第12話 港、道、船員(三)
取締官用の緑の制服で車から降りると、赤い帽子を被り直し、金属小手のような赤いグローブを白い手に填めた。最後に青い風紀の文字が入った腕章を着け、車から降りた。
港に一歩、降り立つと、金属で覆われたブーツが港のコンクリートと接し、硬い音を立てた。
普通の革靴に風紀の制服を着たネロが、十条の足元を見て尋ねた。
「十条さん、そのブーツは」
ネロに適当に教えてやった。
「制服規定には、靴や手袋まで定められていない。さすがにローラー・ブレードを履くわけにはいかないだろう。だから、制服の時、私は金属ブーツだ。さあ、行くぞ、ネロ。ケースを忘れるなよ」
金属ブーツはベルタ製でローラー・ブレードを変形させた物。十条の意思ひとつで、靴の爪先を鋭利な刃物に変えられた。
人間、あまり足元には注意しない。見かけは丸腰だが、ベルタを利用して、体にはいくつも武器を十条は隠していた。とはいえ、新人のネロには手の内を全て、教えようとは思わなかった。
ネロが車の後ろを開けた。
大きな木箱の横に、Mサイズの金属製のスーツケースが隙間に仕舞ってあった。
ネロがケースを持ち出し、十条の後を従いてきた。
車を離れる前に、一通の書類をネロに渡した。
「検査に入る書類は私が持つ。航海日誌などを差し押さえる書類は、お前が預かってくれ」
ネロが書類に目を通しながら、不思議そうに尋ねた。
「なぜ、書類を分けて持つんですか」
「小芝居をやるかもしれないからな。私がそれとなく合図するまで、黙って持っていろ」
車から降りて十歩と歩かないうちに、後ろにいたネロが、そっと声を掛けてきた。
「甲板の上にいた男、十条さんの姿を見て、船の中に消えましたよ」
十条の目は悪いほうではない。されど、船まではまだ距離があり、甲板の人影などは、今の距離では当然、見えなかった。
「よく見えるな」
「目がいいんですよ」
目はいいに越したことはない。問題は必要な物を見落とさないかが重要だ。
(願わくは、視力がいいだけでなく、目端が利けば、いいのだか)
目的とする船は晴れた日の日中、赤と黒とに塗られた百六十メートル近い巨体をコンクリの岸壁横付けし、海に浮かんでいた。
船のデッキに上る階段の前に来た。新たに施した塗装の黒い部分の下から、前に塗られていた、白く黄色がかった古い塗料が所々に見えていた。
甲板に上がった。直ぐに、白い制服を着た日焼けした一人の男が出てきた。男は痩せており、髪には白髪が交じっていた。
「なにか、御用でしょうか」
丁寧な物の言い方だが、明らかに男は歓迎していなかった。
身分証を提示し、要請した。
「風蓮五紀金融及びベルタ物質取締官の者だ。船長に会って捜査令状を見せたい」
船が捜索される事態に対して、男がマニュアルに則った対応をした。
「船長は只今、所用で陸に上がっていますので、責任者は副船長の私です。名前は
船長が不在。証拠隠しとも思えるが、トラブルがあるので、本社に詰めていてもおかしくはない。さて、問題は副船長とやらが、どこまで知っているか、だな。
胸ポケットから捜査令状をスッと取り出し、広げて提示した。
「向井さん。まず、船の貨物に関する書類を見せていただきたい」
向井が提示された書類に素早く目を通した。向井が胸のポケットから名詞大の紫色のカードを取り出した。向井がカードに人差し指を付けると、人差し指は紫に輝いた。
紫に輝いた人差し指を書類の署名欄に翳すと、書類に認証された向井の署名が入った。
「これでよろしいですか。積荷の書類は、こちらに保管してあります」
一目見ただけでは、向井の態度に異常はない。対応も普通だった。
向井が踵を返し、船の中へと続く通路に入っていった。
薄暗い船内に十条の金属ブーツと金属の床とがぶつかり、辺りに硬質な音を立てた。
船の中は静かで、すれ違う人はいなかった。誰かが隠しカメラで様子を窺っている気配もなかった。無線LAN設備もないので、電波を使用して盗撮している様子もなかった。
(静かだな、人がいないのか)
三人はやがて船長室と彫られたプレートの掛かった部屋の前に辿り着いた。
向井が扉を開け、中に入った。
船長室は今までの無骨な金属床と異なり、新しい木の板が床に張ってあり、円い窓が付いていた。
船長室にはちょっとした企業の応接セットと調度品が並び、床の色と調和させた木製の壁面書庫と大きな執務用の机があった。
向井が壁面書庫を開け、中にあった冷蔵庫ほどの大きさの金庫のダイヤルを回した。向井が金庫の中から資料一式を取り出し、十条に渡した。
書類をすぐに見ずに、船長の机にひとまず置いた。
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