第23話 疑惑の海洋庁(五)

 扉が開き、緑色の正規の制服を着た年配の男が入ってきた。男はオールバックの黒髪で、釣り目、端正な顔立ちをしていた。


 写真だけ見せられたら、独裁国家の親衛隊長といった雰囲気だ。が、男の目元には疲れの色が滲んでいた。男は四係係長の寵だ。


 寵は疲れを吐き出すような口調で、部屋の中いた、十条とネロに挨拶した。寵は席に崩れるように座った。


 寵が一呼吸おいて、誰に話すでもなく、愚痴り始めた。


「馬鹿げている。本当に馬鹿げている。風紀は俺の仕事人生の三分の一を会議室で椅子の上で過ごさせたいのか。これには何かの拷問か。夜の夜中まで会議して、今朝も早くから会議だ。いっそ、会議係を作る議案を提出したいね」

    

 ネロの褐色の顔に興味の色が浮かび、寵の側に移動した。

「昨日の事件ですね。何か決まったんですか」


 寵が一瞬だけネロと目を合わせたが、すぐに視線は上に向かい、天井に向かって話し出した。


「ああー、ネロ君か。とりあえず、今回の襲撃事件と君達の捜査は、ハッキリしたことがわかるまで伏せる。ニュイジェルマンの不正輸出に関しては今後、一課の新見補佐が捜査の指揮を執ると、決まったよ。本当に昨日の昼から始まって、やっと終わったのに、決まったのがそれだけだよ、まったく」


 ネロの声が少し高ぶり、切れ長の目端も上がった。

「それは俺達に、捜査から外れろ、と言っているんですか」


 寵は機嫌悪そうにネロに言い放つ。

「言葉通りだが、額面通ではない」


 寵は目を瞑ってしまった。

 席を立ち、ネロに声を掛けた。


「そういうわけだ。ネロ、行くよ。捜査は続けるが、表に立つのは一課だ。私達は裏で動く。いつもの形態だ」


 十条はキッパリと宣言した。けれども、寵は訂正するわけでも、停めるわけでもなく、同じようにタダ黙って、目を閉じたまま座っていた。


 部屋を出ると、十条のやり方を何となく理解したネロが、直ぐに後からやってきた。


「それで、これからどこに行くんですか」

「こじれる前に、パースィマンを釈放する」


 十条の答にネロは驚きを隠せなかったのか、すぐにネロ声が小さくなった。

「捜査を指揮するのが決まった一課に秘密に、ですか」


 ネロの小声に構わずに、普通に言ってのけた。

「一課がパースィマンをがんじがらめにする前にだ。釈放する書類は揃っている」


 ネロが相変わらず小声で抗議を続けた。

「パースィマンはまだ、何かを知っている可能性があります。我々を襲った襲撃犯についても、何か知っているかもしれません。今、パースィマンを放すなんて、無謀です」


 ネロの言葉は正論だ。十条はパースィマンを釈放するつもりだが、タダでお見送りする気はなかった。当然リンダにパースィマン尾行させて、背後関係を探るつもりだったが、ネロにはまだ手札を全てオープンにする気になれなかった。


「釈放はパースィマンとの約束だ。今回の件が終わっても、仕事がなくなるわけじゃない。信用は宝なんだよ」


 ネロがまだ何か言いたそうだったが、十条の命令に従うべく、車を出しに行った。

 ネロがいなくなったのを十条は確認した。


(目だけじゃなく、どうせ、耳もいいんだろう)

 人目を避けて十条は枝言霊電話を取り出した。枝言霊の頭を撫でると、枝言霊の顔にリンダと表示された。


 枝言霊の耳触り、メール送信モードにした。枝言霊の上に出現したキーボードに、片手で素早く用件を打ち込む。


「お客が帰る、送迎を頼む」とパースィマンの尾行を依頼するメールを送信した。

 すぐに、枝言霊が震え、リンダから了解を知らせる空メールが返って来た。


 パースィマンを泳がせるというのは、あまり勝算のある賭けではないのは理解していた。リンダの諜報能力は高いが、今回の場合、騒動の黒幕はかなりの策士だ。


 当然、尾行対策済みだろう。同時に釈放をしない場合も対策済みだろう。

 後者が選択された場合、どこから攻められるかわからない。下手に待てば、後手に回る。なら、いっそ、分が悪くても、展開が読める勝負をするほうが、まだ勝率は良い。

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