第27話「偽りのブッダ、二」

「ここのようね」



 啓太達三人は千夜子の叔父を探し、釈迦の生まれ変わりがいるとされるお寺に到着していた。



 千夜子を先頭に、三人はお寺の門をくぐる。その先には、本堂と思しき立派な建物があり、啓太達を待ち構えているようだった。



「千夜子、叔父のノートはちゃんと持ってきてるよな」



「忘れるわけないじゃない。ちゃんと持ってるわよ」



 千夜子がカバンから傷のついた茶色の表紙をしたノートを取り出す。これが、今回時空の狭間に入るためのキッカケになるはずだ。忘れるわけにはいかない。



 お寺の敷地に入ってすぐ、街の賑わいや雑踏が遠ざかり、鳥の鳴き声も消えた。こころなしか、お寺も少し新しく見え。過去を映し出す時空の狭間に突入したのを感じさせた。



 啓太達は辺りに異常、つまり時代の怪異と成りうるものを探す。



 お寺の本堂の中、本堂の縁の下、石碑の周り、それぞれを入念に調べても何もない。



 啓太達は本堂前での捜索を止め、本堂の裏に回った。



 本堂の裏手には、少し広い空間があった。そこには鯉が優雅に泳ぐ池、植えられた水仙、そして一本の菩提樹が佇んでいた。



 その菩提樹の下には、誰かが座り込んでいる。



「……ひでえ恰好しているな」



 菩提樹の下にいる男は、髪の毛と髭が伸び放題だった。肌は風呂に入っていないせいか浅黒く、身にまとっているのは汚れて黒ずんだ一枚の毛布だけだった。



「あれが千夜子の叔父さん、じゃないよな」



「いいえ、叔父さんの面影がないわ。別人よ。たぶん、あいつが釈迦の生まれ変わりよ」



 今までの調査が正しいならば、菩提樹の下の男は笑いの法の施設から逃げ出した、聖処女の子供である釈迦の生まれ変わりだ。



 見た目は六十かそこらで、三十年と言う月日と合致しない。ただ資料から生まれ変わりの成長スピードは並々ならぬものだという情報がある。



 ならば、今の生まれ変わりは六十代などとっくに超えているのかもしれない。



 啓太達三人がすぐそばまでやって来ても、生まれ変わりは瞑想をしたまま目を閉じている。すごい集中力だ。



「お尋ねしますが、ここに尋ねてきた四十代くらいの男性を知りませんか?」



 千夜子が声を掛けても、生まれ変わりは何も返さない。



「お願いします。必ずここに来たはずなんです。やせ型で、眼鏡を掛けていて、白髪交じりの黒髪で、似合わない白い帽子を被った、そんな人なんです!」



 千夜子が詰め寄るが、生まれ変わりの様子は変わらない。



 その態度が我慢できなかった千夜子は、つい声を荒げてしまう。



「さっきから聞いてるんでしょ! 返事くらいしなさい!」



「おい、挑発するなよ。そいつが笑いの法で何をやったか知っているだろ。時間が経ったからって丸くなったとは――」



 啓太が千夜子を抑えようとした時、生まれ変わりに反応があった。



 生まれ変わりは黙したまま、立ち上がったのだ。



「やっと人の話を聞く気になったようね。初めからそうしていればいいのよ」



 生まれ変わりの閉じていた瞼が上がる。隠れていた瞳が姿を現し、両の眼が啓太達を睨んだ。



 その目の色は、とても冷たい色をしていた。



「千夜子っ!」



 啓太が千夜子と生まれ変わりの間に飛び出す。その瞬間、啓太の身体が弾かれた。



 啓太は強い衝撃により、十メートルほど宙を舞って千夜子の後ろに飛ばされていた。



「何? 何よ今の」



 千夜子が衝撃で腰を抜かしていると、いつのまにか目の前には立ったままの生まれ変わりがいる。



 どうやら、啓太を突き飛ばしたのは生まれ変わりだったようだ。



「さ、三十年経っても性格は同じまま。ってことかしら。我ながら軽率だったわ」



 千夜子は焦る気持ちで注意を怠った。それは時空の狭間では致命的なミスだ。



 千夜子の首が、生まれ変わりの片手に捕まる。――速い。千夜子が身構える暇もなく、そのまま持ち上げられる。



「止めるっす! チョコ先輩に暴力をふるうな」



 亜子が急いで駆けつけて、チョコ先輩の首を絞める腕にしがみつく。だが、びくともしない。



 生まれ変わりの、栄養失調気味の細い腕のどこにそんな力があるのか。千夜子の足先が地面から離れようとしている。



「っか。く、そ。もう、ちょっと。なの、に」



 千夜子が苦し紛れに生まれ変わりの脛を蹴るも、生まれ変わりは動じない。千夜子はただ成すがまま、探し人の情報を目前に絞殺されようとしていた。



 ――バチィッ。



 電流が流れるような、空間を裂く衝突音と共に、千夜子が解放される。



 千夜子はそのまま足を崩し、自分の喉を押さえてせき込んだ。



「この見境なしめ。おかげでこっちはたんこぶができたぞ。この野郎」



 千夜子を救ったのは、啓太だ。どうやら何かの方法で生まれ変わりの拘束を解いたらしく。生まれ変わりはいつの間にか啓太達三人から距離を取っている。



「神速通ね。速すぎるわ。ここは一旦離れましょう」



「向こうはやる気満々だ。あれだけ速ければ逃げられそうにないだろ。ここは、一気に決着をつけるべきだ」



「決着って。どうするつもりなの」



「任せとけ。理由は知らないが、この右腕も戦う気マックスらしくてな」



 啓太は背負っていたカバンを捨て、左手にバットを持ち、右手を前に突き出す。



 生まれ変わりは啓太だけを睨み、足を一歩前に出す。すると、生まれ変わりの身体が瞬時に啓太の目の前に現れたのだ。



「ふんっ!」



 啓太が前に翳した右腕と、生まれ変わりの拳がぶつかる。いや、ぶつかる直前でまた、空気を切り裂くような音と共に二人の身体が反発したのだ。



「生まれ変わりに、啓太の右腕が反応している?」



 千夜子は瞬時に頭を回転させる。啓太の右腕に埋め込まれた生贄返しの呪具と、生まれ変わりの間に何があるのか。その二つの関係性を、千夜子は思い当たるものがあった。



「釈迦の生まれ変わりと、神性を喰らう生贄返し。この二つは言って見れば、神性と反神性。それが作用しあっているの?」



 啓太とて、自分の右腕を完全に理解して使っているわけではない。生まれ変わりが予想外の場所に移動する度、そちらの方向へ右手を差し出して再び距離を取る。隙があれば左手のバットを振るって、攻撃も仕掛けた。



 けれども、生まれ変わりの動きは啓太が捉えられるものではない。右に現れたと思えば左に、前に現れたかと思えば後ろに、その動きに規則性はなく翻弄されるばかりだ。



 啓太は考えあぐね、バットでの攻撃を諦めて右腕に集中する。今度は右手で生まれ変わりとの間の空間を殴るように攻撃した。



「……!」



 その試みは成功した。啓太と生まれ変わりとの反発の際、生まれ変わりの方がより遠くに飛ばされる。生まれ変わりの身体はその衝撃に耐えられず、軋み、顔を歪ませた。



「どうだ。これならもう少しでオマエヲクッテヤレル」



 啓太の様子がおかしいことに、千夜子は気づく。右腕から全身に伝うように、風にたなびくスカーフのごとき白いオーラが侵食している。



 啓太の肌のところどころに拳ほどの目が開き、口が裂けて、啓太の骨格を変えていく。まだ全身が呑まれていないとはいえ、もう啓太の身体のほとんどが異形となりつつあった。



「あの姿は、じんだい様? なんで、じんだい様は黒い穴から呼び出す使い魔の類じゃないの?」



「ど、どうするっす? あのままじゃ、啓太さんが化け物になっちゃうっす」



 啓太の身体が変わると共に、動きも違う。蛇のような俊敏さで移動し、ゾウのような膂力で地面ごと抉って拳を振るう。



 対する生まれ変わりも、やられる一方ではない。静かに瞳を閉じたかと思えば、風に揺れる木の葉のように、啓太の一発一発を避け始めていた。



 啓太もただそれを見過ごすだけではない。急に身体の関節を無視して、生まれ変わりの回避した場所を追う。その攻撃が功を奏し、生まれ変わりにかすり傷を作った。



「け、啓太さんが人間じゃない動きをし始めたっすよ」



「分かってる。分かってるわよ。この戦い、早く終わらせないと啓太が危険なぐらい」



 千夜子はまた思考を加速させ、打開策を打ち出そうと熱を込める。しかし、そんなに急に良い考えが生まれるわけがない。そもそも二人の戦いは人外となりつつあり、手を出すことさえ困難なのだ。



「一進一退の攻防ね。これじゃあ、決着は長引くわ。まさか、お釈迦様の降魔の図じゃあるまいし。啓太が負けるわけないわよね」



 仏教の経典には、釈迦の悪魔に対する言葉として、こう記されている。



 悪魔よ、汝の第一の軍勢は快楽である。第二は不平不満である。第三は飢えである。第四はむさぼり、第五は怠ける心、第六は恐怖心、第七は疑いである。第八は虚栄心、第九は名誉欲、第十は傲慢な心である。悪魔よ、これが汝の武器である。



 釈迦は迷いの心を、悪魔として戦い。ついには迷いを克服して釈迦・仏陀となるそうだ。



 それが今の戦い、儀式とは、思いたくもない。



「ちゃんと帰ってきなさいよ。こっちは、こっちでやれることを考えるから」



 啓太と生まれ変わりは降り注ぐ日光の元で、尋常ならざるぶつかり合いを続ける。地面を穿ち、枝を切り裂き、巻き起こる風が草花を散らす。



 千夜子と亜子は、遠巻きにそれを見守ることしかできなかった。

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