第29話 幸福は遠方に輝く(三)

 仕事に掛かる前に、部屋を離れ、一人で枝言霊に届いたメールをチェックした。

 着信が一件あった。送信者はリンダからで、短いメッセージがあった。


『恋人に振られる』


(尾行を頼んだリンダが、撒かれた。まいったな。事態が一向に好転しない。久々に骨が折れる展開になりそうだ)


 一週間後、十条はニュイジェルマンに関する資料を紙媒体、電子媒体を構わずに集めていた。資料はかなりの量に昇った。


 増え続ける資料は十条と真田の机では足りなかった。空き机は勿論、普段は使われない角や厳の机の上にも、積まれていった。


 不意に、十条は誰かに呼ばれたような気がして、顔を上げた。

 書類の山の上から、ネロの褐色の顔が出ていた。


 ネロが部屋に詰まれたダンボールを見渡し、感心したように、声を出した。

「よく、強制捜査前に、こんなに書類が集まりましたね」


 資料に目を戻しながら、教えた。

「一課の新見は通称・底引き網の新見って言われていてな。書類集めは得意だから、任意でも家一軒分くらい集める。雑魚から大物まで、な」


「それで、何かわかったんですか」

 所々に、銀色のペンをでなぞった。ペンでなぞられた箇所は一瞬青く光った。

 ペンにはメモリーズというベルタが使われており、光りを近くで見たもの記憶にインデックスを作成する機能があった。


 ペンで記憶に重要箇所の情報を書き込みながら、別の資料を開き、話し続けた。

「ニュイジェルマンの親玉は見当が付いたし、次に何をやればいいのかも、わかってきた」


「本当ですか」

 ネロの声には期待が滲んでいた。


 あえて、詳しく教えなかった。

(新人君、事態は簡単にはいかんのだよ。証拠があっても逃げられる。世の中は不条理に満ちている。不条理を乗り越えるのは、大変なのさ)


 敵の一人、ニュイジェルマンの親玉は、おそらく幸福クローバー・インダストリー。ニュイジェルマンの出資企業の一人。


 出資企業が犯人というのは、よくある話。よくある話だからこそ、犯人が出資企業の場合、事態発覚後、言い逃れるための対策は組まれている事態が予想できた。


 十条の懸念は他にもあった。


(相手が幸福だけなら、ミスをしないかぎり、勝てなくても、負けはしない。だが、幸福は公道で風紀を襲うような根性はない。となると、騒動の黒幕のほうが問題だな)


 区切りがついたので、資料を真田に渡すスペースに置いた。

 は顔を上げ、本音を伝えず、サラリと流した。


「だが、まだ旨そうには見えるが、絵に描いた餅だ。一課の動きは、どうだ」


 ネロが黄金の虎が掘られた黒い手帳サイズの金属製の塊を取り出した。ネロが金属の塊を軽く叩くと、金属塊は軟化して、無数の切れ目が入った手帳へと早変わりした。


 ネロが手帳へと代わった物体からページを捲って答た。

「四日後、ニュイジェルマンに対して、一課は強制捜査が行います。ニュイジェルマンは今回の罪を認めています。が、以前の分については、態度を明らかにしていません」


(まあ、落とし所を探したいニュイジェルマンにとっては、妥当な判断だ。だが、判断が速い。事件発覚時のマニュアルまで作ってあったのかもしれないな)


 一般的な見解を口にした。

「強制捜査でバレなければ、過去については逃げ切るつもりなんだろう」


 ネロが闘志を燃やしているように強く宣言した。

「そうはさせませんよ、絶対、強制捜査で証拠を掴んでやりますよ」


 ネロの言葉を聞いて、十条はネロに呆れた。

 十条はネロを諭した。


「お前はいつから、一課の人間になったんだ。まさか、強制捜査を手伝うつもりなんじゃないだろうな」


 ネロが冗談なのか、本気なのか、残念そうな顔で発言した。

「本来なら参加したいですけど、そうもいかないでしょう」


「当然だ。こっちは二日後に、とあるベルタ処分場に立入検査に入る。十八時から立入検査の打ち合わせをするから、それまでに、情報を纏めておけ」


 黒い目を輝かして、自信を込めてネロが答えた。

「わかりました。任せてください」


 部屋から強い足取りでネロが出ていった。

(ネロは陽の当る場所で、正面から捜査をしたいのかもしれない。五課四係に採用になっても、転属願を出すかもな)


 ネロにちょっとした哀れみ感じた。転属願はおそらく、通らない。

 もし、通ったとする。一課に配属なったネロはしばらくすれば、警官を退職させられたのと同じ法則で、風紀も去らなければいけなくなるだろう。


 十条の隣にいた真田が、作業をしながら呟いた。

「ネロ君、なんだか楽しそうね」


「あいつは正義の行動派だからな。捜査とか検査が嬉しいんだろう」

 真田がファイルを捲るように一度読んでから、メモリーズの入ったペンを七種類使い分けて、次々となぞって行った。


 記憶にインデックスを作るメモリーズは脳に掛かる負荷が大きいため、普通の事務員でも二種類以上使うと記憶障害を起す事態がある。だが、真田は七種類を普通に使いこなせた。


 ネロより風紀をよく知る真田が辛辣に感想を漏らした。

「正義の人か。正義で風紀が勤まるかしら」


 真田の意見はもっともだった。十条の仕事は清く、正しく、美しく、とはいかない。


 半ば願を込めて言葉に出した。

「願わくは、勤まるだけじゃなく、使える奴でもあってくれればねえ」

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