第四章 幸福は遠方に輝く
第27話 幸福は遠方に輝く(一)
ネロと風紀に戻ると、部屋では真田が一人、机で作業をしていた。
真田は二十代後半の丸顔の女性で、髪を後ろで結わえていた。デスクワーク中心に仕事をしているためか、肌も白かった。
真田は五課では珍しく、常時風紀の制服を着た、落ち着いた感の人物だった。真田の制服の色は赤。赤い制服は、逮捕や捜査に関らない事務官である事実を示していた。
「おはよう、真田。係長は」
真田が資料を作成しながら、興味なさげに答えた。
「さあ、今朝、一度だけ会っただけで、どこにいるのか」
真田に限って、聞き漏らしはないと思う。とはいえ、十条は念のために確認した。
「今、追っている件は、知っているか」
「厳さんと係長から、だいたい聞いたわ。今、ニュイジェルマンの株の動きを洗っている」
ネロが真田の言葉を聞き、十条に見解を求めてきた。
「今回はニュイジェルマンの株価暴落を見越しての情報提供だと」
「可能性があるなら、疑う」
真田の作ってくれた資料に、目を通す。確かに、株価の値動き出来高とも、不自然には見えなかった。
ニュイジェルマン株は大半が安定株主が持っているので、流通量は比較的少ない。少ないので、値動きは同規模の会社に比べれば動き易いはずだった。
(相場が静かだ。アングラではまだ情報が廻ってないのか)
十条に渡された資料を覗いていたネロが、小難しい顔をした。
「株価や値段はわかりますが、他の値は何ですか」
真田がネロの素人ぶりを、微笑ましく笑って説明した。
「指標を表す言葉や専門用語だから、勉強しないと無理ね。例えばPBRは株価純資産倍率といって、株価を一株当たりの株主資本で割った数字。株主資本は簡単にいえば、会社を清算したときに残る価値。PBRが一を割り込むと、株価のが清算時に貰える金額より安い。つまり、会社を清算しても、理論的には利益が出るのよ」
「つまり、買い手にとって、低い方がいい」
真田がネロの素人意見に苦笑した。
「高いほど期待されているともいえるから、PBRだけではなんとも言えないわ。他のデータや指標も見ないとね。安定した株主がいて、株を簡単に手放さなかったり、発行済みの株式が少ないと、流通する株は減る。そうなると、株価は大きく動き易いしね。だけど、数字の意味を知る人にとっては、ある程度の目安にはなるわ」
十条は真田のミニ講義中に、厳を呼ぶために、地下の工場に内線電話をして部屋に呼んだ。
厳は庁舎内でも、防護用のボディスーツを着ているが、ガスマスクは外していた。
ガスマスクを外した厳の風貌は、まるで退役後も日々の訓練を欠かさない軍人のような、風格があった。
厳が世間話でもするかのように尋ねてきた。
「何か進展はあったか」
「誰かが賭け金を上げてきた」
厳が鬼のような笑みを浮かべると、普段使わない机に座った。
「そいつは、向こうさん、えらく強気だな。兄貴は来ないぞ。新規傀儡助のデータ入力と慣らしに没頭している」
傀儡助はコンピュータとベルタ技術を応用していた。梱包を解いてすぐの傀儡助は、踊りでも踊らせるのなら別だが、戦闘では使い物ならなかった。
使い物にするためには、操縦者が日数を掛けて調整や、慣らしをする必要があった。必要な日数は、傀儡助が人に近ければ近いほど、日数を要した。
十条は席の卓上カレンダーに目を落とし、日数を計算した。
「傀儡助八体に、哨戒小型ヘリのパーツ交換か、再来週の月曜までは駄目だな」
厳もカレンダーを見ながら難しそうな顔で、意見を述べた。
「そうだな、十日は欲しいところだ。何か急ぎか」
今回は危険が大きい。戦力は常に満タンにしとくべきだ。
十条は厳に指示した。
「傀儡助はいつ使うか、わからないから、そっちが優先だ」
十条は真田と厳に海洋庁での出来事を話すと、厳の顔が曇った。
「なるほど、早いうちに一課を表に出したのは正解だったかもな。ある程度まで既成事実を積み上げて置かないと、力業で土台から崩されかねない」
いくら証拠を積み上げても、権力の介入があり、知らないうちに消える事態はあった。されど、証拠は有力であればあるほど、多ければ多いほど、頑強さを増す。
何もしないよりは、数段良い。
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