第17話 港、道、船員(八)
後の処理を海洋庁に任せ、ネロを連れて、帰り支度をした。
車に乗ると、ネロが十条に元警官らしい懐疑的言葉を投げ掛けてきた。
「海洋庁に重要参考人の身柄を引渡し、証拠書類も渡す。風紀は困らないんですか」
ネロの言葉には今後の捜査に対する不安が滲んでいた。
警察は風紀以上に組織が硬直している。正義感の強いネロは組織の壁で何度も悔しい思いもしたのだろう。
赤い帽子を脱いで、首を二、三度振り、髪を自由にした。
「大規模に手を借りたんだ。海洋庁の顔も立ててやれ。今後のこともある。どうせ、ウチは困らん。船員たちは逃げられないだろう。船から押収した書類の山に重要な物があるとしても、パースィマンから貰ったもので、今の所は充分だ。面倒くさい書類の整理も含めて、海洋庁さんにお願いしようじゃないか」
先ほど受け取った、データのコピーが入った半ベルタ製の紫水晶のようなデータ・ステイックを軽く翳した。
「必要なものがあるとすれば、データの中身ぐらいだと思うがな」
ネロが十条の抜け目なさを半ば呆れ、半ば感心したように評した。
「名も実も取るということですか」
十条とネロを乗せた車が、工場群を抜けて幹線道路に入った。
車が山の麓に差し掛かった時、緊急の無線が入った。
無線の向こうからは、銃を発砲する音と老人のような掠れた男の声がした。
声の主は
銃声交じりの緊急無線が入るのは只事ではなかった。十条は完全に不意打ちを食らったが。
混乱は三秒に満たない。十条はすぐに心を戦時モードに切り替えた。
角の声は緊迫していた。
「こちら角。東産業区郊外十三号で襲撃を受けている。今、厳と傀儡助で応戦している。応援頼む」
風蓮五紀市には企業私兵や傭兵派遣業者が存在する。されど、火器に関する厳しい規制があり、規制は概ね行き届いていた。
治安の行き届いた、真昼の風蓮五紀市内での襲撃は予想しなかった。展開の悪さは並々ならない。
企業私兵上がりの強者の厳。自動小銃で武装した八体の傀儡助を操る角。二人は風紀の装甲車に乗っていた。
それなのに、応援を求めてきた。相手はよほど周到に人員を揃え、国に戦いを挑んでも良い覚悟を持って襲撃を企てていたと見えた。
敵は思ったより、大胆に仕掛けてきた。事態は急を有する。風紀の本社の企業私兵や警察を待っていては、厳と角がローストになる。
すぐに、危険な現場に飛び込み、厳と角を助けに行く決断をした。
直ぐに無線に応答した。
「こちら、十条。角、こっちも直ぐに応援に向かう」
十条がネロに指示を出す前に、ネロは車を襲撃地点へと向かおうとターンさせた。だが、前方を見たネロの白い眉が下がり、ネロが車の発進を躊躇した。
「十条さん。どうやら、簡単には行かないみたいですよ、誰かいます」
確かにネロに言われれば、十条の目にも、道路の先に点のようなものが見える。だが、何かは全然わからない。
(二手にわかれているなら、同時に潰す。当然の展開だな。でも、足を止める気はないね)
厳と角の元へ無事に行かせてくれるほど、相手は優しくないのは明白だった。風紀を相手に街中で銃撃戦をする覚悟があるのだ、徹底的に叩きにくる。
十条は気を静めてネロに尋ねた。
「どんな奴だ」
ネロは真っ直ぐ前を見据えて、相手の状況を伝えた。
「サイドカーがついた大型バイクが道の左に停まっています。大型バイクには赤のライダー・スーツを来た大柄な人物が跨っています。顔はフルフェイスのヘルメットで見えませんが、こちらが急停車すると、向こうも停車しました。明らかに意識しています」
厳と角がどれだけ保つかわからない。多少強引でも障害を跳ね飛ばし、切り抜けるしかない。
「ネロ、私が合図を出したら、スタートだ。相手を轢くつもりで前進。近くまで行ったら、右から抜け」
ネロが目に力を込めて、アクセルを踏み込む準備をした。
(お互いに武器も手の内も不明。一瞬の駆け引きになる。失敗したら死ぬかもな)
後ろに積んできた木箱を視認した。木箱に意識を集中した。十条は木箱の中の人造霊を呼び覚ました。
人造霊は地下鉄でやりあったゴリラ、タイプと同じものだった。ゴリラに車体をすり抜けさせ、相手を奇襲するつもりだった。
人造霊の強襲は、経験がなければ密林での獣の待ち伏せより、察知が難しい。ベルタ製ではない普通の武器では人造霊には効果が薄いので、倒すのも容易ではない。
(そう並の奴なら、作戦に問題はない。が、相手が一人しかないというのが、気になる。よほど腕に自信があるのか)
迷っている時間はなかった。十条は木箱の中の人造霊の覚醒を確認したところで、声を張り上げた。
「行け」
ネロがアクセルを思いっきり踏み込む。車がエンストしない限界のギヤ・チェンジをした。
車のエンジンはネロのアクションに応えるかのように、急速に加速した。数秒で十条にも人影が認識できる距離まで、近付いた。
人造霊に奇襲を指示した。けれども、十条はすぐに予期せず横に引っ張れる感覚を受けた。
(進路変更が早すぎる)
急な進路変更の理由を十条は直ぐに理解した。
バイクの人物がサイドカーから何かを取り出し、車に向けていたのだった。
次の瞬間、車の前方で激しい爆発音がした。大量の砂がフロントガラスにぶちまけられた。
おそらく相手の取り出した武器は、ロケット砲。ロケット砲は車に命中するはずだった。されど、奇襲すべく出現したゴリラに先にぶつかり、爆発したのだ。
(危なかった)
十条の乗っている風紀の車の見た目は白のワゴンで、防弾仕様。防弾仕様では、ロケット砲には耐えられない。
十条は直ぐに後ろを振り返った。後ろに積んでいた木箱の越しに、遠ざかる灰色の粉塵が立ち上っていた。
普通の人間なら死んでもおかしくないが、郊外でロケット砲を躊躇いなく持ち出すクレイジーだ。普通ではない。
厳や角が襲われていなかったら、降りて確認しただろう。
十条の勘が今ここで相手が生きているなら、殺したほうが良いと言っていた。
十条は勘を押しのけ、救援に向かうのを即決した。
「追ってくる様子はないな。ネロ、前は」
突然の出来事にもネロはアクセルを緩めなかった。運転ミスもなかった。
「とりあえず、前方に今のところ、不審な奴はいません」
「なら、良い。焦るなよ。今度やられたら、流石に防げん」
十条とネロに対する襲撃犯が一人だという保証はない。とはいえ、慎重に進んでいては、救援が間に合わない。
襲撃が二段構えになっていない状況を願うしかなかった。襲撃を受けても切り抜ける自信はあった。だが、車という足を失うのは致命的だ。
ネロが事故れば、ロケット砲を受けるのと大差ない速度で、車を運転していた。
だが、普通に会話をしてきた。
「来る時から気になっていたんですが、ケースの横に積んでいた木箱の中身。あのゴリラ型の人造霊だったんですね」
人造霊による奇襲はネロに話していなかった。実行した十条にしても、攻防が完全に見えていたわけでもなかった。予測しただけ。
十条はネロの評価を高め、感心した。
(こいつには、今の攻防が見えていたのか)
ネロが前方を見据えながら、十条に頼んだ。
「この速度じゃ、前だけで精いっぱいです。十条さんは後ろの警戒を頼みますよ」
十条は振り返った。高速で走る車の後ろには、もう何も見えなかった。
「奴なら、もう来ないだろう。奴が手にしていたのが銃なら、今頃は人造霊と殴り合いでもしていたのだろう。だが、奴はロケットを撃ち込もうとして、目の前に突然現れた人造霊にぶち込んで爆発させちまったんだ。普通の奴なら、今頃バイクごと投げ出されて、良くて大怪我、悪くすれば死んじまっただろうさ」
ネロが冷静な声で返した。
「普通の奴なら、でしょ」
ネロの言いたい意味はわかる。十条とて同じだった。
「ああ、普通のやつならな」
十条は直感していた。
(追ってはこられないだろうが、死んでもいないだろう)
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