第31話 幸福は遠方に輝く(五)
十条は次にネロに話を振った。
「一課の動きを、説明してくれ」
「一課は四日後ニュイジェルマン本社へ、家宅捜査を実行します。ただ、一課は幸福とニュイジェルマンとの関係について、一切言及していません。一課の目標は、ニュイジェルマン不正取引をどこまで遡れるかに絞っています。今回の取引の不正については、ニュイジェルマンの工場長が認めておりますが、経営陣は態度が不明確で、過去分については争う構えを見せています。どこまでいけるかは、強制捜査しだいでしょう」
厳はフンと鼻を鳴らし、一課を批判した。
「まあ、やれるとこまでしかやらないのは、一課らしいな。じゃあ次に、襲撃犯のことだが――」
ネロが厳を制止して話を続けた。
「待ってください。船員の足取りについて報告があります。向井の足取りですが、妙です」
正直、十条は向井や船員の足取りを、ネロが追えると考えていなかったので、ネロの発言は少し驚きだった。
「釈放後の足取りが、わかったのか」
「いえ、わからないんです」
ネロの言葉を聞いて十条は失望したが、ネロの言葉には続きがあった。
「わからないというより、不自然です。まず、釈放される向井を見た人間はおろか、タクシーを使った形跡、誰かが迎えに来た形跡がないんです。釈放された時間が午前一時という時間帯から考えて、列車やバスは使えません」
(確かに、交通機関や車を使わずに、海洋庁から移動するのは合理的じゃない。あと考えられるとするなら、海洋庁の職員の車で移動するかだ。だとすると、海洋庁の内部にやはり、内通者がいる。それもおそらく、中堅幹部以上。本当なら厄介な展開だ)
厳がネロの報告に対して、疑惑の目を向けた。
「お前の調査、漏れがあるんじゃないのか」
寵が立ち上がり、窓の外を向いた。
関係ない方向をおもむろに向くのは、寵が表沙汰にできない事情を話す時、いつもやる仕草だ。
寵が誰も見ずに、誰に言うわけでもなく、窓に向かって話し始めた。
「海洋庁のある人から聞いたんだが、向井の話は、海洋庁の中でも話題になっているらしい。向井は釈放されたんじゃなく、海洋庁から忽然と消えたという話だ」
寵の言葉を聞いて、ネロが食いついた。
「脱走ですか。海洋庁からの脱走なんて、可能なんですか」
寵の話がピタリと止んだので、十条は代わりに答えた。
「海洋庁には難民や違反者を拘留するための部屋があり、体制も万全だ。簡単には脱走はできない。もっとも、警察ほどじゃないから、内部に手引きする人間がいれば、いくらでも可能だが」
ネロが険しい顔で問いかけた。
「海洋庁と幸福の繋がりは」
「当然ある。というより、風蓮五紀で貿易に関する事業をしているなら、海洋庁と繋がりが全くないのはおかしい」
十条はネロに答えたものの、疑問はあった。
(海洋庁を迅速に動かす力は、確かに幸福にはあるだろう。けれども、真田が指摘するように、万全の対策を立てている幸福が、そんな高価なカードを早々と、今、切るだろうか。向井が脱走したのではなく、騒動の黒幕に連れ去られた可能性もある)
寵が十条をチラリと見ると、また誰にも視線を合わせず喋り出した。
「現場に対する企業がらみの圧力は、なかったらしい。少なくとも、向井が消える前まではな。確かに捜査状況に探りを入れる程度はあった。でも、向井が消えた後の処理については、保身か圧力かはわからないそうだ」
誰にもわからず、向井が消えたのなら橘の対応は納得がいった。
厳がネロを真剣な表情で見た。
「これは消えた説が有力だな。他に何かわかったか、ネロ」
「他五名の船員なんですが、釈放後はバラバラになっています。三名は釈放後すぐに船員斡旋業者を訪ねて、橋を渡って別の船に乗るそうです」
橋の向こうは外国なので、捜査するには時間も手間を要する。
(外国に出たのか。怪しいといえば、怪しい。とはいえ、金も家もない外国人船員なら、すぐに次の船を探すのは、当然の行動ともいえる)
ネロが残りの船員の行方を告げた。
「残り二人は、三日後、別の船に乗員として乗るのがわかりました。二人の身柄を確保しますか」
ネロが判断を求めるべく、十条を見たので、聞き返した。
「お前の見た印象は」
「単なる雇われ船員で、積荷も向井の行方も何も知らないようでした。船が違法輸出をしていたのも、海洋庁から初めて聞いたそうです。捕まえても、なにも出ないと思います」
十条は即断した。
「わかった。一課に五名の船員について教えてやれ。ウチらでは追わない」
ネロが座り最後に残った厳の番になった。
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