第26話「偽りのブッダ、一」
笑いの法の施設から抜け出した啓太達三人は、千夜子の叔父のノートを行探研の部室で見分することにした。
叔父のノートは様々な時空の狭間の怪異譚、それぞれの観察と解決方法が克明に描かれており、経験の蓄積がうかがえた。
そして三人は目的のページである、最後の記述部分までたどり着いた。
「笑いの宿での集団失踪は、やっぱり釈迦の生まれ変わりが原因のようね。本人、どうやら笑いの法と関係がある以上瞑想に集中できないと気づいたみたい」
「笑いの法との関係を断つために虐殺、か。短絡的だな。死体がなかったのは時空の狭間が原因かな」
「おそらくはね。叔父が発見した教祖の書置きは時空の狭間の中で見つけたそうだし、その可能性が高いわね」
釈迦の生まれ変わりと笑いの法の教団員失踪の謎が分かったところで、本題は叔父の行く先だ。
ノートによれば、叔父は釈迦の生まれ変わりの行き先に見当をつけたらしい。
「釈迦の生まれ変わりが今も発見されないのは何故か。あれだけ特異な能力を持っていれば、ニュースにならない方がおかしい。つまり釈迦の生まれ変わりは既に死亡しているか、時空の狭間に潜伏したことになるわ」
「ただ、前者は死体が発見された形跡はないので除去され。千夜子の叔父は後者を信じて時空の狭間を探したわけか」
釈迦の生まれ変わりは生死が不明とはいえ、時空の狭間にいる。そう考えた叔父はノートに候補となる時空の狭間の場所を記していた。
「目撃情報がないことから、もっとも近場で瞑想に適した場所は、ここのようね」
千夜子が指さしたのは笑いの宿から近い、お寺だった。
「それにしても、このノート凄いな。オカルトやスピリチュアルな内容ばかりだ。降霊術や霊界通信とかも書いてあるぞ」
「叔父はそっち方面も詳しかったわね。どう? 一つぐらい試してみる?」
「……遠慮するよ。興味はあるが、実験台になる気はさらさらないからな」
啓太の言葉に、千夜子は押し殺すように笑っている。やはりからかわれていたようだ。
「このお寺にはいつ行く。今からでも行けるか?」
「そう思ったのだけど、念のために少し準備するわ。明日は祝日で休みだし。一日の遅れくらい問題ないはずよ」
「三年か。待望の情報なのに、焦らないんだな」
「待望だからこそ、失敗は許されないのよ。時空の狭間は何が起こっても不思議じゃない。備えるべきは全ての可能性だ。叔父は時空の狭間に出かける際、いつもそう言っていたわ」
三人は時空の狭間に行く準備として、ホームセンターや少し怪しいオカルト専門店に出かけ、必要な物を買いそろえた。
再び行探研の部室に戻ると、買った荷物をバックに積みなおし始めていた。
荷物の準備の最中、千夜子は珍しく無言だった。それにつられてか、啓太も亜子も何も言えずにいた。
だが沈黙に耐えられなくなったのか、ついに亜子が口を開いた。
「チョコ先輩は叔父さんにあったら、最初に何を言うんっすか?」
「え? ああ、そうね。何を言うかはもう決まっているの」
千夜子は思い出すように、言葉を口にした。
「今も昔も、好きでした。って言うの」
「そ、そうっすか。あれ? でも叔父さんっすよね」
亜子は疑問符を浮かべ、千夜子や啓太に顔を向けて答えを求める。
千夜子は当然として、啓太は薄々分かっていた。千夜子は胸に秘めていた想いを伝えるつもりなのだ。
「血縁関係なんて関係ないわ。両親は反対するでしょうけど、そうなったら絶縁でもするわ」
「そこまでするのか。よほど特別なんだな。叔父は」
「そうよ。叔父は私が私であるように形成してくれた恩人でもあるの。叔父と出会わなければ、私はつまらない人間のままだった。私が、私を好きになれる本物を教えてくれた人だもの」
啓太は少し複雑な顔で千夜子を見るも、その感情は啓太もまた共感できるものだった。
「分かるよ。俺も恋愛的に好きとは言わないけど、俺に生贄返しの異能をくれた師匠には感謝している。あの人がいなければ、今の俺はなかったんだ」
「そうなのね。そういえば、啓太は生贄にされたって言ってたけど、どんな生い立ちなのかしら。私の秘密を打ち明けた以上、少しくらいは教えなさいよ」
千夜子は興味津々に聞いてくる。人の事情に手を突っ込むのに、そんな雑さでいいのだろうか。
啓太は千夜子の自由奔放さに呆れつつも、リクエスト通り話すことにした。
「俺は閉鎖的な島に生まれた。代々家族から一人の生贄を差し出すという因習に憑りつかれた家系にな。もうすぐ俺は生贄にされる。そんな時、現れたのが師匠だった」
島に流れ着いた名もなき初老の男性を、外の者を受け入れない村人たちは誰も助けようとしなかった。
だから同じように村から爪はじきにされていた上城家の両親は同情を覚えたのだろう。自分の家に初老の男性を匿い。世話をすることにした。
初老の男性は看病のおかげで会話ができるほど元気になり、両親にお礼の言葉を述べた。
ただ、初老の男性は決して名前を名乗ろうとはしなかった。そのため、話す知識の豊富な初老の男性の事を、上城家は師匠と言うことにした。
師匠は動けるようになり、上城家の長男である啓太に色々と教えてくれた。世間の常識、世界の広さ、見たこともない景色、楽しいことや嬉しいこと。
生きていることは希望にあふれている。いずれ生贄にされる啓太にとってそれは羨望であり、絶望でもあった。
啓太のその様子を訝しんだ師匠は、上城家の両親に事情を訊いた。両親は他人に話すには酷であると知りつつも、誰にも打ち明けられずに苦しんでいた胸の内を、師匠に明かした。
師匠は啓太の未来を知り、泣きながら激怒した。今まで誰にも自分達の境遇を知って感情を動かしてくれる人間と会ったことのない上城家は、それだけで嬉しかった。
師匠は何とか啓太に訪れる災厄を避けるため、考えを巡らせた。生贄の儀式を行う下村家に直談判をしようかとも思ったらしいが、殺されてしまうかもしれないと上城家の両親に止められた。
師匠は悩んだ末に、ある解決方法を提案した。それがじんだい様だった。
じんだい様の生贄返しは神秘を喰らう反神性、神聖な儀式へ呪詛返しを行う魔の道具。用いれば生贄は助かるけれども、禁断の法であり、最後の方法だった。
啓太は師匠からじんだい様の性質、使用方法、注意点を学び。生贄の儀式を行う前日に、じんだい様が宿る呪具を啓太の右腕に埋め込んだ。
埋め込んだ方法を、啓太はあまり覚えていない。ただ燃えるような激痛があったことだけははっきりと覚えている。
じんだい様の移植の後、師匠は忽然と姿を消した。何も言い残さず、そこにいた形跡も残さず、島を出た様子も死体もなかった。
「じんだい様のおかげで、俺は下村家の生贄の儀式を生き延び。おまけにじんだい様は儀式の神秘だけではなく、島の因習の空気まで変えてくれた。島からは次々と脱出する住人が相次ぎ、最後は上城家と下村家が残り。相談の末、上城家は島を出ることになった」
下村家は過去の罪を償うように、島に残った。それが啓太の素性の経緯である。
「なんだかすごい話ね。私と叔父の関係なんて霞むほどじゃない」
千夜子は啓太のエピソードの重厚さに不満感を丸出しにした。
「でもいいわ。どんな形にしても、もうすぐ私は叔父に会える。それならば、ヨシよ」
「ははは。そうだな。叔父さんは、生きているはずだ。俺は応援しているよ」
「応援だけじゃなくて参戦してもらうわよ。叔父には友人の亜子も啓太も紹介するつもりなのだから。分かったわね!」
「はいはい、お気に召すままに。雇い主様」
啓太は冗談のような言い回しで、千夜子の言葉を受けいれた。
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