第9話 始まりは地下の暗がりで(九)

 十条は冷静に話すように勤めた。三十年が経っても、ダウアリルの一件は、重く錨のように十条を捕らえていた。そんな、苦しみをネロに悟らせるわけにもいかない。


「残り四社の内、三社は合併し、皮肉にも事件前より巨大企業に変身。残った一社も傾いたが、別の会社に買収されて、形を変えて存続している。そう。ただ、普通に働いていた小人族は国土と財産を失い、三十年が経っても、損害は回復されない」


 一旦そこで言葉を切って外を見た。

 現在の風蓮五紀の繁栄は、ダウアリルやその他、多くの犠牲の上に成り立っているのは事実だ。


 ある評論家は「ビルの高さが傲慢の表れ、街の快適さ悪徳の栄え」と評した。が十条の考えは違った。


 皆が幸せに向かって歩いていた。やがて、誰かが早足になった。すると、他の者が自分の取り分がなくなると思い、少しずつ速度を上げる。全員が走り出し、足の引っ張り合いになった。


 他者の妨害を抜けて、走りきった上位グループの一人が風蓮五紀だ。ただ、振り返れば、恐ろしく打ちのめされた敗者の群れがいた。


「なあ、ネロ。窓の外には何が見える」


 街は深夜だが、明るかった。電気のない時代の星空が今、地上にあった。天の明るさは地に、地の暗さは天になっていた。


 そんな明るい地上から、暗い天の向かって伸びる大きな存在が二つ。一つは風蓮本社ビル。もう一つは離れた所にある五紀本社ビルだ。


 風蓮や五紀の本社ビルの周りには関連企業のビル群があった。ビル郡は態度では服従しているが、主の座を狙う家臣のように取り巻いていた。


 ビル郡の下にも少し低いビルが立ち並び、同じく上を狙っていた。

 勝者は立ち止まれば、いつまでも勝者ではいられない。だが、走り続けたとしても、いずれは倒れるか、喰われる。


 外を見ながら、街の姿を説明した。

「一番高いビルが風蓮本社。風蓮はダウアリルでは派手にやらかして傾いた会社を買収。汚名を着ずに成果を手にして、ここまででかくなった。国で二番目に高い五紀本社ビルだ。五紀はダウアリルで三社合併の末にできた会社だ」


 ネロの声が事実を指摘され、幾分か低くなり、少し苦い顔をした。

「小人族に甘いのは風蓮五紀の贖罪ですか」


 ネロの発した「贖罪」の言葉が、過去にダウアリルで働いていた十条の心に、薔薇の棘のように刺さる。


(贖罪か。果たして、そんな資格が、私にあるのか)


 長くとも辛くても、今の道を歩くのを決めた。企業の暗部に関っているから、仕事を続ければ、ろくな死にかたはしないだろう。


 仕事を辞めても困らない。コンサルタントでも食べていけるだろうし、今まで培ったコネなら、それなりの企業の社外取締役には滑り込める。


 荒野へ続く道をあえて歩き続けていた。

(死に方なんて、どうでもいい。ダウアリルで死んでいった奴に比べたら、幸せな部類だ)


 ネロに道理を説いた。


「風蓮五紀では市場が巨大になりすぎて、規模はかっての小人族の国を由に超えている。国民は私達に身近な犯罪の取締りを期待せず、金融やベルタ関連犯罪の被害の抑制に期待しているのさ。消防が犯人の逮捕より、災害の対処を望むように、だ」


 ネロが熱くなりムキになっていた。

「だったら、国外への不正な外貨送金は取り締まらないと」


 おそらく、ネロは十条の話がわからないほど子供ではない。とはいえ、認めたくない事実もあるのだろう。ネロを否定はしない。だが、熱気は過剰になれば茹で上がる。


 ネロの熱に、冷水をゆっくりと掛けるように教えた。

「風紀の仕事は、抜け駆けや不正をする奴から市場と国民を守るのが仕事だ。今回の相手は、小人族で名の知れた“楽園の求道者”のような巨大な犯罪組織じゃない、小さなグループだ。我々はデカイ相手を標的にしなければならない。なぜなら、デカイのとやり合えるのも、風紀だけだからだ」


 小人族は排他的だが、仲間内の結束は固い。犯罪に対しても同じだった。結果、いくつかの巨大犯罪者グループが生まれた。“楽園の求道者”は、中でも一番大きな経済犯グループだった。


 最後にもう一度バックミラー越しにネロの顔を確認すると、納得半分、不満半分な顔がそこにはあった。


(今はそれでいいさ。いずれわかる。わかった時どうするかだ。何も考えない奴は苦しまない。苦しまない者は成長もない。成長のない奴は、いずれ枯れ落ちる)


 成長には苦しみを伴う。だが、苦しみ時として死をもたらす。十条はネロの信念が死なないよう、そっと祈った。


 二人の間に会話が途切れ、車のフロントガラスの向こうには、大きな風蓮五紀の委員会ビルが見え始めていた。


 ネロに正直な気持ちを伝えた。


「ネロ、初日からこんな話をされて、仕事が嫌になったか。だったら、辞めるなら早いほうがいい。あんたのためにも、私達のためにも」


「ええ、そうしますよ。ただ、今の事件が終わるまでは続けます。ハッピーエンドにならなくても」


 十条は新人と組んで教育係になる立場を進んで作っていた。優秀な人間からダメ人間まで多くを見てきた。


 風紀では無能な奴は、いつのまにか消える。優秀な奴は、栄光を残して消える。

 十条は知っていた。風紀の中では、期間の短い、長いはあるが、末長く付き合える奴はそう多くはない。

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