発現

 木剣を水平に振るった。

 在らんばかりの力を込めて。

 木剣がゴブリンの後頭部に直撃しようとした瞬間、突然ゴブリンが此方を振り向いた。


 ドゴンッ―――


 聞いた事の無いような鈍い音がした。

 するとカルの振るった木剣が偶然にもゴブリンのに当り弾かれたのだった。


「いっつ~~~~」


 強い痺れがカルの手を襲う。

 

(なんだよ、さっきは全部一撃でやれたのに…)


「グギャギャギャッ」


 振り向いたゴブリンがコキコキと首の様子を確かめながらぬっくと立ち上がった。


(あれ?コイツさっきのゴブリンより大きい!)


 そう、目の前のゴブリンは一回り以上さっきのゴブリンより大きかった。

 さっき迄のゴブリンはカルと大差ない身長だったのだが今目の前に居るゴブリンはカルより頭一つ以上大きい。

 腕周りも随分と太く、さっきの痩せこけたゴブリン達とはその存在感が違った。

 それに大きく違うのが額から生え出てる角だ。

 ゴブリンのそれは小さな突起程度なのだが、目の前のゴブリンの角は10セルメル程突き出ており先端も鋭く尖っている。 

 

(しまった!コイツらホブゴブリンだ!逃げないと………)


 ベッキーを助ける!憤った心は何処へやら。

 ホブゴブリンを目の前にしてカルは思わず狼狽えてしまっていた。


 ホブゴブリンは普通のゴブリンより体格が二回りほど大きい。

 体格が大きい=質量が多い。

 質量が大きければ大きいほど運動エネルギーも増加する。

 カルはそんな事は知りはしないだろうが、それでも大きい事、それだけで武器になり得る事は実体験で知っていた。

 それに大きいだけで自分の攻撃が効きにくい事も知っている。

 目の前のホブゴブリンは人間の大人とさほど変わらない大きさをしている。

 いくらカルが毎日剣を振り稽古を積んでいると言えど大人と子供の力の差は大きい。


 そしてカルの木剣の一撃もあまり効いた様子も無く、ホブゴブリンはゆっくりとカルへと迫って来る。

 腰を落とし逃がさないとばかりに両手を広げギロリと此方を睨付けてくる。

 その様子はまるで獲物を追い詰める狩人の様で、つい後退ってしまったカルは自分が狩られる方だと言う事を認識してしまった。

 ちらりと後ろを見ると丁度超えて来た茂みが邪魔な位置にあり、逃げようにも逃げ憎い位置に自分が追い込まれている事を知った。


(逃げられない………)

 

「グギャワァツ」


「グギギ?」


 ホブゴブリンが呼びかけたのか、未だ屈んだままのもう1匹のゴブリンも振り向き立ち上がった。

 呼びかけたホブゴブリンの顔が、カルにはニヤニヤと嗤っている様に見えた。

 新たに立ち上がったゴブリンも、やはりその身体は大きく頭部の角を見てもホブゴブリンのそれだった。


「グチャクチャッ……グギーーー」


 手に持った動物の脚部を生で囓りながら、隣のホブゴブリンと同じようにその目は新たな獲物を見付けた喜びに打ち震えてるかの様に見えた。


(早とちりだった。襲われてるのはベッキーじゃなかった)


 心底よかった、と思うと同時にカルは自分の不用意さを呪った。

 もっと自分がよく確認していたら今自分はこんな窮地に立つ事もなかっただろうに。


「グギーー」


「グギギギ」


 ポイっと動物の肉を捨てもう一匹のホブゴブリンもまた腰を落とし、いつでも飛び掛かれる様にと軽くつま先で立ち此方を睨んだ。

 二匹ともカルを自分より弱いと決めつけ、舐め切っている様子で此方を見ている。

 ニヤニヤと嗤う凶悪な顔と、ジリジリと追い詰める様に迫る態度がそれを証明していた。


「―――クッ」


(戦うしかないのか………僕で勝てる、だろうか?)


 カルは木剣を正眼に構え少し前に突き出す。

 恐怖から来る権勢とも取れるその構えは、ホブゴブリン達を更ににやけさせた。

 だけど、カル自身は違った。

 カルには狙いがあった。

 この窮地を脱するために。


(やるしか――――ない!)


 誰に教わったでも無く自然と、『生き残る』その為にカルはそういう構えを取っていた。


(ホブゴブリンはきっと僕より強い、この木剣じゃ恐らくあまり効かない。それはさっきの攻撃で証明されてしまった。ホブゴブリンはゴブリンより何倍もその皮膚が硬いのかもしれない。そうなってくると狙うのは急所、それも一番攻撃力がある技で――――)


 何時だったかアーヴィンと王都の騎士団を覗きに行った時、訓練中の騎士が見せた技、カルは今それをふと思い出していた。

 その騎士は数メル離れた距離から瞬時に、まるで雷の様に一直線に駆け抜けたのだ。

 瞬く間を駆け抜けた後、騎士の体勢から放った技が突きだった事を知った。

 勿論それがカルに今出来る訳がない。



 だけど今――――

 

 もしあの騎士の様な―――――


 もしあの騎士の様な、鋭い突きを放てたなら――――



 カルは頭の中に、あの時の風景を思い浮かべる。


 思い出す王都の雑踏、街の匂い、そして騎士達の姿―――――


 そしてあの技を放った騎士の立ち姿を――――


 汗の迸りを、所作の全てを――――


 カルは突き出した木剣をスゥーっと引き戻す。


(握りは、確かこう)


 顔の横まで握り込んだ柄を持ってくると、ごく自然にカルは腰を落とした。

 少し後ろに過重が掛かった様な、そんな構え。


(構えは確かこうだった)


 あの技は間違いなく武技アーツだった。


 人が修練の末、身に着ける事が出来る必殺の技。

 それを人は武技アーツと呼ぶ。

 人ならざる威力を発揮する武技アーツには、筋力は勿論、技の鋭さも必要になってくる。

 だが最も必要と言われているのはプラスアルファの力、そうそれこそが『魔力』なのだ。


 だけども武技アーツは勿論、魔力すら使った事も見た事もカルはない。

 唯一見た事が在るのはあの騎士の瞬雷ともいえる突きだけだった。


 だからカルは思い出す。


 あの騎士の姿を――――


 そして思い描いた姿を自身に正確に『落とし込むトレース』する。


 何故かわからなかった。


 だけど、カルには出来る確信があった。

 

 自分のお腹辺りを中心に何か暖かい感覚が全身に広がっていく。


 ――――パチパチッ


 カルの身体を静電気の様な物が覆う。


 何かを察したのかさっきまで余裕のニヤケ面だったホブゴブリンが訝しんでる。


「グガッ………」


 

(――――――出来る!!)


 確信めいた想いがカルの中に芽生えた。


 カルはあの時確かに聞いた騎士の声、あの武技の名前を唱える。


 ありったけの力を込めて―――――


『ライトニングスピアァーーーーーッ!!!』

  

 言葉と同時に全身を魔力が駆け巡る。

 爆発的に身体の中を駆け巡った魔力を餌にカルの身体はかつてない速度でその身をに動かした。

 全てを置き去りに、カルはただ一直線に駆け、ホブゴブリンに神速と言える突きが襲い掛かる。


 ズガガガガガァーーーン――――


 直撃。


 その瞬間時ホブゴブリンの頭部と木剣が同時に破裂した。



 カルは身体の中から何か得も知れない力が急激に抜けていくのを感じ、生まれて初めて味わったなんとも言えない喪失感に、思わずその場で膝を着いた。


(くそっ、もう一匹居るのに………力が………抜ける)


 カルは力を振り絞り、もう一匹のホブゴブリンへとその小さな体を向ける。

 先ほどまで持っていた木剣は砕け散り、手はその影響か裂傷まみれだ。

 虚脱感から思う様に力が入らないカルは息も絶え絶えといった様子で、最早立っているのもやっとだった。


「はぁっはぁっはぁっ………」


(やれたのに………、僕がもっと強かったら、僕にもっと力があったら………)


「グギッ!」


 まさかの出来事に残ったホブゴブリンは驚きを隠せないでいる。

 まぁホブゴブリンに感情を隠すほどの知能があるかは謎だけど。


『つらい時程、格好をつけるんだ』


 アーヴィンがいつも言っていた言葉だ。

  

 木剣も無い、体はボロボロ。

 どう見ても満身創痍。

 勝てる要素なんておよそ一つもない。

 さっきもそうだったんだ。

 だけど僕は――――――負けない。


 今にも倒れそうなカル。

 目の前のホブゴブリンを強く、強く睨んだ。

 そしてカルは肩幅程足を広げ踏ん張った。

 それが今のカルに出来る精一杯の行為だった。


「ッギギギ………」


 カルのその気迫にホブゴブリンは思わずたじろいだ。


(そのまま逃げろよ、逃げてくれよ!)


 だがカルの想いも空しくホブゴブリンは、カルが弱っているのをずる賢く見抜いた。

 そして自分を大きく見せる為か大きくその両腕を広げると今、まさにその鋭い爪でカルに襲い掛かろうとしていた。

 その顔には最初の頃のニヤけは無い。

 油断できないと感じたのだろう。

 ホブゴブリンはギラギラと光る兇悪な赤い眼をカルに向けた。


(くそっ、僕はこんな所で終わるのか……)


 自分の身体は自分が一番わかる。

 当たり前の事だ。

 カルには分かっていた。

 本当に立っているだけでやっとで、もう一握りの力も残っていない。

 腕すら上げられないかも知れない。

 とてもじゃないけど戦えない。


 それでも――――

 それでもと、カルはホブゴブリンを睨む。


 そしてホブゴブリンはそんなカルに容赦なくその爪で襲い掛かってきた。


「グギャギャッーーー!」


 仲間の仇!

 とでも叫んだのだろうか?


 ホブゴブリンの爪が迫る中カルはぎゅっと目を瞑り、そんな事を考えていた。


 



 あれ?


 何時まで経ってもホブゴブリンの攻撃が来ない。


 目を開けたカルが見たのはホブゴブリンが後ろ向きにゆっくりと倒れていくところだった。

 そしてその胸には鋼鉄の剣が生えているのだった。


 ドスン―――


 ホブゴブリンが倒れた向こう側に居たのは――――


「よく頑張ったな、チビの癖に」


 どや顔で悪態をつくアーヴィン、その少し後ろにはベッキーとアーティお姉ちゃんが居た。


「……ハハハ」


 助かった。

 その安堵の想いと明らかに自分の力が足りない事への後悔、ベッキーが無事だった事の喜びと、アーヴィンの顔が矢鱈とムカつく事。

 そんな色んな思いがどっと押し寄せてきたカルは、よく分からない乾いた笑い声を上げると同時に両の瞳から大粒の涙を流すのだった。

 

 

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