第二章 港、道、船員

第10話 港、道、船員(一)

 パースィマン逮捕の翌日、パースィマンの言った通りの証拠が、オリーブの木を象った蝋の封印がなされた封筒に入れられ、風紀の五課に届いた。


 風紀には局、部、課、係が置かれていた。十条が所属する五課は組織図上、監視や取締りを行う一課~四課と同じ扱いである。五課は扱いが同じではあるが、実際のフロアーは他の四つ課とは独立していた。


 五課は仕事も、危険が伴う物や、表向きにならない事案を扱っていた。他課と違い活動が公になることは、ほとんどなかった。


 十条の所属している風紀の五課四係には、ちょうりゅうという係長がいた。立場上は寵が上司だが、実際の立場は十条のほうが強かった。


 十条が信頼する本当のボスは風蓮の取締役で、あずまともやす

 早速、封筒の中身を確認した。中身は、ニュイジェルマンの海運子会社の書類のコピーだった。


 書類の一通は問題なかった。けれども、もう一通は、外国語で書かれて有害ベルタであるラストの積み込み証明書だった。


「官庁提出用の表の書類と、外国の処理施設向けの裏の書類を使い分けているのか。ありがちな手だな」


 書類を吟味する。もしかしたら、ガセという可能性もあった。でも、十条は書類の詳細から九十%本物だと確信した。


「確かに、これならいけそうだな。船での積み出しなら、現物を押さえれば、後は流れ作だ。問題はいつ船で積み出しているかだな。報告を上げるのは現物を確認してからでも遅くはないだろう」


 ベルタ絡みの事件は一課の担当だ。書類を一課に渡し、事件を任せる処理もできた。けれども、一課にはまだ任せる気になれなかった。


 一課は優秀だが、政治が幅を利かせる、大きな企業の巧妙な陰謀には対応できない事態が時々あった。


 敵は今の所はニュイジェルマンだけだが、更なる敵が事件に絡んでくる気がしていた。


 各機関から情報を集めると、ニュイジェルマンの船は荷を積んだまま、一ヶ月前から停泊中だった。


 すぐに不審に思った。

「なぜ、荷を積んだらすぐ出ない。危険な物はすぐに誰かに押し付けるのが常識だ」


 降って湧いたような良い話。食べ頃な果実。お上がりなさいといわんばかりだな、何かうますぎる。


 朝早くに風紀の委員会ビルから、十条とネロは捜査に出掛けるために、風紀の名前が入った白のワゴン車に乗り込んだ。


 二人は風紀の取締官用の緑色の軍服のような制服を着用し、赤い帽子を被っていた。


 赤い帽子には、風蓮のシンボルである双頭の狼、五紀のシンボルである藤、を組み合わせた印章が輝いていた。


 車が委員会ビルの地下駐車場から出ると、目の前の公園越しに大企業の本社ビルが立ち並ぶ風景が見えた。


 公園前を過ぎて、十条とネロを乗せた車が街の中心部を縦断し、郊外に向かっていった。


 早朝のため街中は静かだが、後三時間もすれば中心部は通勤のピークを迎える。

 風蓮五紀市には高架の環状線が通っていた。が、渋滞を緩和するために、渋滞時刻二時間前になると、十分ほど通行止めになった。


 通行止めに合わせて、数十箇所近くの高架が回転する。中央分離帯も消え車線が変更され、市内の交通を円滑化する“ラッシュシフト”が起きた。


“ラッシュシフト”に遭遇すると、市内の交通が優先されるので、郊外に出るには環状線を迂回しなければならず、余計な手間が掛かった。


 早い時刻なら、車の数は少なく、郊外に出る環状線を利用車できるので、スムーズにビルの間を走行できた。


 車が町の中心に近づくと、国で一番高い建物である風蓮本社ビルが見えてきた。

 風蓮本社を通り過ぎると、ビルの高さも段々低くなった。


 最後に大きな五紀本社ビルが出現した。五紀本社ビルは風蓮本社を挟んで、反対側にある委員会の入っている庁舎と距離的に大体同じ位置にあった。


 市民にとって中心部といえば、委員会ビルから五紀本社ビルまでを指した。

 中心部を抜けると、高層マンション立ち並ぶ住宅街に出た。道路は風蓮の子会社が開発した、エキドナ山に向かって続いていた。


 エキドナ山は一見すると、緑豊かな山だが、全ては植林されたものだ。山では野草、山菜、茸も全て管理され、鳥の巣に偽装された監視カメラが絶えず回っていた。

 流れる滝は、雨水を循環させたもので、自然な物ではなかった。


 エキドナ山に伸びる巨大な道路を登ってゆくと、山頂手前には、確率分散予測、素数探し、排他推理などのギャンブルをするカジノを併設したブル&ベアという巨大ホテルの看板が立っていた。


 カジノ付近まで来ると、風蓮五紀市が一望できた。海を隔てて向こうにある大陸に向けて伸びる、長さ七キロの国境を跨ぐ巨大な橋も一望できた。


 車が山の頂上を過ぎ反対側に周って、東側に伸びる道路に入った。今度は遠くに海岸沿いに広がる巨大な工場群と港が姿を現した。


 風蓮五紀に来たばかりのネロは山を越えた経験がなかったので、風景の変化を見て軽く感嘆の声を上げた。


「見える風景がさっきと趣が違いますね、なんかこう、工場も並ぶと壮観ですね」

 工場を見て喜ぶネロを見て、子供っぽく思ったが、非難する気はなかった。


(男ってのはどうして、巨大建築物に色めき立つかね)

 鉄鉱石に占める鉄の割合は六十%前後もある。が、ベルタ鉱石に占めるベルタの割合は十%に満たなかった。


ベルタ鉱石は掘出して船積みされる段階で、九十%のクズと有害ベルタは一緒に、原産国に捨てられているのが現状だった。


 風蓮五紀の工場生産は原産国の犠牲の上に成り立っていた。

ネロはおそらく知らないのだろう。すぐに辞めてしまうなら、あえて教える必要はない。続けるなら、いずれわかる。


 後部座席の窓から、外を見ながら街の内情を説明した。

「エキドナ山は国における色々な境界なのさ。風紀のいる中央区が管理する者の街なら、ここから先の東産業区は使われる者の街さ」


 車の先には、様々な形の、原色の色とりどりの円筒状の建物が建っていた。色は工場に向かう人々が迷わないように、企業グループよって色分されていた。


 建物には美観といったものがまるでなかった。けれども、人が住んでいるわけではないので誰も気にしなかった。


 誰かが『毒々しいお菓子の街』と呼んだが、あながち間違いではないと思った。

 新しい工場は大きく新しい。小さい工場は次々競争に敗れ、大きな工場に飲み込まれていった。


 こうして車を走らせると、風蓮五紀の成長と競争はまだまだ続いていく事実を嫌でも思い知らされた。


「工場、倉庫、港で働く人間に平の公務員を足すと、風紀と五紀に管理されている労働者は就労人口の七割に達する」


 十条に向かって、ネロが素朴な疑問を十条に投げ掛けた。

「生活は貧しいんですか」


 風蓮五紀をまだ知らないネロに、雑談ついでに、現状を教えた。

「いや、そこそこの住居に、まあまあの教育。橋を渡った外国に比べれば恵まれている。橋の向こう側ほど活気はないがな」


 ネロが元警官らしいコメントをした。

「治安はいいんですか」


「利益配分が固定化されていて、犯罪者が付け込むほど旨いところが何もないとも言える。中心部の歓楽街も一般的には知られてはいないが、風蓮の孫会社が仕切っている」


 工場群の風景が途切れると、今度は海が近づいた。海辺には丸い球体や、巨大な円柱状ベルタ関連の精製プラントが密集して建っていた。


 精製プラントに差し掛かかった時にネロが感想を漏らした。

「今もこうして、希少価値の高いベルタであるラブや燃料になるエロスを抽出して残ったラストが排出されているんですよね」


 ラストは確かに排出されている。されど、ほとんどは原産国に置き去りだ。

 金があるから、有害ベルタを処理ができる。処理できるから、稀少ベルタを大量生産できる。大量生産できるから金ができる。


 引き換えに、撤退する恐怖からは逃れられなくなった。ただ、終わりが来るまで走り続けなけらばいけない。


 走るのを停めさせるのは誰にもできない。できるのは、走るルートを決めるだけ。

 十条は車の窓から見える工場群を見ながら脚を組んだまま、問いに淡々と答える。


「ラストを国内で廃棄処理すると十キロで約四百円。これから査察に入る船には二百四十万キロ積まれているというんだから、正規の処分費が九千六百万円。有害なラストを途上国のベルイジュンに捨てに行けば十キロで五十円で済むんだから、処分料は千二百万円。ベルイジュンまでの輸送費と経費が単純に千二百万円としても。差引き七千二百万円の儲け。違法投棄を年間に九回も行えば、六億四千八百万円の儲けさ。船の購入代金を考えても、二年あれば元が取れる。ちなみに、ニュイジェルマンは八年前の創業だ」


 ベルイジュンは風蓮五紀から船で二週間ほど掛かる外国である。

 ベルイジュンは東部経済圏といわれる十三カ国からなる地域の、最も東に位置しており、風蓮五紀とは正式に国交はなかった。


 ベルジュンもベルイジュン周辺国同様、発展途上の貧しい国であり、政治は独裁的な形を採用していた。


 結果、権力者と親しくなれば法の解釈は当然のように変わった。ただし、ベルイジュン自体、政情不安な国なので、懇意の権力者様が地位からいつ落ちるかはわからない。


 ネロが当然の疑問を口にした。

「ベルイジュンだと、何でそんな安く処理できるんですか。物価や人件費が安いから、というわけではなさそうですけどね」


 新人にからくりをレクチャーしてやった。


「人件費が安くても、ベルイジュンの価格で処理できるわけがない。国際標準でやれば、の話だがな。ベルイジュンはベルタ規制に関する国際条約に批准していない。国内まで運べば取り締まりの対象にならないのさ。だから、持ち出す時はラストを不活性化して資源ということにして、船に乗せて輸出という形で外国に捨てに行ける」


 ネロが不法投棄のカラクリを知って、吐き棄てるように言った。

「結局、ベルイジュンの国民が環境汚染に合うだけじゃないですか」


「まあ、不活性化ラストという形に加工すれば国の法律上輸出も可能だが、そうすれば風蓮五紀では加工費が十キロあたり六百六十円。国際取引価格が四百八十円前後だから、本来なら風蓮五紀で不活性化ラストは作れば作るほど損をする」


 ネロが静かに怒りを燃やして、言葉を紡ぐ。

「だれが、見ても取引事態不自然ですよ。誰も損をする事実については指摘しないんですか」


 よく怒る新人だ。憤りを表すネロの言葉を聞き、十条はやれやれと思った。

(ラースの影響を受けているせいか、どうも怒りっぽいのが玉に瑕だな。役に立たない善人より、使える問題児のほうがまだいい。善人なら、どうせ、教育期間が終わる前に、消えるか、死ぬ)

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