげな表情を見せていた。
「ええ、それを承知の上でトマスは引き受けてくれました」
「……エルネス、一体いくら払ったの?」
リサの質問にエルネスはにこにこと微笑むばかりだった。
俺はウィリデに帰ってから、彼の手伝いをしっかりやろうと心に誓った。
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