第51話 ヒゲとトリックと十条の罠(四)

 ネロが話の流れにはない質問をした。

「黒幕が我々を襲わせたと?」


 事件の概要はわかったが。完全ではなかった。

 十条にもまだ、襲撃事件の全体像は確信が持てない部分があった。


 結論を急ぐネロを十条は嗜めた。


「おそらく、そうだが、そこはもう少し慎重に考えたほうが良い。今回の件からしても敵は途中で分裂している。黒幕にしても、敵の敵側にしても、我々や処分場で銃撃戦をするメリットが不明瞭だ」


 十条は真田に市場の動きを聞いた。

「真田。監視を続けていた幸福やニュイジェルマンの株価と、信用取引の売り残の動きを報告してくれ」


 真田は残念そうな表情を浮かべながら、見解を粛々と披露した。

「結論はグレーです。立入検査当日に株が異常な動きを見せました。が、数時間で勢いがなくなりました。大規模場な介入を途中で回避したものと思われます。二社とも株価は下がっていますが、市場全体の傾向も同調しています。取引量は増えていますが、処分場での戦闘後、大掛かりな仕込みは見えません」


(スキャンダルを利用して、ニュイジェルマンや幸福の株価操作が目的ではないのか。目的が株価にないにしても、目の前には金が落ちている。なぜ、誰も拾わない。処分場での戦闘の結果が影響したのか)


「仮に、株価操作を行っていたとしたら、スキャンダルが公になって、利益はどれだけになっている」


 真田が瞬時に値段を弾き出した。

「単純に考えて、幸福で十億円±十%、ニュイジェルマンで三億円±二十%。程度だと思いますが」


(時間もかけて仕掛けが大掛かりな割に、約十三億円の儲けか。敵の規模も目的も不明だが。黒幕も敵の敵もかなり投資している。こいつは他にまだ何かあるな)


「真田、地民の帳簿データから、何かわかったか」

「端末の経理データにも、問題はありませんでした。もっとも、処分場のデータは、四ヶ月間だけしかありませんでした」


(敵は用意周到にして、最短ルートを進んでいる。無駄がない)

 十条はいない角の代わりに、厳に尋ねた。


「厳、処分場にいた傀儡助のほうは」

「傀儡助は、ほぼ間違いなく、前回俺達を襲撃したものと同一人物が操作していた。と、思っていいそうだ。また、データは自壊処理で消えているのが、ほとんどだった」


 処分場の持ち主は、誰の手に何の情報が渡っていいいか、を吟味している。

 カラクリは見えてきたが、肝心な部分は隠れたままか。


「そうか。収穫は思ったより少ないな。各自、引き続き頼む、以上だ」

 十条は一度、部屋を出て、枝言霊を取り出し、リンダに考えた策略の手伝いを依頼する。十分もしないうちに、OKのサインが返ってきた。


(今度は振られないでくれよ)

 次の日、十条は拘置所からグロサムを連れ出し、警察所の取調室で面会した。


 グロサムは取り調べ慣れしていた。グロサムは拷問もないせいか、不機嫌な顔はしていた。顔には疲労の様子はなかった。


 十条はおざなりに声を掛けた。

「昨日はよく眠れたかい」


 何も答えないので、十条は逮捕時に厳が撮影したパースィマンの写真を出して見せた。

「こいつに見覚えは」


 社長が目でパースィマンをしっかり確認してから、即座に答えた。

「知らないね」


「なら、いい。今日で、あんたは釈放だ。これから手続きに入る」

 釈放と聞いて、グロサムは訝しがった。


「何を考えている」

 策謀を胸に秘めたまま、努めて冷たい言葉を投げた。


「別に、ただ、あんたは処分場の持ち主で立て篭もり犯と無関係だとわかった。だから、釈放する。問題はない。写真の奴にも見覚えがないのなら、前回の風紀に対しての襲撃にも、無関係だ」


 グロサムが十条の言葉に、疑わしげな視線を送ってきた。グロサムは黙って数秒十条の顔を見ていたが、やがてぶっきらぼうに返事をした。


「それは、どうも」

 釈放されたグロサムは、ネロの手で警察の会議室に連れて来られた。


 グロサムは警戒していた。ふてぶてしい態度で十条と対峙した。

「釈放されたんだろう。まだ何か用か」


 涼しい態度を取って、グロサムから視線を外し、答えた。

「残念だが、私はあんたを知らない」


 グロサムが十条の言葉を聞いて、怪訝な顔をした。

 素っ気無く伝えた。


「おまえがヘンリー・グロサムだと証明するものは、もうない」

 グロサムには十条が何を言いたいのかわからないようだった。


「速水は強盗犯として極刑になるだろう」

 十条の言葉を聞いて、グロサムの顔に怒りが浮かぶ。


「やつも単なる従業員だ」

「そうだとしても、どうでもいいことだ。あいつは強盗犯だ」


「俺は速水が従業員だと証言する」

 挑発的に、グロサムが罠に掛かった事実を伝えた。


「わかってないな。警察ですら、お前の本当の身元が割れないんだ。お前は、お前が社長のヘンリー・グロサムだと証明できるのか。釈放されてしまえば、ヘンリー・グロサムの痕跡は、お前がサインした供述調書にしか存在しない」


 グロサムが吼えた。

「警察官の証言や映像記録があるだろう」


 十条は今まで、てこずらされた思いを乗せて、言葉を掛けた。

「警察官は果たして、何か見たのかな。映像記録も風紀で押さえているが、果たして写っているかどうか」


 グロサムが十条の狙いをようやく理解したのか、目に敵意が宿る。

「騙したな」


「おいおい、おかしなことをいうな。グロサムがサインした供述調書には、強盗の被害者だとあったろう。ただ、速水が従業員だという記述がなかったがな。まあ、弁護士が入っていれば、調書の不備に簡単に気がついただろうが」


 グロサムが吐き捨てように言い放つ。

「そう簡単にいくか」


 グロサムの変貌を気にすることなく、最後の一押しを加えた。

「いくだろうな。奴は体調が悪いようだ。明日、病院に連れて行って、全身のCT検査を受けさせる。それが何を意味するか、仲間のお前にわかるな」


「何のことだ」

 グロサムは平静を装って言ったつもりだろう。けれども、一瞬、動揺の色が浮かんだのを、十条は見逃さなかった。


「速水が書類上は存在する人間だ。そう、純然たる『人間』だ。何をいいたいか、速見の仲間のおまえになら、わかるな」


 十条は特に『わかるな』の部分を強調し、グロサムの表情を窺った。

「俺を脅すのか」


 グロサムの目が吊り上がり、滑稽さが消え、口調には凄みが出た。グロサムの態度の変化は、十条の言葉が脅しとなって効果があったのを表していた。


 十条は冷酷にグロサムにとるべき行動を促した。

「お前を脅しても、無意味だろう。お前はもう釈放されたんだ。だが、ここでもう一度聞こう」


 再びパースィマンの写真をグロサムに提示し、強い口調で伝えた。

「こいつが、どこにいるか知らないか」


 社長は十条を睨み付けたまま、何も言わなかった。

「まあいい。よく考えることだな。明日までに」


 十条は部屋からグロサムをネズミのように追い払った。

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