第33話 幸福は遠方に輝く(七)

 風紀委員会ビルの地下には、車両を整備する整備班が詰めている部屋があった。他にも五課の人間が使う車両や、装備等を扱う部屋が別に三つあった。


 内二つの部屋には主がおり、趣味に合わせた物が置かれていて、工場と呼ばれていた。


 十条は第一工場の扉を開けた。第一工場の中には、傀儡助のパーツがマネキンの展示場のように綺麗に並べてあった。


 別の棚には武器、モーター、エンジンが、ショップ顔負けに、陳列されていた。

 部屋には十条が入ってきた金属製の扉の他に、駐車場に続くシャッターがあった。


 シャッター前には風紀の名が入った新しい塗装が施された装甲車が一台停車していた。


 十条と同じくらい背丈の、長い白髪で、白衣で風紀の青い腕章をした角が、装甲車から出てきた。


 角は厳の兄だが体格はまるで逆だった。角の顔はかなり年を取っているのか皺だらけで、昔話に出てくる魔女のようだった。


 角が十条を見てかすれた声を出した。

「こんな夜更けに、何の用だい」


 十条は古い木製の白丸テーブルの前にある、いつもの席に腰を下ろし、足を伸ばした。

「帰る前に角に会いたくなってね」


 角がフッと笑うと、工場にあるコーヒー・メーカーから、コーヒーを淹れた。

「弟が言うように、仕事がうまくいってないようだな」


 仕事がうまくいってないと十条は夜に角を訪ねて、愚痴をこぼしにきた。

 角はいつも十条の言葉を黙って聞いてくれた。ただ、助言の類は言った例がなく、まれに言っても有用ではなかった。


 それでも、角は風紀では長い付き合いであり、古くからの戦友の一人だ。十条は角に軽口を叩いた。


「一応、仲間だろ。他人事みたいに言うなよ」

「残念ながら、他人事みたいなもんだよ。わかっていると思うが、企業の不正なんて、私にとっては、どうでもいい」


 角が言い終わると同時に、部屋の扉が開き、少し皺が寄った制服を着た寵が入ってきた。


「そういうことは、表じゃ言わんでくださいよ、角さん」

 寵を見た十条は、親しみを込めて係長を名で呼んだ。


「寵も来たのか」

 気心が知れた集まりの時だけは、十条は係長を寵と呼んだ。


 寵が普段事務室にいるときには見せない、寛ぎの表情をしていた。

「何か、足が向きましてね」


 お盆にコーヒーを載せた角は、もう一人の来客用に、横の小さな冷蔵庫から、缶ビールを出した。


 角が少し面白そうにからかった。

「二人ともここに来るとは、いよいよ手詰まりらしい」


 十条はカップに注がれたコーヒーを夕食代わりにすべく、角砂糖を多めに入れ、クリームを加えた。


 黒い表面のコーヒーに浮かぶ、ミルクの粒子が浮かび上がり、ゆっくりと沈んでいった。


 謎は未だ多いが事件は進展している。事件は前に進んでいるが、騒動の黒幕の姿が未だに見えなかった。


 いつかは見えるだろう。見えるだろうが、手が届くとは限らない。

 甘いコーヒーを一口すすり、十条は正直な感想を述べた。


「そうだな、三人とも工場に揃う時は、そんなもんだ」

 寵が運ばれてきた缶ビールを受け取ると、プッシュと良い音を立てて缶を開けた。


「十条先輩のほうも、うまくいってないんですか」

 外見からすると、寵が年上に見えるが、実際は違う。ベルタ災害の影響を受けた十条のほうが年上であり、経験も長く、寵に現場を教えたのは十条だった。


 十条の本当の経歴は風紀の五課でも知る者が少なく、十条も隠していた。

 他人の目がない時、十条が寵と名で呼ぶように、寵は十条を先輩と呼んだ。


 十条は寵に聞き返した。

「も。ってのは、やはり一課は、もう戦後処理を考えているのか」


 寵は俯き加減で感想を述べた。


「ええ。幸福クローバー・インダストリーは、幸福クローバー・グループの関連企業ですからね。幸福クローバー・グループは風蓮五紀より小さくとも、昔からある企業ですからね。海洋庁にも財界にも、影響力があります。ですが、今回はコネクション・カードも使わないようです。そっちはどうです、先輩」


 カップの中のコーヒーとミルクのカオスを揺らしながら、見解を述べた。

「正直、難しい。真田も同意見だった。一課の様子じゃ、新見といえど、強制捜査で幸福の足元には手が届いても、喉元には届くかは微妙だ」


 寵が残りのビールを飲み干すと、情報を切り出した。

「気になる情報が一つ。知り合いから聞きました。風紀が襲撃を受けたのは、ニュイジェルマンの捜査と関連がある、というニュースが、近ぢか小さいメディアですが、報道されるようです」


「ゴシップ系のメディアじゃないとしても、襲われた車両が風紀で、捜査の帰り道なら、疑いたくもなるのが普通だろうな」


 寵は少しだけ顔を上げて、上目使いに発言した。

「それがですね、知り合いは、ニュイジェルマンの他に、幸福が絡んでいるのかと、探りを入れて来たんですよ」


 コーヒーカップを持つ手が止まった。ニュイジェルマンが対象であるという情報の漏れはあるだろう。だが、幸福の関与はまだ部外秘だ。小さなメディアなら知らないはずだ。


 幸福か騒動の黒幕の内部で、仲間割れからの情報リークがあったとも考えられなくもない。けれども、そんな棚から牡丹餅みたいな展開が起きるとは思えなかった。


 誰かが駒をまた一つ進めたのだろう。


 十条は確認した。

「おかしい。幸福が絡んでいる状況を知っている存在は、そうはいない」


 寵が頷いた。

「ウチの係り以外で、幸福の存在を疑ってい人間は、新見以外は、一課長より上の連中だけですよ。ですが、風蓮派、五紀派共に派閥に動きがありません」


 幸福は風蓮や五紀系ではない。意図的な駆け引きで、上の連中が情報を流す状況は自らのキャリアに傷をつける事態になりかねない。


(ウチらが知らないところに、内部告発者がいるのか。いや、それとも罠か)

 ニュイジェルマンや、幸福の派閥抗争や内部分裂の線も頭に浮かぶ。けれども、可能性はやはりどう考えても低かった。ベルタ関連の不法取引の話は、企業にとって毒にこそなれ、薬にはならない。


 下手すれば死すらある。企業で生きる人間として、メリットはない。

 角が相変わらず茶飲み話でもするかのように、寵の言葉にそれとなく、付け加えた。


「知っている人間は、ニュイジェルマンと幸福の上層部。いや、小さなメディアの記者が知っているのなら、情報通の人間になら広まっている可能性があるな。いっそ、知り合いとやらに、出所はどこか聞いたらどうだ」


 寵が困ったような顔して、角の案をやんわりと退けた。

「角さん。記者とは信頼と緊張感を持った関係でしてね。材料があるなら別ですが、こちらから身を切り売りするわけには、いかないでしょう」


 手詰まり感がある状況下で、記者との取引も考えた。

(まだ、その時期でもない。下手をすればマスコミだけが得をする事態になる)


 十条は寵に確認した。

「記者が内部告発者を確保している、とかなら話は違うんだが」


 寵は残念そうに、肩を竦めて答えた。

「いや、そんなレベルの話ではなかったですね」


 告発者が存在するなら、情報も旨味がます。裏取りもできれば、真実か嘘かがわかる。もし、罠でも告発者が実在するなら、罠を逆手に取れる。


(確かに、美味しい存在がいるのなら、寵の口からすぐに吹き出すだろう)

 空になったカップを机に置いた。


「残念だな。内部告発者がいたのなら、取引に応じるんだが。なら、今は仕舞っておこう」


 寵が思い出したように、話題を変えた。

「そうそう、カラカラ君から連絡がありました。三日後には戻れるそうです。カラカラ君、今回は、ほとほと困っていましたよ」


(懐かしい名だ。そう言えば、しばらく見てないな。あいつ、局長の許可の元二課の人間と犯罪者を追いかけて海外を飛び回っているんだっけ)


 十条は何の気なしに尋ねた。

「そういえば、あいつ、今どこにいる」


 寵はリラックッスしながら、笑顔で答えた。

「結局、シンブルド、ゴルドバス、カルナデテと来て、ダーシュエンで目的達成だそうです。全く過酷な出張ですよ」


 ターシュエンと聞いて、すぐに世界地図が頭に浮かんだ。

「ダーシュエンといえば、隣はベルイジュンだな」


 十条の発言に寵は十条の考えを察したのか、おそるおそる確認する。

「まさか。先輩。カラカラ君に」


 十条は楽しそうに、名案を披露した。

「三ヶ月以上、外国にいたんだ。帰国があと少し先になっても、いいだろう」


 後輩の寵の顔から、部下を案じる係長の顔に変わった。

「ベルイジュンは外務省が観光客に渡航自粛を呼びかけている国ですよ」


 ベルイジュンが危険なのは知っているが、特殊工作員の経験もあるカラカラは、ある意味、最適の人選である。


 十条の心は決まった。

「危険なのは否定しない。でも、シンブルドのように熱心な過激派もいなければ、半内戦状態のカルナデテよりは安全だ。そう、カラカラが周って来た国に比べれば、とても安全だ」


 寵がとんでもないとばかりに首を振った。されど、十条の決断は変わらなかった。

「危険地帯への旅行は、カラカラが適任だ。いや、奴しかいない。真田に何を調べればいいか連絡取らせて、カラカラをベルイジュンに送り込め」


 寵がカラカラの身を案じてか、お茶を濁してこの場を収めようとした。

「わかりました。前向きに検討します」


 十条は寵の発言を許さなかった。十条は厳しい口調で命令した。

「検討ではなく、決定しろ。そうじゃないと、奴は拒否する。海外出張九十日も半年も同じだ。奴は勝手に行ったんだ。嫌だというなら九十日分、空けた穴を、ベルイジュンで取り戻せと言え」


 寵が過酷な旅が続く、部下を思い祈りの言葉をブツブツと呟いた。

 寵の呟きを聞いて、角がコーヒーカップを軽く持ち上げた。


「晴れてチーム・十条は全員出動だな」

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