第5話 始まりは地下の暗がりで(五)
服の胸ポケットを軽く指で叩くと、小さな翡翠でできたような、人形が顔を出した。
人形は枝言霊と呼ばれる人造霊だった。枝言霊は言霊間の通信の他に、電波を通して、無線や電話回線にも接続できる汎用通信機能を持っていた。
枝言霊の頭を軽く押さえた。
言霊が十条の肩にするすると登っていた。枝言霊が十条の肩に乗った。
囁くように言葉を出した。
「十条だ。そっちに行った十人は無事に確保できたか」
肩に乗った枝言霊が十条の耳に囁いた。言霊から、太い男のだみ声がした。
「ああ全員、身柄を拘束した」
枝言霊を介して会話している人物は、
厳は単に前線で、鉛弾をばらまくしかできない男ではない。相手の身柄確保や、証拠保全もできる人材だ。厳なら間違って小人族を取り逃がす心配もなかった。
「全員の所持品を検査したら、チェスナットという奴以外、釈放してやれ。チェスナットにはパースィマンから話があるから戻れと伝えてくれ」
非難というより、諦めと楽しさが混じりの口調で厳が答えた。
「またか。いっそ『司法取引、有ります』って旗でも掲げるか」
厳と厳の兄である角とは付き合いは長く、気心も知れている古い戦友のようなものだ。規則上問題のある行動でも、融通が利いた。
「堅実な先行投資といって欲しいな。トータルで、元本割れしたことはないだろう」
枝言霊の頭を軽く突くと、枝言霊は十条の胸のポケットに戻った。
パースィマンに向き直った。
「チェスナットが来たら取引成立だ」
パースィマンは命令される前に、ゆっくりと手を後ろに組み、床に寝そべった。
「ええ、どうぞ。それでは部下が来るまで犯罪者らしく待ちます」
黙っていたネロが非難めいた口調で十条に問うた。
「十条取締官。犯罪者との取引は認められていないんじゃないですか」
確かにネロの言う通りだった。犯罪者との取引は正式には認められておらず、懲罰の対象になる。だが、十条は相手と条件によっては取引をした。
十条にとってキャリアや懲罰は問題ではない。風紀という組織ですら、信念を貫く道具くらいにしか思っていなかった。
頭の固いネロに言い返した。
「風蓮五紀の取締官は警察じゃない。問題だと思うのなら監督室に訴えたらいい。お前はパースィマンを見張っていろ」
ネロは明らかに不満そうだったが、無駄口を叩かず、言われた通りにした。ネロがパースィマンのポケットから、緑色の翡翠製の二本の鍵と懐にあった銃を取り上げた。
ネロが変身を顧慮してか、着替えを持ってきていたので、着替えを済ませた。
十分もしない内に、空洞からパースィマンと似た背格好の帽子を被った少年が穴から顔を出した。
(おそらく、部下は血縁者に間違いなしだな)
小人族は身内を重んじる傾向があった。一族の誰かが犯罪者なら、家業が犯罪者という可能性もあった。
寝そべったままのパースィマンは、少年と目が合うと、おどけた口調で、軽口を叩いた。
「遅いよ、チェスナット。冷たいコンクリの床に寝ていたせいか、体が痛くなってきた」
チェスナットと呼ばれた少年は直ぐに穴から出てきて、パースィマンに近寄ろうとした。が、不機嫌な顔のネロに銃口を向けられると動きを停めた。
冷めた口調でネロに命令した。
「ネロ。銃は下ろしていい。チェスナット、まず今回の取引の金と記録はどこだ」
チェスナットは直ぐに答えず、状況が飲み込めないのか、寝転がっているパースィマンを見た。
パースィマンは、答えてやれとばかりに口を開いた。
「正直に言ってあげて。でないと折角の取引が無駄になるから」
チェスナットは状況をまだ理解できないようだが、パースィマンに促され告白した。
「金と記録は変なガスマスク男に全部渡した」
厳は職務に当るに際して、防護スーツにガスマスクを兼ねた頭部を保護するヘルメットを被るのが常だ。
チェスナットが、ガスマスク男と会ったというなら、間違いなく厳に会っている。
パースィマンは寝そべったまま顔だけを十条に向けた。
「発言よろしいですか」
「ついでに立て」
パースィマンはゆっくり立ち上がり、チェスナットの顔を見て、確認した。
「客は皆逃げたのか」
チェスナットが少しばかり混乱し、早口に話した。
「ああ、それが変なんだ。一度は皆、捕まったんだが。持ち物を検査されただけで、事情聴取もなし。その場で釈放されている奴らがいた」
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