第24話「聖処女サトゥルヌス、六」
外からの落下してきた何かはガラスを突き破り、けたたましい衝突音を響かせた。
啓太は咄嗟に千夜子と亜子を庇い、背中にガラスの破片が突き刺さる。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
「黙ってろ。あいつが来るぞ!」
上階から降ってきた肉塊は、枝垂れた白髪とでっぷりした腹が特徴の、かつて聖処女と言われた山姥だった。
ガラスと窓枠が肉にめり込み、落下の衝撃があるにも関わらず、老婆は平気そうにしている。
老婆は自分の大きな腹を片手で守り、片腕を啓太達三人に伸ばそうとしていた。
「来るんじゃない。離れろ!」
啓太は身体を掴もうとする腕を、渾身の素振りで跳ね返す。それでも、老婆の腕の骨が折れた様子はなく、再びこちらに向かってくる。
「亜子、目を狙うのよ。目を」
「分かったっす。チョコ先輩」
千夜子と亜子は、それぞれクロスボウとパチンコを使って老婆の両目を狙う。しかし、老婆は事前にそれを察知したのか、自分の両目を薄い手の平で覆った。
千夜子と亜子は必死に両目を狙い続けるも、効果はないようだ。
「ちょっと、亜子! 近づきすぎよ!」
「へ?」
先頭に突出した亜子が、間抜けな声を出す。
その隙を突くように、山姥の指が蛇のような俊敏さで亜子の胴体に絡みつく。うかつにも、亜子はその動きに反応できなかった。
「ひっ、く、食われたくないっす!」
山姥は捕らえた亜子を、少しづつ自分の顔に引きつけ始めた。このままでは比喩も冗談なく、本当に亜子が食べられてしまう。
「止めろ! 亜子はお前が食っていいような奴じゃないんだぞ!」
啓太が齧り付くように老婆の腕へ近づき、バットで乱打する。
けれども、老婆はひるむような様子はなく、引き続き亜子を捕らえたままだ。
「仕方ないわね。これでも取ってきなさい」
千夜子は自分の小さなカバンから、人形を取り出す。それは継ぎはぎだらけのみすぼらしい格好をしており、とても貴重品には見えない。
千夜子は間髪入れずに廊下に向かって人形を投げる。
すると、どうだろう。亜子に夢中だった老婆は目尻に人形を確認した途端、亜子を手放して中庭から人形を追い始めた。
そして人形が落ちている廊下に接近すると、窓ガラスを割って腕を人形の元へ伸ばしたのだった。
「今よ!」
千夜子の掛け声とともに、三人は尻尾を巻いて逃げるように階段へ走っていった。
啓太達三人は逃げる勢いもあって、ついに最上階の五階まで到達していた。
その階は大き目な宿泊部屋と食堂があり、三人は大きな部屋で休むことにした。
啓太は千夜子に背中の手当てを受けながら、言葉を口にした。
「しかし、山姥があんな人形の囮に気を惹かれるとは思わなかったな」
「それについては説明してあげるわ。あの人形はね。老婆が大切にしていた人形なの」
千夜子が語るには、老婆は普段人がいない時にはあの人形を我が子のように愛でているらしい。
何故そんなことを知っているかと言えば、この情報もまた千夜子の叔父のノートから知ったそうだ。
「ノートの切れ端には山姥の巡回ルート、習慣、飲食についてや排せつについて、綿密な観察が書かれているわ。それに観察の結果から、一つの仮説まで書いてある」
「何の仮説だ?」
「あの山姥を、倒す手段よ」
千夜子の叔父によれば、山姥と呼んでいる聖処女が時代の怪異となった原因が推察できたらしい。
山姥は内部の資料から、出産の前に死亡した。つまり自分の子供を産んだことに気付いていないのだ。
その結果、山姥は子供を産めなかったと錯覚しており、腹が膨れているのは胎児がいるのではなく、想像妊娠だと考えている。
つまり山姥の未練を解くには、この錯覚を除くことが必要となる。
一番手っ取り早いのは、産まれた釈迦の生まれ変わりを見せるのが一番だ。けれども、今の山姥に自分の子供が誰であるかを認識できるか怪しい。
山姥の捕食は、腹が減っているのではなく、自分の子供を食することで自分の胎に返す。言うなれば、産みなおしの儀式の一つなのだそうだ。
同時にそれは、対象が誰でも同じであるということであり、目に入った人物が自分の子供か他人なのか、判別していないワケだ。
結論を言えば、山姥に自分の胎の中の子供がいないことを気づかせ、更に自分の子供が産まれていることを教えなくてはならないのだ。
「……難しくないか」
「そうね。悪魔の証明ほどでないにしろ、いない子供をいないと示すのは難題ね。だってどちらにしろ実行するには、言葉も理解しないような山姥と対峙しなくちゃいけない。そんな相手に理解を求めようなんて、猿に言葉を教えるよりも難しいわ」
「ならどうする。戦いを避けて時空のおっさんに会うまで耐えるのか?」
「うーん。不確定要素を前提に行動するのは好きじゃないのだけどね」
啓太と亜子が頭を悩ましていると、発案したのは亜子だった。
「もしかして、子供の写真があるんじゃないっすか?」
「子供? ああ、釈迦の生まれ変わりのことね」
「教祖が宣伝に使うつもりだったら、本人の写真を使うはずっす。問題はどこにあるかっすね」
「さっき、亜子が笑いの宿の地図を見つけたじゃない。それを使えば見当がつくわよ」
「あ、そうだったすね」
亜子が笑いの宿の全体像を記した地図を開く。
三人が頭を揃えて地図を見つめていると、千夜子の言う通りその場所はあった。
「ここ、資料室って書いてあるわ」
千夜子が指さした場所は地下の一室。確かに資料室なら、写真の一枚くらいありそうだ。
「そうなると、問題は山姥とすれ違わないと地下に行けないってことだな。どうする?」
「任せなさい。私にいい案があるわ」
千夜子が企みを秘めた怪しい顔で、啓太の方を見ていた。
静かな館内で、急にジリリッと寝起きの頭に煩わしい音が響く。
音量はすさまじく、それは五階から地下まで音が通る。
その音に反応して、山姥が動く。一階から音の鳴る五階まで、イノシシのような猛進で駆け上がった。
そして、ついに音の出所を察知し、五階の一室を蹴り破って入ってきた。
山姥は広いその部屋を、首を回して耳を傾ける。音は、どうやら押し入れの方から聞こえるようだ。
山姥は細長い指を器用に使い、襖を開いた。
「ピンッ」
押し入れの中には誰もいない。その代わりに画面が発光している携帯が一台、置かれていた。
おまけに、その傍には空き缶のようなものが押し入れの中で転がっていた。
山姥が不思議に思って空き缶を拾う。
次の瞬間、白い光と爆音と共に、空き缶は爆裂した。
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