第25話「聖処女サトゥルヌス、七」

 山姥が上の階に移動したのを音で確認した啓太達三人は、地下の資料室を目指して階段を下りていた。



 下りている最中、突然上の階から爆発の反響音が階段まで届いてきた。



「どうやら山姥が携帯のブービートラップにかかったようね。我ながら冴えた作戦じゃない」



 千夜子が満足そうな顔をしている反面、啓太はひどく落胆した顔をしていた。



「何も俺の携帯を使わなくてもよお。結構新品だったんだぞ……」



「小さい事を言わないの。そんなに携帯が欲しかったら、業務用に一台経費で買いなさいよ。それくらいこちらからお金を出すわよ」



「え、いいのか? だったら俺は最新機種買うぞ。いいんだよな?」



「ただし私の着信にはちゃんと出なさいよ。必ず毎回三コール以内を厳守しなさい」



 啓太の顔は喜々としつつも、千夜子の厳しい制約に難色を示していた。



 そんなやり取りをしている最中、ブレーキ音のような甲高い悲鳴が施設中にこだました。



「……怒らせただけだったかしら。まあ、いいわ。地下に急ぎましょ」



 三人は地下に差し掛かり、電灯がない暗闇の空間を前にした。千夜子は明かりで周りを照らし出すために、啓太のバックパックから大きな懐中電灯を取り出した。



「これでいいわね。さあ、進むわよ」



 千夜子を先頭に、一室一室確認しながら進む。地下には瞑想の部屋、懲罰房、終いには死体安置所などもあり、そこは地上と比べても別世界のような場所だった。



「資料室、資料室……あったわ」



 地下はそれほど広くはなく、目当ての資料室はすぐに見つかった。



 扉には鍵は掛かっておらず、三人は簡単に資料室へ侵入した。



「さて、探すわよ」



 探すのは釈迦の生まれ変わりと言われた、聖処女の子供の写真だ。



 探すこと数分。意外にも目的のものは時間を掛けずに発見できた。



「あったっす。写真の裏に日付と、釈迦の生まれ変わりって書いてあるっす。これに間違いないっす」



「でかしたな、亜子。後はどうやってあの山姥に子供のことを伝えるかだな」



 啓太が写真を手に考え込んでいると、探し物を放棄した千夜子がこちらに駆け寄ってきた。



「私にも見せなさいよ。って、危な」



 千夜子が資料の塊に足を取られて、体重を近くの資料棚に預けた。



 すると、重心の高い資料棚が崩れ、立て直す暇もなく音を立てて倒れた。



 その音は地下空間を跳ねまわり、音量を増幅して施設全体を覆った。



「おい、こんな時に。二度も敵の注意を惹くなよ!」



「し、仕方ないじゃない。こんな場所に障害物があるなんて思わないでしょ」



 啓太はまだ何か言いたげな風だが、時間はあまりない。資料室の外からこちらに迫る、雑踏のような足音が近づいてくるのだ。



「階段は二方向にあったな。山姥の来る逆の方から逃げるぞ」



 啓太達三人は資料室を飛び出すと、懐中電灯の光を頼りに足音と逆の方向へ逃げる。



 走っている途中、気になって後方を照らすと、そこには般若のように顔をこわばらせて這いつくばりながら走ってくる山姥の姿があった。



「うお、近い近い。早く行け!」



 三人は恐怖で色々と喚きながら、それでも真っすぐ階段へ向かう。



 見えてきた階段をすぐ駆け上がり、上から降ってくる光を頼って、三人は外へ逃げ出せたのだった。



 「ひっ」



 階段を登りきったところで亜子が短い悲鳴を上げ、千夜子も息をのむ。階段を抜け出した通路の先に、見るも無残な死体を見つけ出したからだ。



 それは服装の特徴からこの施設で最初に出会った見知らぬ男であると分かった。ただ、その姿は正視に耐えないものだった。



 見知らぬ男の死体は全身をぬらりとした粘液質の液体が滴り、四肢はあり得ない方向に曲がっている。首は壊れた人形のようにひしゃげ、顔は驚愕し、目は驚きのあまり見開いたままだ。



 三人が目撃した死体に取り乱したり哀悼する暇もなく、階段を這いあがる山姥の気配を感じた。



「あの巨体だ。階段の高低差を活かした方が有利だ。ここで迎え撃つぞ!」



 啓太は千夜子と亜子に確認する。どうやら二人とも顔色は悪いが覚悟はできているようだ。



 三人がそれぞれの武器を手に戦闘態勢を整える。そうして待っていると、地下の暗がりから、蟻のように這う灰色の巨大な身体が現れた。



 山姥はU字の階段を、身をくねらせて這い上がり、階上にいる啓太達三人を二つの眼で睨みつけた。



 千夜子はそれを待ち構えていたように釈迦の生まれ変わりの写真をかざした。



「これを見なさい。あなたの子供はもう無事に出産したのよ。未練なんて最初からないの。さっさと成仏しなさい!」



 千夜子が語り掛けるも、山姥は動きを止めない。確実に写真を見せているのに、反応が全くないのだ。



「ダメっす。まず自分が子供を出産したことに気付かせないと、認識しないっすよ」



「だったら、その空っぽの胎をへこませてやる」



 啓太は果敢にも山姥の腕の間合いに入る。当然、山姥は啓太を掴もうと二本の腕を伸ばしてきた。



 啓太は右に左にバットを振るい。山姥の腕を叩き落とす。だが、このままでは山姥の腹を直接攻撃する隙は無い。



「援護するわよ。亜子」



「分かったっす。さっきと同じっすね」



 千夜子と亜子は交互に、パチンコの玉とクロスボウの矢を、山姥の顔目掛けて放つ。



 今度は両腕を啓太に向けているため、その攻撃は山姥の両目を潰した。



「ウギャアアアア」



 山姥が絶叫を上げて顔を押さえた瞬間を見逃さず、啓太は山姥の腹に潜り込んだ。



 そして、大きく振りかぶったバットが渾身の力で振り下ろされた。



「さっさと、気付けええええ!」



 啓太はジャストミートで腹のど真ん中にバットを叩きこむ。けれども、その打撃は腹圧に押し返され、僅かにめり込んだだけだった。



 ただし、バットの感触は確かにゴム風船を叩いたような、胎の空洞を報せるものだった。



「ダメだ。俺の力じゃ全然足りない。何か、もっと巨大な力か重さで押さないと――」



 その時、啓太は閃く。この大きな腹を押し返すにはもっと打撃面積が広く、かつ重いものをぶつければいい。それならば、ちょうどいいものがここにあるではないか。



「場所を移すぞ! 第一大講堂に移動だ」



「ええ、どうしてなの!?」



「説明は後だ。動け動け!」



 啓太に引き連れられ、ちょうど串刺しになった目玉ごと矢を引き抜いた山姥から離れる。



 去り際に後ろを確認すると、山姥の目は瞬時に再生しており、ギョロリとした目がこちらを向いていた。



 どうやら、叩きのめして調伏させる方法は難しいらしい。



 三人は第一大講堂に入ると、早速行動を開始した。



 そこには、他の大講堂にはない。巨人太鼓と言われる燃え上がるように赤く、象のようにでかい太鼓が鎮座していた。



 そのあまりの大きさは、近くで見れば見上げるほどであった。



「この巨人太鼓をあの山姥の腹にぶつける」



「なるほどね。それだけの圧力があれば腹も凹むかもしれないわね。問題は動く山姥に当てられるかどうかね……」



 千夜子はしばらく考えた込んだものの、決心したように提案した。



「私が囮になって山姥の動きを止めるわ。そのまま転がしただけじゃあ、受け止められるかもしれないし。その方が確実よ」



「大丈夫か。失敗したら、どうなるかは分かってるよな」



「まっかせなさい。この行探研一の美女の魅力で山姥なんかメロメロにしてあげるわ」



 そう自信ありげな発言をする千夜子の顔は、正直不安で押しつぶされそうなほど固い。できれば啓太が変わってやりたいが、巨人太鼓を二人の女性で転がせるとは考えづらい。



 そのうえで女性二人の内、山姥に掴まれるまで正気を保ち、逃げずにいられる人物は間違いなく千夜子の方だ。



「すまないっす。私ではその役目代われそうにないっす」



「分かってるってば、そもそも亜子にはここに来る動機なんて一つもないのに付いて来てくれた。それだけで感謝いっぱいよ」



 千夜子の発言に、啓太は首を傾げた。



「あれ? 俺は?」



「お金で付いてきた人は無償の善意に入らないわよ」



「……そうだったな」



 ともかく、こうして準備は完了した。千夜子は目立つように第一大講堂の真ん中に陣取り、啓太と亜子は巨人太鼓の後ろに隠れた。



 まるでその体勢が整うのを待っていたように、山姥が入り口から飛び込んできた。



「さあ、愛しい我が子じゃないけどこっちよ。できればこの写真で許して」



 千夜子はへっぴり腰で写真を盾に山姥をおびき寄せる。



 だがやはり、山姥は写真に反応しない。作戦は続行だ。



「く、来るなら来なさい。……やっぱり来ないで」



 おびえた様子の千夜子に構わず、山姥が掬い上げるように千夜子を持ち上げる。



「今よ今よ今よ!」



 山姥は立ち止まり、千夜子を丸呑みにしようと、自分の頭より上に持ち上げた。動くなら、今しかない。



「いくぞ、亜子」



「はいっ!」



 啓太と亜子はバットをテコにして、巨人太鼓を転がそうと全力を尽くす。



 果たして、巨人太鼓はゆっくりとその巨体を傾けた。



「そいっ!」



 啓太と亜子は力を合わせて、最後の一息を入れる。



 勢いの付いた巨人太鼓は、山姥に向かって速力を増しながら突貫した。



 ズンッ、と重い音と共に山姥の腹に鈍重な一撃が入った。



「おしっ、どうだ」



 巨人太鼓がぶつかった後、それが横に逸れると、山姥の腹は膨らんではいなかった。



 作戦は、成功だ。



「見なさい! あなたのおなかの中は空っぽなの! あなたの子はもう無事に出産されたのよ!」



 千夜子は目前にある山姥の、かつて聖処女と言われた女性の顔に、写真を差し出す。



 山姥の目は、腹と写真を別々に見つめてから、千夜子の代わりに写真を掴んだ。



「あいてっ」



 千夜子が尻から畳の上に着地し、痛そうに腰を押さえている。



 山姥の方はと言えば、その目は正気を取り戻したように輝き、写真に齧り付くように顔を近づけていた。



 山姥の両目から、乾いた肌を通じて涙の滴が零れ落ちる。それは荒れ果てた大地に歓喜の雨が降り注ぐような、温かい感情から流れたものだった。



 山姥、いや聖処女は足元からゆっくりと消えていく。最後は、掲げた写真を持つ指先が写真を残して消えた。



 聖処女が消えたのを確認した千夜子は、写真を拾い上げながら、安堵した。



「意外になんとかなるものね。でも囮役はもうこりごり。次は啓太にやってもらうわよ」



「機会があったら、な。できれば危ない橋を渡してくれるなよ」



「それはその時の状況次第ね。第一、ボディーガードはその身を挺して主人を守るものじゃない?」



「俺はあくまで雇われだ。便利屋扱いはやめてくれよ」



「うーん。そうね。考えておくわ」



 啓太の懇願を退けた千夜子は、近くに写真以外の物が落ちていることに気付いた。



 それは茶色表紙をした革の本だった。



「これは、もしかして叔父の?」



 千夜子は本を拾い上げて中を見る。その中には、千夜子に見覚えのある象形が描かれていた。



 三人は顔を埋めるようにして、千夜子の叔父のノートを見る。とは言っても、その内容を読み解けるのは千夜子ただ一人だ。



「これは、最近の物のようね。内容は、ええっと」



 千夜子がノートをなぞり、その一節を読み解いた。



「ついに、釈迦の生まれ変わりの居場所を突き止めた――」



 千夜子は間もなく叔父に会えるという期待を胸に、ノートを読み進め始めた。

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