第28話「偽りのブッダ、三」

 じんだい様に変化しつつある啓太と釈迦の生まれ変わりの戦いが熾烈を極める中、千夜子と亜子は啓太を援護できないか考えていた。



 クロスボウやパチンコでの援護は、無理そうだ。撃ったとしても、超接近戦で戦う啓太と生まれ変わりのどちらに当たるか分かったものじゃない。



「どうにかして、生まれ変わりの気を惹けば啓太が決着をつけてくれるはずよ。ただ、その方法があるかどうかが問題ね」



 千夜子と亜子は遠隔での攻撃を諦め、小さな会議を開いていた。



「笑いの法で見つけた生まれ変わりの写真を見せるのはどうっすかね?」



「自分の写真を見せられても動揺はしないわよ。もっと別の何かが必要だわ」



「別のっすか」



 そもそも千夜子も亜子も、生まれ変わりの素性は一部しか知らない。笑いの法に所属していた聖処女を母とし、母の亡き後、笑いの法の教団員に育てられていたくらいの情報だ。



 千夜子と亜子は考えあぐね、こんなことを喋った。



「せめて生まれ変わりのお母さんが生きていれば、説得してくれるかもしれないっすけどね」



「生きていればね。亡き人間を呼び寄せる方法なんて、そんなもの――」



 千夜子はそこまで言って、はたと気づいた。



「あるわ! 方法が一つだけ」



「えっ? 死者を呼び出す方法があるっすか?」



 千夜子はバックから茶色い表紙のノートを取り出す。それは、千夜子の叔父のものだった。



「叔父のノートに降霊術の方法が記載されていたわ。儀式に必要なものも、オカルトグッズで代用できる。理論上は可能なはずよ」



「で、でもそんな簡単に成功するっすか?」



「ここは時空の狭間。あいまいな術の類でも強調される。成功率は高いわ。それと……、亜子に聖処女の霊を憑依させて」



「……ぶえっ!? 何で私っすか!?」



「亜子は一度自分の母親を憑依させた実績がある。おそらく、亜子は憑依体質なはずなの。なら私よりも成功確率が高いはずよ。お願い。啓太を助けるには他の方法がないの」



 千夜子の無茶な要求に、亜子はためらう。ただし、啓太を助けたい気持ちは亜子も同じだった。



「その方法しかないなら、私に反対する気はないっす。お願いするっす。チョコ先輩」



 亜子の覚悟に、千夜子は頷き。すぐさま降霊術の準備がはじめられた。



 まず円を作って、その中心に亜子を座らせる。亜子は白い羽織を被り、生まれ変わりの写真や干からびたカエルの死体、ウサギの尻尾などを持たせる。



 最後に聖水と称される液体を亜子の額に少量塗って、準備は完了した。



「結構用意するものは少ないっすね」



「問題はこれからよ。呪文を唱えて、憑依される人物をトランス状態にさせる。これが成功しなきゃ、降霊術は失敗よ。集中しなさい」



 呪文を唱えるのは千夜子だ。亜子は目を閉じ、聴覚に神経を集中させて気持ちを高ぶらせる。



 後は、ただ始めるだけだ。



「始めるわよ」



 千夜子は叔父のノートから抜粋した言葉を口にする。それは日本語ではなく、英語などでもない。どこか異国の言葉だが、独特の波長は念仏のような、祝詞のような響きがあった。



 千夜子は不規則な抑揚をつけ、感覚を不安定にさせる効果を付ける。時には長い沈黙を与え、慣れがちな聴覚に鋭さを取り戻させた。



 千夜子が言葉を紡ぎ始めてから五分、亜子に動きがあった。



 亜子は突然痙攣するように揺れたかと思えば、時空の狭間の効果なのか、全身から淡く白い光を放ち始める。



 千夜子はそれを確認すると、よりいっそう言葉に熱を入れた。



 儀式が進むにつれて、辺りにつむじ風が舞って、焦げたような異臭が漂い、僅かに空間が歪む。



 とてもただの降霊術とは思えぬ光景が、千夜子と亜子の周囲を取り囲んでいた。



「――っ!」



 千夜子が一際大きな声で言葉を締める。



 すると先ほどまでの異様な空気は鎮まり、亜子が何も言わずに立ち上がった。



 亜子はゆっくりと目を開き、慈悲深い視線を千夜子に送った。



「あなたが釈迦の生まれ変わりの母親である聖処女。で、いいのよね?」



 亜子は頷き、厳かな言葉が口から発せられる。



「話は亜子さんの記憶から存じております。千夜子さんの願い、亜子さんの願いはよく分かります。手伝いましょう」



「いいの? あなたの子供に弓を引くような頼みなのだけど?」



「構いません。今の我が子を見る限り、あの子は苦しんでいます。迷いや業に憑りつかれ、あのままではあの子の望みは叶いません。傲慢を捨て去るには、一度敗北を味わう必要があるのです」



「厳しいのね。私達にとってはありがたいことだけど」



「これがせめてもの、私の愛情なのです。あの子の想いは私の想い。悟りを開けるなら、苦しみさえも受け入れるべきなのですよ」



 亜子、ではなく聖処女は生まれ変わりの方へ向き直り。今まさに戦っている二人の元へ歩き出す。



 啓太と生まれ変わりに十分近づいたところで、聖処女は名前を呼んだ。



「我が子、シッダよ」



 おそらく生まれ変わりの、本当の名前を聖処女は口にした。



 その言葉は生まれ変わりの耳に届いたらしく、動きが一瞬止まり、生まれ変わりと聖処女の視線がぶつかる。



 聖処女は微笑し、生まれ変わりは呆然とする。生まれ変わりには亜子に憑りついた聖処女の姿が、見えているのかもしれない。



 そうして母と子は初めて出会い、少しの間見つめあっていた。



「ガアアアアアッ!」



 その沈黙を破ったのはじんだい様になりつつある啓太の吠えであった。



 啓太の正拳突きが、無防備な生まれ変わりの頬を捉える。生まれ変わりは啓太の一撃で、体勢を崩し、その場で倒れこんだ。



 啓太は追撃とばかりに蹲った生まれ変わりの身体を掴み、自分を中心にぐるぐると周って、そいつを遠くに放り投げた。



 そうやって生まれ変わりの身体は人ならざる力で、菩提樹の幹にぶち当てられたのだった。



 生まれ変わりは座り込むように力なく腰を落とす。



 もう、生まれ変わりに戦闘意欲はないようだ。



 だが、啓太の方はそうもいかない。今もまさに、止めを刺さんとばかりに生まれ変わりへと近づいているのだ。



「もう十分です。矛を収めてください」



 亜子の身体を借りた聖処女が、二人の間に割って入る。



 けれども、じんだい様に意識を奪われている啓太は、止まる様子がない。



「待ちなさい、って言ってるでしょ! この馬鹿!」



 今度は聖処女の前に千夜子が身体を滑らせる。千夜子に反応したのか、啓太の足が止まった。



「もう戦わなくてもいいわ。私達の目的はあくまでも叔父の捜索よ。止めを刺す必要はないのよ」



 啓太は動くか、動かまいか、悩んでいるようだった。啓太と、じんだい様の意識がせめぎあい、目の前の判断をどう処理するか迷っているのだ。



「私との雇用契約はまだ継続中よ。破ったりしたら、もう賃金上げないからね。絶交よ、絶交!」



 千夜子の言葉に、啓太の返事はない。



 啓太の震えはいつのまにか収まり、ただただ千夜子を見つめている。



 千夜子は言葉が届いた。と思ったが、それは間違いだった。



 啓太の身体はもう、全身をじんだい様の白い闇に包まれている。その白い肌に黄色い肌はなく、身体中に目玉と裂けた口が現れているのだ。



 眼球は爬虫類のようにせわしなく動き、口は水面の金魚のようにパクパクと開いたり閉じたりし。その様子はとても人間の意識があるとは思えなかった。



「……啓太」



「クオオオオオッ!」



 千夜子の言葉が虚しく掻き消え、代わりにじんだい様の唸りが境内に響く。



 じんだい様は顎の関節を無視して洞穴のような口を開き、三人を呑み込まんとしていた。



 万事休すかと千夜子が思った時、その肩が誰かに叩かれた。



「下がりなさい。後はワシが対処しよう」



 肩を叩いたのは、亜子だった。だが様子が違う。今は聖処女が憑依しているはずなのに、発しているのはしわがれた男性の声だった。



 亜子は千夜子の前に出ると、じんだい様に向けて人差し指を立てた。



「しかし、よう暴れたものだ。ワシが持っていた時よりも元気と違うか?」



 じんだい様が痙攣するように大きくビクつく。その動きを止め、亜子の前で子羊のように大人しくなったのだ。



「こいつを使うと、しばらくじんだい様が出てこれなくなるが。まあ、大丈夫だろう」



 亜子は拳を握ると、じんだい様の形が変わる。人並みの大きさに戻り、白い肌が黄色いへと戻っていく。



 顔でない場所の眼も口も、波が退くように閉じていき。黒い髪も取り戻り、啓太本来の姿が現れてきた。



 啓太が目を開け、意識を取り戻す。その顔はひどく疲れていた。



 啓太はぐらつきながらも、自分の目前にいる亜子に声を掛けた。



「亜子、じゃないな。あんたは誰だ?」



「十年程度で忘れられるとは悲しいな。私に名乗る名前がないことなど、お前が良く知っているだろう」



「……師匠なのか?」



 亜子の身体を借りた師匠は、うんと頷く。その顔は笑みをつくり、可愛い我が子を見ているようであった。



「私からの忠告だ。まだまだ世界は広く、希望にあふれている。そう簡単に、あちら側へ行くんじゃないぞ」



「師匠、あんたは今どこに――!」



 啓太が全てを言い切る前に、亜子の身体が力なく崩れ落ちる。



 啓太は慌てて、亜子の身体を受け止めた。



「流石に疲れたっす。でも、啓太さんが元に戻れて良かった」



 その顔には聖処女の清らかさも、男性の険しさもない。ただ一人の心優しいわんぱくな女性の顔があった。





 啓太達は自分たちの身体に大した傷がないことを確認して安堵し、これからどうしようか話し合うところだった。



 そんな最中、菩提樹の根元で転がっていた釈迦の生まれ変わりがふらりと立ち上がったのだ。



「おい、亜子も千夜子も下がれ!」



「いいえ、その心配はなさそうよ」



 千夜子が言う通り、生まれ変わりの眼には戦闘意欲がない。どうやら、啓太との決着を受け入れ、敗北感を味わっているようであった。



「こいつの処遇も決めないとな。さて、どうしたものか」



 啓太達三人が顔を見合わせた時、ふいに日の光が四人に集中して、辺りが真っ白になる。



「な、なんだよ。急に」



 光の中、遠くからビルほど巨大な人影が近づいてくる。その人影は頭部に螺髪を持ち、衲衣を纏っている。足は裸足で、虚空を踏みしめながらこちらへとやって来ている。



 啓太達が唖然と見上げていると、生まれ変わりだけが二つの眼を輝かせていた。



 大きな人影は、菩薩だ。そうとしか言えないシルエットをしており、慈悲深き優しい笑顔をたたえ、両腕を伸ばしてきていた。



 生まれ変わりは、それを受け止めるように両腕を広げる。



 菩薩はそれに応えるように、両手で生まれ変わりを掬い上げたのだ。



 菩薩の手の平の上で生まれ変わりは泣いている。それが感激の涙であることを、啓太達は何となく察した。



 そして、生まれ変わりの隣に一人の女性を連れて、二人は菩薩と一緒に天へ昇っていくのだった。



「もう戻ってくるなよー」



 啓太がそう声を掛け、亜子は手を振っている。千夜子は手の平で影を作って、遠く離れる菩薩を観察していた。



 しばらくすると、天に昇った菩薩の形は無くなり、周囲の白い光も消え、静寂が戻った。



 ただその場は静かなだけではない。遠くから喧騒が聞こえ、鳥の鳴き声が聞こえてきたのだ。



「時代の怪異は、釈迦の生まれ変わりだったみたいだな」



「叔父も、時代の怪異は死んでいる者に限らないと言っていたわ。その通りだったみたいね」



「そういえば、千夜子の叔父についての情報は得られずじまいだったな。いいのか?」



「いいわけないでしょ! 一つでも情報がないか、これから探すわよ」



 千夜子の叱咤に、啓太も亜子も動き始める。菩提樹の下や、近くの草藪、鯉のいる池の中も竹竿を使って探す。



 そうして、近くを探し回っていると、千夜子は人為的に草が被せられた場所を発見した。



「これは……」



 千夜子が草を剥ぐと、そこには完全に白骨化した死体があった。腐敗臭はなく、肉片もついておらず、磨かれたような白骨が寝かされているのだ。



 更に白骨の頭部近くには、つばの大きい帽子が落ちていた。



 それはかつて白かったのだろう。土と風雨で汚れていて、すこし黒ずんでいた。



「……そんな」



 千夜子の目線は白骨の傍にある物体にくぎ付けになっている。



 その視線の先で、千夜子が持っているのと同じ茶色の表紙をした分厚いノートが白骨の腕に抱かれていたのだった。

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