第49話 ヒゲとトリックと十条の罠(二)

 十条は電気を半分消して書類の整理と読み込みをしていた。すると、扉が開く音がした。


 音がした方向を見た。暗がりの中に、疲労にとりつかれ顔を苦痛に歪めた寵が入ってきた。


 寵の疲労は服にも伝播したのか、制服にヨレがあった。

 部屋の時計は午後十一時を回っていた。


(そろそろ頃合いか、情報を整理しに下に降りるか)

 何も言わずに席を立ち、角のいる工場のへ向かった。


 工場に降りると、角が処分場から回収した、壊れた傀儡助の解析作業をしていた。

 角が十条の姿を見ると、手を休めて、何も言わずに、三人分の飲み物の用意を始めた。


 角がまるで、事務室での出来事を見ていたかのような発言をした。

「午後十一時か、寵の奴、結構かかったな」


 十条はテーブルを拭き、席の用意をした。

「ああ。でも、角も遅くまで働いているじゃないか」


 角が冷えた五百mlのグレープジュースの缶を、十条の指定席の前に置いた。

 次いで、角がやって来るであろう寵のためにビールを置いて、自分用のお茶を沸かし始めた。


 角が我が家でくつろいでいるように、感想を述べた。

「傀儡助いじりは遊びのようなものさ、仕事という感覚はない」


 ほどなくして、扉が開いた寵がイスに座ると、缶ビールを開け、飲み干した。

「こんなに掛かるとは思いませんでしたよ」


 角が寵をからかった。


「たまには今日の会議は短かったと、聞いてみたいもんだ。それで、マスコミが持っていた情報は、どうだった」


 寵はビールで、喉が滑らかになったのか、話し出した。

「マスコミにはテープがカラス型の人造霊に括り付けられ、午後三時頃に送られてきたそうです。カラス型人造霊はテープを外すと自壊しました。送られてきたテープの長さは全部で、四百八十二秒。撃合いがはじまってから、厳さんが到着する前までになります。マスコミで裏取りを始めて、現場に着いたのが午後六時だそうですよ」


 十条が処分場を引き上げたのが、午後五時頃だった。

「ちょうど、風紀と警察が引き上げた後ぐらいに、マスコミが処分場に行ったのか」


 寵は風紀で公表する、今後は真実となる創作話を、意味ありげに披露した。


「会議で決まった風紀の見解です。処分場を根城とする不法滞在者の地下銀行がある、との情報提供があり、風紀が内偵。踏み込む前に、敵対する勢力が奇襲したのを警察と共同で逮捕した、という話に落ち着きそうです。まあ、最終決定は一時間後の会議ですよ」


 寵の話を聞いて鼻で笑った。


「少し前ぐらいに、どこかで聞いたような話だな。まあ、早く火を消したい人間なら、そういう案を出すな」


 寵が十条にしっかりと念を押した。


「でも、マスコミ発表は今晩の予定です。今回の件は、表向きには、警察が調べる流れになりそうです」


 十条としては、あまり警察に前面に出て欲しくなかった。警察が入れば「単なる抗争事件で、解決しました」という話にされかねない。


 黒幕か敵の敵どちらか片方でも捕まえないと、完敗と同意義だ。

 深く息を吸い込んだ。


(でも、警察が表に立つのはしかたないか。事件の真相が中途半端に伝わると、幸福には過剰な傷を与えかねない)


 単に企業を敵として、攻撃し続ければいいわけではない。やり過ぎは、経済に影響し、金の巡りを悪くする。過剰制裁は社会に損害を与えかねない。


 十条は政治がわからない人間ではなかった。


「社長の存在以外、処分場としては落ち度はなさそうだしな。警察が表に出るのは、仕方ない」


 寵は十条の心配事を見抜いていたのか、付け加えた。


「ご心配なく。華はやりましたが、実はとりました。警察の本部長から取調べは風紀優先でという、密約を取り付けてあります」


 寵の交渉力は仕事を円滑に進める上での潤滑油だ。チームに政治ができる人間がいると重宝した。派閥や権力争いがある風紀内では、ある意味必須スキルであり、寵にはスキルが備わっていた。


(さすがは寵だ。押さえる所は、押さえてあるか)

 取調べは手段でしかない。十条は事態の好転の兆しは薄いと感じていた。


 十条は寵に率直な意見を求めた。

「寵、この事件、どう落ち着くと見ている」


 寵は目線を、ビールの缶に落とし、静かに意見を述べた。

「事件は解決しますよ、表面的にはね。それで、先輩の考えはどうです」


 十条の考えも、似たようなものだった。

(大負けはしないが、大勝ちもない、いつもの解決法だ)

 小さな一敗は問題ではない。トータルで勝てば良い。


 トータルで勝つには、常に優秀な人材を揃える必要がある。ネロは候補の一人だ。

 視線がずれ、剥き出しの配管が走る天井へと視線が行った。


「やはり、政治的決着になるだろうな。ただ、ネロにどこまで見せるか、だな」

 角が、また関係ないとばかりに発言する。


「いつも、いつも、勝つわけじゃない。たいていは灰色の政治決着。政治決着が受け入れられないなら、どの道風紀では生きてはいけない」


 寵を見ると良い顔をしていなかった。

「私はネロ君を見ていると、賛成できませんね。まあ、先輩に任せますよ。それでネロ君が変な騒ぎを起こそうというなら、私が全部、潰してみせますよ」


「ありがとう、心強い」


 寵が不確定要素を持つ人材を嫌うのは知っていた。特に寵は裏切りを警戒しているようだった。


 寵の態度は猜疑心が強いというより、裏切りの悲劇を知っているからだ。

 十条も部下が裏切られた過去があったが、適正な処理ができた。例え、口外できないような非道処理でも必要ならできた。


 角が大きな赤色の湯飲みに、残っていた二杯目の茶を注ぎながら、世間話の続きのように、発言した。


「お前さんはネロを仲間に入れる気だろう。ネロを入れるのは、武功を評価してか」

 ネロの評価を聞かれ。今までの出来事を思い出し、講評した。


「荒事も運転も得意で、捜査もできる。だが、奴を加えたい理由は、他にある。志だ」


 十条は、己とネロを比べていた。


「今までの風紀のやり方は否定しない。だが、弱者のためにと志を持つ人間が一人はいたほうが、私達は道を誤ることがないような。そんな、気がした」


 十条の言葉に角も寵も静かになった。

 

 静けさのからいち早く帰ってきたのは、風紀に思い入れが一番薄そうな角だった。

角が虚しさの篭った言葉を吐いた。


「社会の正義と、利益の葛藤。風紀二社支配体制の前には、川に浮く笹舟の如しだな」


 寵が十条と全く別の評価を下した。

「先輩からネロ君の評価を聞いたら、ネロ君はなおさら、ここにいるべきではない、と思いますが」


 角と寵の意見は理解できる。ネロと行動を共にしなければ、十条とて違った考えを持っただろう。


 十条は久しぶりに笑った。

「二人とも手厳しいな。もう少し温かい目で見てやったらどうだ」


「まあ、お前さんがそう思うなら、そうしたらいい」

 角が外の視点から物を言い。


「教育係としての先輩を、信頼していますよ」

 寵が管理職として物を言う。


 十条は寵と角の態度に苦笑した。

「温かい目で見ても、その程度か」


(ネロが暴走する可能性は考慮していないわけではない)

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