第56話 祭りの終焉と各プレーヤーの勝敗(五)

 ネロが一瞬躊躇したが、結局諦めた。ネロが十条の向かいに座ると、列車が再び動き出した。


 十条は窓のカーテンを開けた。今にも降り出しそうな曇り空が広がっていた。

 ネロが不満そうに口を開いた。


「これが十条さんのやり方ですか」

「そうだ。現時点で幸福に手を伸ばすのは、これがベストだ」


 ネロが十条を責めた。

「安易の間違いではないですか」


「今回の事件の主導権をとっているのは黒幕と“楽園の求道者”。被害者は幸福。いや、対戦相手というべきか。我々は、ゲームに便乗しているに過ぎない」


 ネロが非難めいた口調で詰め寄った。

「なぜ、参加して勝とうとしないんですか」


 十条はネロを試した。

「パースィマンの目的はわかるか」


 ネロが憮然とした表情で、断言した。

「幸福株の信用取引による売却益でしょう」


(鋭いようで、まだまだだな。まあ、鍛えればものにはなりそうだか)

 十条はさっきの会話から得られた材料から、パースィマンの目的を説明する。


「株取引は、ほんの一部だ。市場に流通する幸福の株式は、膨大だ。今度の件にしても、下げ幅は限定的だろから、どっかの誰かの思惑が絡めば、儲かると限らない。おそらく、パースィマンと黒幕の当初の目的は、ニュイジェルマンの買収。いや、ニュイジェルマンの株主企業が絡んでいるなら、黒幕が幸福からニュイジェルマンをそっくり買い取る手伝いだろう」


 ネロが予想していなかったのか、驚きの声を上げた。

「なんですって」


 ネロが驚くのも無理はなかった。十条も、黒幕がニュイジェルマンの出資企業だとわかったから出した答えだった。経験の少ないネロに想像が付かなくても、しょうがない。


「ニュイジェルマンの浮動株は、信用取引で儲けるには流通量が少な過ぎる。流通量が少ない株は、チョットした反動で値幅が動く。スキャンダルを利用して株価を下げて、下がった価格で幸福が持っている株を全部引き取れば、ニュイジェルマンが安く買える。幸福にすれば、下がった値段で売っても、今までのもたらした利益と不正のクリーニングができるなら、元が取れる。会社が必要なら、人員を引き上げて、新たにまっさらなのを作ればいい」


「でも、そんな会社、買収して価値があるんですか」

 ネロの反応は理解できる。不正に利益を上げるための会社なんて、不正が明らかになれば、価値はあって無いような物だ。


「今回の件で株価が下がればPBR(株価純資産倍率)が一・〇倍前後になるだろうから、会社を清算すれば、損は出ないか、微々たるものだが利益が出る。だが、うまみは別のところにある。ニュイジェルマンは、幸福にとっては一ゴミ処理施設でしかない。が、ニュイジェルマン自体は、ベルイジュンにいる権力者とのパイプを持った組織だ」


 ネロが険しい表情で、早口に確認してきた。

「欲しがる奴がいるということですか。でもそれなら、危険を冒さず買取を持ちかければいいのでは」


「普通に交渉すれば、幸福はニュイジェルマンを売らなかっただろう。売れば自分達の弱みを他の企業に曝しかねない。だが、今回の騒動で状況が変わった。幸福としては、ニュイジェルマンを早く処分したいはずだ。幸福がニュイジェルマンを売るとしたら、良い関係にあり事情を知る会社だ」


 良い関係にあり、事情を知る会社は、普通は幸福の味方だ。味方に裏切られた幸福は被害者なのかもしれないが、風紀ではそういうのを脇が甘いという。


 今日の敵は明日の友であり、今日の友は明日の敵なのだ。

 十条はネロが余計な捜査をしないように、さきほどパースィマンに見せたリストとは別の、同じ内容が記載された紙のリストをネロに渡した。


「リストの対象者が、今後の私達の監視相手だ。リストの誰かが幸福を裏切り、騒動を仕組んだ黒幕だ」


 そうそうたる企業名が載るリストをネロが見ながら、十条に尋ねた。

「ラストを輸出した幸福は、どうなるんですか」


「どうなるか」と聞いたネロだが、表情からは十条の答がわかっているようだった。

 十条は淡々と結末を告げた。


「一課と向こうの弁護士が制裁金の額を決めて、手打ちだろう」

 ネロが十条の出した答えに怒を露わにして、声を荒げた。


「制裁金っていっても、名ばかりのじゃないですか」

 ネロの指摘はもっともだが、十条にしても、現状では深追いする気にはなれなかった。


「そうだな。制裁金は刑罰じゃないから、そのとおりだ。今、目の前で起こっているのが、企業責任の追及の実態だよ」


 ネロの口調が、企業責任の現実を知って、トーンダウンした。

 ネロが怒りと悔しさが混じったような表情を浮かべた。


「制裁金の行方は」

「国庫に入って、風蓮や五紀の提供する財やサービスとなって、国民に還元される。ベルイジュンの適正処理には、使われることはない」


 十条に言っても仕方のないことはわかっているのだろうが、それでもネロは、静かな怒りの声を上げた。


「実態を明らかにして、責任を取らせない。三十年も進歩しなかった原因じゃないですか」


 長年ラストを不法投棄された、ベルイジュンの国民の声が聞こえた気がした。結局、得をしたのは風蓮五紀市の人間であり、被害を受けたのはベルイジュンの人間だ。


 負担は弱者に押し付けられた。ありふれた構造であり、十条がずっと戦ってきた問題でもあった。残念なことに完全な解答はいまだ得られていない。


 ネロに対して風蓮五紀の現実を教えるしか、十条には言葉がなかった。

「風紀の設置による制裁金制度の運用。風蓮五紀の国民が出した、三十年の答だ」


 ネロが十条も恨むように見て、低い声で問いかけてきた。

「被害を回復させようとは、思わないんですか」


 被害の防止が不可能なら、被害の回復をさせたい。十条の心も同じだが、現実は違った。


「風紀はもちろん、向こうの政府も望まんだろう。もちろん、類似事件の牽制にはなる」

「真相を解明しないつもりですか」


 十条だって、真相を解明して罰を加えられるなら、加えたい。されど、相手は死に体の敵ではない。“楽園の求道者”も黒幕も英気みなぎる巨大な敵だ。


 解決に時間が掛かれば、他が野放しになる。

「時間と人員を投入すれば、可能かもしれない。だが、手が限られている。もし、一人になっても捜査を続けたいのなら、やるが良い。ただ、終了のベルまで、幾分もないぞ」


 ネロが事件の終わりを実感したのか、悔しさを覗かせて呟いた。

「今回の騒動はこれで終わるんですか」


「そうだ。終わった。今回の件で、これ以上に被害が広がることはない」

ネロが真っ直ぐな瞳で十条を見て、強い口調で確認してきた。


「それでいいんですか」

 ネロといると、痛い事実を指摘される。ときおり、ウンザリするが十条は、ネロが必要だ感じた。


(ネロの考えは私の原点だ。私は誓いを立て戦ってきたが、どこか闘志がくたびれてきたのかも知れない)


 ネロとの会話が停まり、外には珍しい雨が降ってきた。

 雨は激しくなり、列車の窓を叩く。社内には次の停車駅のアナウンスが始まった。

理想はわかっている。現実も理解している。いや、理解して気で足を止めていたのかもしれない。


 十条は立ち上がった。

「次で降りるぞ、他にも案件は残っている」

 ネロが不満そうな顔のまま黙って立ち上がり、十条に続いて駅を降りた。

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