第14話 港、道、船員(五)

 資料を纏めてネロに渡すと、甲板へと戻って行った。

 船の甲板へと揚がると、先程上がってきた階段の付近に、車が六台、到着していた。


 車の中から、海洋庁の青い制服を着た職員が二十人ほど降りてきて、甲板に上がってきた。


 集団の先頭を歩く人物は、明かに他の職員とは違った。男の名は橘(たちばな)重蔵(じゅうぞう)。海洋庁の現場責任者だ。


 十条は橘を知っていた。橘はネロのように頭が固いところがあり、手を煩わされた過去が何度かあった。だが、仕事の中身については、一流だった。


(ネロが年を取ると、橘のようになるかもな)

 肩の階級章には、ヒラとの違いを示すかのように、太い線が一本入っていた。


 橘の地位は海洋庁二級保安士で、警察でいうところの警部に該当した。

 橘は顔には険しく刻まれた皺があり、袖から見える腕には鍛錬を欠かさない筋肉がついていた。


 橘の印象はまさに、前線の指揮官といった感じであった。男は日焼けした黒い顔に目を保護する薄い茶のサングラスをしていた。


 サングラスを掛けても、奥の瞳には鋭い何かを感じさせるような、そんな男だった。


 橘の密入国や密輸の取り締まりにかけての実績は、海洋庁では誰もが認めている。

 信念がある橘が仕事に絡んでくると、面倒な点もある。


 風紀で描いた事件の落としどころに横槍を入れてくるので、苦労する状況が多々あった。


 普段なら、橘が絡むと厄介だと感じる。今回は別だ。橘なら買収されたり、簡単に企業と取引したりしない。


 橘は仕事の成果の割に、出世が遅かった。理由は対象が犯罪組織であれ、企業であれ変わらないからだった。現に橘は上司と企業の癒着を告発した過去もあったからだ。


 橘に敬意を込めて挨拶をした。

「御協力を感謝します。橘さん。それでは、打ち合わせどおりに、船内の捜索と端末のコピーのほうをお願いします。船員達は操舵室に集めてありますので」


 橘が十条と対照的に、無愛想に短く挨拶を返した。

「俺はいつもと変わらない。やるべきことをやる。それだけだ」


 橘は十条に対してそれだけ言うと、すぐに船内に入っていった。

 ネロがそっと十条に感想を漏らした。


「十条さん。あまり感じが良くないみたいですが」


「海洋庁と風紀は、こんなもんさ。特に橘は自分の流儀と海洋庁という看板にこだわりを持っているから、船舶に対する風紀の介入を、あまりよく思ってない」


 十条にとって愛想のない態度は気にするに値しない。もし、仕事ができるなら、相手は猿でも敬意を払う。


 ネロを伴って操舵室に向かった。操舵室の船員達は突如、大人数の海洋庁の人間が現れたので、すっかり威圧されてしまった。


 船員たちは外国人なのか、オロオロし、何か外国語で囁き合っていた。

 向井にしても、急に人数が増えたので、色黒の顔に狼狽が浮かんでいた。


 向井が十条を見つけると、動揺を隠さずに聞いてきた。

「十条さん。これは、どういうことです」


 人間は相手より人数が多いと、どこかで安心する。もし、最初に海洋庁が二十人乗り込んできたのなら、事実を知る人間は隠れるかもしれない。でも、風紀の職員二人なら、船員も逃げずに集まるだろう。人は力の差が圧倒的だと、素直に従うものだ。


 十条は簡潔に説明した。

「彼らは海洋庁の人間ですが、初めて見ますか」


「いえ、そういうことではなく」

 相手が動揺したら、すかさず首根っこを押える。余計な時間を与えす従わせ、任務を遂行する。


 向井の訴えを取り合わずに、話を進めていった。

「なら、問題ないでしょう。人手が少ない風紀では、各省庁の応援を要請する事態は、良くありますので。さあ、船倉に案内してください」


(さて、ニュイジェルマンの悪事が判明する。もっとも、ゲームをここで止める気はないがな)


 何かあると当たりを付けて、海洋庁職員を二十名も動因し、「やっぱり何もありませんでした」では、恥をかく。


 恥をかかされたら、パースィマンにはキッチリ制裁を加える。だが、事件が単なるいたずらで、何もないとは思えなかった。


 船員たちは、海洋庁の職員が手際よく一人一人に分け、事情聴取と船の運航記録や船舶に関する情報を集め始めた。


 もう、これで、船にいる人間で証拠を消す時間はない。橘は獲物を狙う海鳥のように目が利くから、不審なものを見逃さないだろう。処分直後の物でも発見する。


 後は向井に向き合えばよかった。

 向井が十条ではなく、海洋庁に対処しようとしたが、十条が直ぐに慇懃無礼な態度で釘を刺した。


「向井さん。ご心配なさらなくても結構ですよ。海洋庁の方は外国語も堪能ですし、外国人船員の扱いにも慣れています。だから、貴方は私と共に来ていただいても、何の問題もありません。船員のほうはね」


 十条の物言い対して、向井は何か言おうとした。だが、十条の表情を見て、言葉を飲み込み、船倉へと案内した。


(取り乱さず、諦めた様子もなしか。場慣れした犯罪者といった感じでもない。向井は普通の人間の心理状態そのものだが、どこか普通過ぎる気がする)

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