第24話 疑惑の海洋庁(六)

 三時間後、十条はネロとパースィマンを伴って、拘置所から出てきた。

 パースィマンは満足げに、太陽の光を体いっぱいに浴びると、大きく両手を組んで頭上に伸ばした。


 横で顰め面をしている不機嫌なネロとは対照的に、パースィマンは爽やかだった。

「ヤッパリ、外はいいですね。金も無事に返ってきた」


 十条は連れない相槌を打った。

「それはよかったな」


 パースィマンは丁寧に折り畳まれた紙幣を、ポケットから取り出し、十条に見せた。

「さて、大事なお金も戻ってきたことですし、昼飯でもご馳走しましょうか」


 サラリと断った。

「流石にそれはまずいだろう」


 パースィマンは、悪戯をした子供のような顔をした。

「細かい点を気にするんですね」


「ああ、気にするね。それはお前の金じゃない。お前の顧客の金だろう。顧客の金を流用するのは、金融業としてはいただけない」


 十条の言葉を聞いて、パースィマンはどこか満足げに、お金を大事そうにしまった。


「お客の金は、別勘定が原則ですしね。じゃあまた、何か機会があったら、お会いしましょう」


 パースィマンは正面の道路に出ると、軽く手を挙げた。ちょうど一台の黄色いタクシーが来たので、拾って乗り込んだ。


 タクシーを見ながら、ネロは呟いた。

「あとでも尾けますか」


(考えることは同じか)

 ネロと一瞬だけ目を合わせて、十条は駐車場へ歩きは初めた。


「さあ、次は海洋庁だ。直接いくから駅のほうへ頼む」

 街の中心部から、海洋庁に行くのに車を使うと、片道二時間近く掛かった。


 地下鉄でエキドナ山の麓まで行き、乗り換えでエキドナ山の地下を走る特急列車を利用すると、片道四十分で海洋庁の基地付近まで行けた。


 地下鉄は古くから風蓮五紀を走っていた。が、エキドナ山を掘り抜いたトンネルを通る区間の列車は、開通してから十年ほどしか経っていなかった。


 地下鉄は古くは市営で、乗客の足であるとしか考えていなかったが、列車は能率鉄道という外資系企業が運営しているので違った。


 駅も有名建築家が設計しており、凝った作りになっていた。

 地下鉄から列車に乗り換える地下通路を歩いて来ると、ある地点で古びた地下道から華やかな地下街に変わった。


 最近では能率鉄道が、市から地下鉄運営を請け負うようになり、地下鉄事業にも参入してきた。おかげで、地下鉄のサービスは良くなり、市民からの評判も上々だった。


 能率鉄道は野心家で豪腕のオーナー、ウォン・日枝(ひえだ)の支配下にあった。能率鉄道は、自社のレール規格を広げ、東部経済圏の統一規格を狙うほどの大企業にまで成長していた。


 能率は六年前から、東部経済圏の地下手や列車のレールの規格を巡って能率主導の陣営とサクセス・ライン率いる他企業陣営と競争関係にあった。


 勝者こそ、現在進行しているダーシェンから始まる、六カ国間横断鉄道計画というビック・ビジネスを制する。


 ビジネスを制するためには両陣営とも参加国の支持集めに躍起になっていた。現在の情勢は能率二、サクセス二、検討中二となっており、白熱していた。


 列車の駅は待合室から改札まで、天井の空間を大きく取ってあった。天井からはステンドグラス越しに日光が降り注ぐ、モダンな造りだ。


 待合室はショッピング・モールと直結しており、地元の人間も利用する。が、観光の名所にもなっていた。


 ネロが駅を見回し、感想を述べた。

「結構、人がいますね。ラッシュ時は大変そうだ」


「まあな。だが、灯台へと続く特急は全席指定だから。混雑とは関係ない」

 海洋庁に向かう特急に乗る改札口は、他の駅のホームとは別の入口にあり、回転扉式になっていた。


 回転扉部のセンサーに切符をかざすと、回転扉は動き出し、一人ずつ回転扉を潜った。


 十条は回転扉の改札口を使わなかった。一番左の駅員のブースがある入口に、切符代わりに身分証をかざすと、駅員が切符を渡した。


 切符は指定席で、番号が書いてあった。

 ネロも十条の後に続いて、切符を受け取った。


 電車のホームには塗装された木製の彫刻をあしらったベンチが、等間隔で置かれていた。


 床のタイルには巨大な草原と動物達が写実的モザイクで表してあった。


 床の絵を天井に填められた、スリガラスから降り注ぐ太陽の光が、隈なく照らしていた。夜になれば、設置されたガス灯を模した照明が点灯し、ホームは別の顔を映し出す。


 ホームは上り、下り、二本の電車が到着できる。

 ホームを挟むように二本の線路があり、転倒防止のために、列車が到着しないと開かないスライド式のドアが設置されていた。


 十条とネロがホームに降りてくると、メロディが流れ、三分としない内に青色の列車が到着し、ドアが開いた。


  列車の中はレースのカバーが掛かった、肘付きのフカフカとしたシートがペアになっていた。シートは前後に少し広めの間隔で設置されていた。


 席に着くと体に掛かる荷重が分散される素材が使われているので、体がゆっくり沈み、フィットした。


 ネロがシートの感覚が初めてなのか、座って数秒ほど、体を前後に揺らしていた。

「なるほど、高級感がありますね。でも、税金で乗っているとなると、気が引けますね」


 十条はネロに注意した。

「気が引けても、身分証で乗れ。入口に回転扉があったろ。真上に黒い球体が設置されていたのを憶えているか?」


「ええ、確かすべての入口に設置されていましたね」


「ベルタ技術を応用した、武装感知センサーが仕掛けてある。お前の銃や、ベルタでできた私のブーツは、即座に引っ掛かる」


 ネロがいささか、過剰過ぎる対応に、げんなりしたようだった。

「風蓮五紀の改札は、全てそうですか」


「ここまでの装備が導入されているのは、エキドナ山から灯台前の一部の区間だけだ」


 ネロが格差を実感したように問いかけた。

「金持ちが利用する区間だけですか」


「今から十年前に、エキドナ山の下を通る、エキドナ潜りの区間が開通した。区間が開通する前に、能率鉄道に対して、爆発事件と脅迫が行われた」


 ネロが事件を覚えていたのか、すばやく反応した。

「能率鉄道の日枝CEOは、凄腕で野心家でしたね。巨大犯罪組織との関係も噂さされていますね。もしかすると、単なる脅迫ではなかった、と」


 能率鉄道の日枝に関する黒い噂は、巧妙な印象操作のせいで、一般的には知られてはいない。おそらく、風蓮五紀市で日枝のイメージを聞いても、よい言葉しか返ってこないだろう。


(誰かの受け売りではなく、日枝を疑い、巨大犯罪組織と関係する噂話まで辿り着けたのなら、ネロの情報収集能力はザルではないようだな)


十条は心を隠して、言葉を続けた。


「真相はわからんさ。狙われたのが、エキドナ潜りの区間だった。能率鉄道は安全性をアピールするため、銃器を持ち込ませない仕組みとして、今あるセキュリィティ設備を導入した」


 ネロが何か気が付いたような顔で、疑問を口にした。

「あれ、でも、能率鉄道を狙った犯行グループは、速やかに逮捕されましたよね」


「犯行グループ逮捕と利用客の増加。セキュリティによる不便さが目立つと、コストと効率の関係で、セキュリティの導入は、途中でストップされた」


 ネロが納得の表情を浮かべた。

「以前にそんな事件があったから、武装警備員がいたんですか」


 確かに、駅員事務室の奥には、能率鉄道の企業私兵である武装警備員の部屋があった。

 有人改札、駅員事務室、警備員室の扉は、一直線に設置されていた。


 それぞれの扉の上部には窓があったが、窓を通して、ドアの前を通り過ぎる警備員の姿が見えたとは思えない。


「武装警備員が見えたのか」

 ネロがいたって普通に答える。


「見えたというより、私服の警備員とすれ違いましたから」

(こいつ、そんなとこまでわかるのか。もう、目がいいというレベルではないな)


 正装の武装警備員なら、姿を一目見たら判断できる。が、私服は見ただけで判断できない。


 待合室に私服はいると、予測できても、私服警備員とすれ違ったかどうか、なんてわからない。


 ネロの感想を信じられず、問うた。

「私服で銃を持った奴なら、犯罪者かもしれないだろう」


 十条の当然の疑問に、ネロは思い出すような仕草で答えた。

「敵意を放っている者。追われている者。見張っている者。皆、気配が違うんです。警察時代に、命懸けで身につけた技ですよ」


(気配で武装と危険度を感じ取ることができる、だと)


 ベルタを浴びた人間の感覚や、反射が極端に上昇する現象は知られている。だが、ネロの言葉が本当なら、能力は一段上だ。誇大広告でなければだが。


 売り込み文句を素直に信用するほど、お人好しではない。とはいえ、全てを疑い期間損失を出すような愚か者でもなかった。十条は部下として相応しいかネロをじっくりと見極めるつもりだった。


 列車内にメロディが流れ、出発を知らせるアナウンスが流れた。

 十条とネロが乗る下り列車がホームから発車し、エキドナ山を貫く長いトンネルの闇に入っていった。

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