第21話 疑惑の海洋庁(三)

 再び車に乗り込み、委員会ビルに戻るため、エキドナ山を越えた。空が赤から夜の色へと染まっていった。


(エキサイティングな一日だ。検査が予定通りに進まない事態はよくあるが、今日ほど壊れた展開、になったのは久しぶりだ。しかも、まだ、ニュイジェルマンの親玉、騒動の黒幕、どちらの姿すら見えてこない)


 ネロがラジオの音を下げ、今日の出来事を振り返るように話しかけてきた。

「十条さん。結局、襲撃犯は誰だったんでしょうね。海洋庁の船員は本物なんでしょうか」


 十条は素直な見解を述べた。

「海洋庁のが本物ぽいな。明日になれば、襲撃犯の遺体の鑑定が出るだろう。死体の鑑定結果が分かっても、なぜ厳も狙われたのかが謎のままだがな」


 ネロが持論を述べた。

「厳さんのほうに、証拠があると勘違いした、とか」


 ネロの指摘は、十条も可能性として検討したが、棄却した考えだった。

「違うだろうな。仮にそうだとしても、証拠の始末なら、海洋庁の連中も一緒に襲わなきゃ、意味がない」


「俺達が手に入れた、不活性化ラストを測定したデータが目的だった。敵はデータを十条さんが持っているのか、厳さんが所持しているのか、区別できなかった。だから両方を襲った」


 ネロの次なる意見も、十条は検討していたが、既に破棄していた。

「データを取られてまずかったのなら、クレーンを操縦した厳達とこちらを間違えるとは思えない。仮に襲撃側にミスがあって、区別ができなかったとする。だがどうだ、現物は船ごと海洋庁に引っ張られたんだ。コピーだけ処分して、なんになる」


 本日、何度目かの疑問を自問した。

(なんで、風紀だけを襲って。海洋庁はスルーなんだ。海洋庁はニュイジェルマンの親玉か騒動の黒幕、どちらかと繋がりがあるのか)


 車がホテル、ブル・アンド・ベアのネオン輝く看板を通り過ぎた。大きな建物が二つの山を作って立ち並ぶ風蓮五紀市の町並みが大きく見えてきた。


 街は襲撃事件があったせいか、帰りの人間達によって、少し早いピーク時を迎えていた。が、ビルに入るテントの明かりが減はしなかった。


 街の人間に危機意識がないとは思えない。ただ、大多数の街の人間は決められた時間働かねばならないという、意識が強く刷り込まれているのだろう。


 ネロが再び口を開くが、口から出たのは別の話題だった。

「十条さん。今回のような襲撃は、頻繁にあるんですか」


 即座に否定した。


「そんな訳はないだろう。だとしたら、あんなにマスコミが集まってくるはずがない。少なくとも風蓮五紀市の公道で、武装集団におおっぴらに襲われるなんて、ここ十年は聞いていない」


 ネロが淡々と本日の感想を述べた。


「警官になって最初の一月で、初めて銃撃戦を経験しました。その時、ああ、これは大変な所に来たなと思いました。ですが、風紀は配属されて一週間経たない内にロケット砲を正面から打ち込まれました」


 ネロにはっきりと仕事上の危険を告知した。


「今回のような危険な状況は、五課にはある。辞めたくなったか。だったら、死体になる前に、今晩にでも辞表を出せ。今回は、あからさまに危険だ。正直、ここまで堂々と、敵対的行動を取られたのは、私の経験でも数えるほどしかない」


 ネロがここで辞めれば戦力は明らかに低下する。

 覚悟があって踏みとどまる奴なら「死んでも仕事を全うしろ」命じるが。覚悟ができず、辞めたい人とぼやく人間を死地に行かせる真似はしたくなかった。


 ネロが静かに答えた。ネロの言葉には、怯えや失望の類は全く感じられない。

「命が危険に晒されるなんて、橋の向こう側で警官をやっていれば、しょっちゅうですよ」


 十条は新人にありがちな、思い違いを諭した。


「風紀の名を聞いて思い浮かぶイメージで入ってきたのなら、広報の連中がいかに優秀かは理解できたろう。広報が言うのも事実だ。ただ、奴らが宣伝しているのは、エリートさんが作った、表で働く一課~四課のもので、陽の当らない五課のものではない」


 ネロがただ呟いた。

「そうでしょうね。風蓮五紀が嘘の上に成り立っている、とは言いません。ただ、風蓮五紀市の企業は、本物以上によく見せる技術には秀でているようです」


 十条にはネロの考えがわからなかった。とはいえ、襲撃を経験してやっていけないと感じているなら、自覚させすぐに引導を渡すのも務めだ。


 ストレートに聞いた。

「お前。ここでやっていけそうか」


 ネロの言葉に、怖れはなかった。

「正直、三日ではまだなんとも。体のことなら心配なく」


 怖れないから勇敢だとは限らない。怖れを感じないのは、死を招く勘違いである可能性もある。


 十条は勘違い君を何人か見てきたので、ネロに警告した。


「自分だけは死なないと思っているのなら、間違いだ。現実に五課で前線に立つのは四十名ほどいるが、毎年、求人を出さざる得ない状況だ」


 ネロが凪の海のように、穏やかに言葉を続けた。


「警官時代、葬儀社からお得意様クーポンが貰えるくらい、葬儀に出席しました。自分にだけは弾が飛んでこない、なんて思ったことはありません。ただ……」


 ネロの言葉がそこで区切れる。ネロは黙ってしまった。ネロの顔には迷いがある訳でもなく、躊躇いがある訳でもなかった。もちろん、恥ずかしがっている様子でもない。


 ネロはただイカサマを見抜かんとする老勝負師のように眉を寄せ、口元には苦痛をかみ締めるように力が入っていた。


「ただ。その続きは」

 ネロが険しい表情のまま答た。


「いえ、何でもありません」


(最初、激情型だと思ったが、今度は、やけに静かだ。感情の起伏が激しいわけではない。掌握するのが難しい奴だ。何か信条があるのか)


 人間として金に弱いのは問題外だ。が、金で動かず信条で動く奴もまた危険だ。

(でも、一番厄介なのは、何を考えているか掴めない奴だ)


 上司としてネロを見極め切れなかった。


(思えば、事件はネロが配属されてから始まった。もしかして、ネロの元警官という経歴は偽装で、企業の工作員ではないかのか)


 十条は思いついた考えに疑問を持った。

(今回の敵は用意周到だ。ネロが今回の歯車の一枚なら、もっと前から送り込まれるはず)


 だからこそ、裏を掻いて工作員を送ってくる可能性もあった。もしくは、もう一人の工作員から目を逸らさせるための陽動かもしれない。


 十条は軽く目を閉じてから決断した。

(とりあえず、ネロは信用しよう。疑心暗鬼になれば、動きが鈍る)


 会話を掘り下げず、話題を早々に切った。


「ラジオで流れていた以上の情報は非公開だ。公式見解は時々チェックして、余計なしゃべりは禁物だ。マスコミと羽虫は、どこから来るかわからない」


 ネロがぼやくように、見解を述べた。


「偶然、十年に一度のテロリストの襲撃に、捜査帰りの人間が襲われた、ってのは、偶然すぎると思いますけどね」


「理屈は上の人間が後から付けるものだ。現場は黙って仕事をすればいい」


 車が委員会ビルに着いた時には、正面に数多くの報道陣の輪が、入口にできていた。

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