第16話

 昼食を終え、今の内に高所から危険性を見て、モンスターの分布と動向を把握しておこう。

 レベルアップにより身体能力が上がっているのか、民家の屋根まで苦もなくするりと登ることができた。


 町を見渡して単体で行動しているモンスターを危険目視スキルで探し、それらを安全なルートで繋げて道順を頭に入れていく。

 モンスターの移動範囲も意識して見れば危険性として視認することが出来るので、特に難しいことではない。


 武器に使えそうな物を探しにホームセンターなどに寄ろうと思ったが、そういった物が置いてある所は軒並み赤い危険色に染まっている。

 大量のモンスターにでも占領されているのだろう。


 アーチャーの茂呂さんが言っていた駅前の雑居ビル地下にあるというミリタリーショップはどうだろうか。

 ……危険領域と安全領域が複雑に入り組んでいる。

 今行くのは危険か。



 行けそうなところが無かったので、そのまま単体で行動しているモンスターを結び付け、ルートが確定した。


 一つ気がかりがあるとすれば、ルートとして選定したモンスターの中に、一体だけゴブリンより少し強そうな個体がいることか。

 何だろう……?

 未確認のモンスターか?


 強さは平均的なゴブリンに毛が生えた程度で、問題はなさそうに見える。

 俺と吉良さんで掛かれば倒すことは出来るはずだ。


 未知のモンスターならば今の内に情報を収集しておくのも手か。



 屋根から降りると、吉良さんは既に出発の支度を終えていた。



 ◇ ◇ ◇



 単独で行動していたゴブリンを奇襲を用いて危うげなく順番に3体倒し、次はいよいよ例のモンスターだ。


 近づいて行くにつれて湧き上がる僅かな怖気を、顔に当たるそよ風が吹き流してくれる。



 敵の姿が遠目に見えた。

 人型の体躯をしているものの、首から上が犬の頭になっている。

 そいつは土木工事に使うような金属製の大きなスコップを担ぎ、時折り思い出したように地面に顔を近づけていた。


 あれは恐らくコボルト、か?


 危険度はゴブリンよりやや高い程度だが、ゴブリンとは異なる独特な形の危険領域をしている。

 コボルトの体はこちらを向いているのに、コボルトの索敵範囲はその後方へ向かって広がっていた。


 後ろに目でも付いているのだろうか。



 その時、前触れもなく突然風向きが変わった。

 同時に、危険領域がモンスターの背後から前方へとがらりと切り替わる。


 ……!

 その新たな危険領域に俺たち二人は入ってしまっていた。


 そうか、『匂い』か!

 恐らく、コボルトは匂いによる索敵を行なっている。


(まずい、見つかる。隠れよう)


 背後の吉良さんへとハンドサインを送り、民家の塀の中へと素早く身を隠す。

 風向きが変わるなんて、ついてない。


 いや、何故危険目視スキルが直前まで反応しなかった?

 視界の端で何か赤黒いものが動いたような気がして、そちらを目視するも、何もいない。

 気のせいか。


 ほんのりと薄い赤色に染まっていく視界。

 優れた嗅覚によりコボルトに発見されてしまったようだ。

 敵はもうこちらへ向かって駆け出している。


 コボルトの走る速度は中々に早く、吉良さんを連れて逃げ切るのは困難に思えた。

 ならば。


「見つかった。迎え討とう」


「分かりました」


 吉良さんは投石器に石をセットし、回し始める。

 いつものように不意打ちから始められないのは不安だが、戦力的には問題ない。


 こちらにもっと近付くのを待って───、

 ……いや、不味い。


 敵モンスターの口元が危険色に染まる。

 これは、まさか。


「吉良さん、すぐに撃って!牽制でもいい!」


「は、はい!」


 狙いを付ける時間は無かった。

 吉良さんはコボルト目掛けて石を撃ち出し、幸運かはたまた吉良さんの技術が上がっているのか、石はモンスターの腹部へと命中。

 俺は既にコボルト目掛けて走り出していた。


「ギッ、……ォォオオオオォオオオオオオ!!!」


 遠吠えだ。

 コボルトは石の直撃にもめげず、大音量で咆哮をぶちかましやがった。

 非常に良く通る声が、辺り一帯に響き渡る。


「くそっ」


 赤い色が、視界のあちこちにちらつく。

 仲間を呼んだのか。


 だが、まだ大丈夫。

 他のモンスターから離れて行動している個体を狙ったのだ、まだ他のモンスターが駆け付けるまで猶予があるはずだ。


 それまでに、

 ───こいつを仕留めて逃げおおせてやる。


 コボルトまでの距離はまだ100メートルほどだが、コボルトが逃げる様子はない。

 吉良さんの投石が当たったのが効いているようだ。


 サバイバルナイフを右手に持ち、接敵するまでの間、走りながらよく相手を観察する。

 危機的状況に思考が加速していく。


 相手は大きなスコップを体の前で構え、防御の姿勢を見せる。

 人型と言えどガタイが良い訳ではなく、平均的な成人男性よりはやや小柄か。

 危険性を見るに、ステータスを発現して幾ばくかのレベルを上げている俺の方が強いようだ。


 更に近づく。


 睨むような相貌と、よだれを垂らしながら剥き出す牙が目に入る。

 吉良さんは次弾を放つのに時間がかかるだろう。

 まずは、奴が武器を持つ手を狙う。


 近付き、もはや目前、


 ナイフと金属製のスコップがかち合った。

 甲高い金属音が響き渡る。


 くっ、僅かにズラされた。

 俺が放った手狙いの一撃は、スコップをやや下げられてしまい、コボルトの手より少し上のスコップの柄に当たる。


 怯むな。

 奴から危険性が見えない以上、奴は防戦に徹する気だ。

 攻めろ、攻めろ。


 しかし、ナイフを振るえど柄で受け流され、ナイフで突けどもスコップの先端の広い部分で防がれた。

 相手の身体能力は高くはないが、道具の使い方が巧い。


 なら、


 コボルトの顔を目掛けてナイフを突き出す。

 モンスターは堪らず先ほどと同じように顔の前にスコップの先端を繰り出してこれを防ぐ。

 狙い通り、そこに死角が生まれる。


 右手に握るナイフをわざとカリカリと音を立てながらスコップの表面を滑らせ、同時に左手で拳を作りストレートを放つ。


 コボルトは音に釣られてスコップをナイフと同じ方向に移動させ、それによりフリーとなった顔面に対して左拳の一撃がヒットした。

 犬特有の細い鼻先に上手く入ったらしく、コボルトは油の切れた自転車のブレーキ音のような叫び声をあげる。


 死角からの虚を突かれた攻撃に動揺した隙を見逃さず、コボルトの腕にナイフで素早く傷を描く。

 即座に我に返ったコボルトは腕を引き戻し、スコップを大きく振りかぶった。


 赤い危険領域が現れる。

 コボルトはこのままでは防戦を維持できないと判断し、攻撃に移るつもりなのだろう。

 相手の攻撃範囲から外れるべく一歩下がり、思考する。


 危険目視により相手の攻撃の軌道と間合いが見えているとはいえ、俺の現在の敏捷性では攻撃を完全には避け切れないかもしれない。

 相手に空振らせて懐に飛び込みたいが、タイミングを誤れば怪我を負うリスクがある。


 スコップを振りかぶった状態のコボルトに対して二の足踏みをしていると、後ろから吉良さんの透き通った声が響く。


「『フォーカス』!」


 何に対して……?

 コボルトが誘導された視線の先には、一番最初に吉良さんが撃ち出した石ころがあった。


 好機を認識した瞬間、俺は弾かれるように前に出る。

 ナイフを構え、肉薄する。


 接近に音で気が付いたのか、コボルトは反射的にスコップを振るうものの、石に視線を釘付けにされているため俺が見えていない。

 軌道を修正出来ないやぶれかぶれの一撃だ。

 危険目視で予測済みの俺は最低限の体移動だけでそれ躱す。


 カン、と振りおろされたスコップが地面を叩く乾いた音を聴いた。

 既に俺はコボルトの懐に潜り込み、ナイフを振り抜いた後だった。


 コボルトの首元に大きな切れ目が生じ、血が噴き出るとゆるやかに滴り落ちる。

 光が消えゆく相手の目と目が合った。


 さよならだ。

 恨んでくれるなよ。

 これは一方的に戦争を仕掛けてきたお前らとの生存競争なのだから。


「逃げるぞ、吉良さん!」


 スキルで敵が来ない方向を探し、コボルトのスコップだけ回収した後に安全な方へ向かって走った。

 即時撤退だ。


 まだ遠くから聴こえる遠吠えを背に、その場から逃げ出した。


 ……


 危なかった。

 自分より弱い相手だからといって油断してはいけない。


 それにしても昨日の吸血鬼の猛攻を受けたことで、危険性から攻撃がくるタイミングの見切りにかなり慣れてきらしい。

 もっともっと鍛えて、紙一重で避けられるようにならなければ。


 そんなことを考えながら、道路をひた走った。


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