第16話「ロクロクロ、六」
神父の正体がとんでもない異常性愛者と判明したところで、啓太ら三人は方針の決定を余儀なくされた。
つまり、ロクロクロの調伏と浄化。どちらを選ぶかである。
「浄化、成仏は……。まず無理だよな」
「ええ、変態神父を止めるには。心残りである村人達の命か、可愛そうな男子の命を捧げることくらいかしら。どっちも無理な話ね」
千代子は肩をすくめて、他人事のように言う。
「そうっす! 小さな男の子達を殺めるなんて、間違ってるっす。ここはコテンパンにして根性たたき直してやるべきっすよ。それが神父のためにもなるっす」
「神父のために、ね。そこはあまり賛同しかねるな。あのクソ神父に同情する余地なんて欠片もないだろ」
「昔両親に聞いたことがあるっす。歪んだ愛情の持ち主は、正しい愛を受けていなかった証拠だと言ってたっす」
「正しい愛か。確かにこれじゃあ、性癖も歪むわな」
啓太は馬上鞭をポケット越しに触り、神父の過去を想った。
「どうやら啓太には何か分かっているようだけど、情報交換はちゃんとしてよね。いざという時に困るわよ」
「ああ、それは――」
啓太がそこまで言おうとしたところで、立ち寄った礼拝堂にエンジン音が響く。
ロクロクロの出現の合図だ。
「嘘……。近すぎるわ。すぐそこから音が聞こえる」
「分かってる。早く隠れるんだ!」
啓太は声を小さくして、鋭い指示を飛ばす。千代子と亜子はその命令に不満や疑問もなく、すぐさま行動に移した。
啓太が右端の長椅子の陰に隠れ、千代子と亜子が左端の長椅子の陰に身を潜めたとき、そいつは来た。
ロクロクロだ。
「……」
ロクロクロは一言も発することなく、自分自身に巻き付いた包帯と片手に持った日本刀を揺らしながら、教会の正面扉から入ってきた。
姿勢はやや猫背、虚ろな右目はランタンのように揺り動かし。ロクロクロは亡霊のように歩く。
まるで教会の十字架に吸い寄せられるように、ロクロクロは中央の花道を進んでいく。
啓太は長椅子の隙間から千代子達にアイコンタクとジェスチャーで意思を伝える。このままロクロクロにすれ違う形で教会を出ようとの指示だ。
どうやら千代子達に啓太の意思は伝わったらしく、二人とも長椅子の陰に隠れながら正面扉を目指し始めた。
啓太もそれに続いて動きだす。もちろん、ロクロクロの視線に注意しつつ身を屈め、登山用バックがはみ出ぬよう両手で持ちながらだ。
物音は一切出せない。幸い、床に穴は開いているものの、軋むほど柔くはなく。それは平気だった。
啓太は一歩一歩慎重に、身を屈めたまま正面扉に向かう。そうしてやっと、ロクロクロと花道の半分ですれ違おうとしていた。
その時である。
「ヘックチュ」
幼げなクシャミに空気が凍る。当たり前だ。こんな状況でベタな生理現象など失態も失態だ。
ロクロクロは氷像のように動きを止めると、それからゆっくりと首を回し、右方向を見た。
すると、その視線の先に二人の女性がいるではないか。
「……!」
ロクロクロは静かに二人を指差すと、日本刀を持った手を振り上げる。
啓太は、間一髪も入れずに動いた。
バットケースから金属製バットを取り出し、ロクロクロの背後から襲い掛かったのだ。
「こっちだ。クソ神父!」
骨と金属がぶつかり合う鈍重な音とともに、啓太の一撃がロクロクロの後頭部に炸裂する。手応え、ありだ。
だがロクロクロは、怯んだ様子さえ見せない。
ロクロクロは振り向きざまに日本刀を袈裟に払う。それに対し、啓太は後ろに跳んで一閃を躱した。
「動け動け! 逃げるんだ!」
啓太の怒声に、千代子も亜子も走り出す。迎撃の体勢が取れていない以上。ここは逃げの一手だ。
三人は長椅子の外周を回り。啓太を殿(しんがり)として正面玄関を出ていく。
ロクロクロの方はと言うと、急いで追って来てはいない。牛歩の歩みで花道を辿り、啓太達の方へ歩いていた。
「急げ急げ!」
啓太は逃げる駄賃にバイクを蹴り倒す。バイクはかなりの音を立てて倒れたものの、フレームは歪みもしない。
これでは、逃走の時間を稼げそうにない。
啓太ら三人は丘を下り、村の方へと向かう。特に目的地を決めていなかったので、啓太は千代子に話しかけた。
「どこへ行くつもりだ」
「わからないわよ。突然逃げろ、って言うから丘を下ってるだけよ」
「なら、隠れるか。だが、それは間に合いそうにないな」
啓太は後方を確認する。視線の先ではバイクを起こして跨がるロクロクロの姿が見えた。
この距離でバイクと徒歩では、村に着くまでに追いつかれそうだ。
「河原に向かうぞ。そこで迎え撃つ」
「迎え撃つって、どうするつもり? 相手は銃も効かないのよ」
「俺に考えがある。何も策が無いよりはマシだ」
三人は深く考える暇もなく、三好川へ方向を転換した。
「それにしてもこんな状況でクシャミなんて、亜子はよほど太い神経の持ち主だな」
啓太は坂を駆け抜けながら、緊張と罪悪感を解きほぐすつもりで声をかけた。
「え? 私じゃないっすよ」
「はっ? それじゃあ――」
啓太と亜子は千代子の顔を見る。その顔は硬直しながら、紅色に火照っている。
「う、うるさいわね。生理現象よ。生理現象! 止めようが無いじゃない!」
「ふっ、気にするなって。クククッ、馬鹿になんてしてないさ。プッ」
「だったら、笑うなあああ!」
啓太の苦笑と、千代子の絶叫が響く中。ロクロクロとの決戦は間近に迫っていた。
「……」
ロクロクロが心臓の八ビートを刻むエンジンに乗り、河原を一望できる土手の上に到着していた。
その眼前には啓太ら三人が、大きな岩を中心に据え、待ち構えていた。
「来るなら来やがれ、こっちはバイクで走行しにくい石だらけの河原だぞ」
啓太の言う通り、河原は不規則な凹凸を造っている石ころが多い。これではバイクで乗りつけても、思うように動かせない。
「さあ、バイクを捨ててこっちにきなさい。じゃないと、こちらの勝ち目は薄いのよ!」
千代子が情けない発言を強気に吐き出し、中腰でリボルバーを構えていた。
一方亜子はと言うと、プラスチックとゴム製のパチンコに、瞳大の鉄球を挟んで構えている。
「はっけよい! はっけよい!」
「……それは違わないか?」
亜子はともかくとして、そんなあからさまな挑発にロクロクロは応えたようだ。
ロクロクロはバイクから降りると、一歩一歩確実に啓太達に近づいてきた。
「まだだ。まだ……。今!」
三人は足元に置かれていたロープを拾い、同時に引っ張る。
するとロクロクロを中心に、石で隠されていたロープが露となる。
それは円を描き、ロクロクロを追い詰めるように急速度で迫って来る。
「……!」
ロクロクロは突然のことに動きを止める。ただし驚きはしたものの、ロクロクロもたたの唐変木ではない。直ちに奇襲を避けようと反応した。
ロクロクロは足にロープは絡まる前に逃げようと、跳躍したのだ。
だが、遅い。
ワナ結びにされたロープはしっかりと、ロクロクロの両足を捕らえ。その動きを拘束したのだ。
「よしっ! 成功だ」
啓太はロクロクロに走り寄り、千代子は射線を確保する。亜子はロクロクロを逃がさぬように、岩にくくりつけたロープを死守する係だ。
ロクロクロとはいうと、両足を束縛されたことでバランスが保てず、両膝を地面につけていた。
そして、ロクロクロは何とかロープから逃れようと、日本刀で縄を切断しにかかる。
「させるかっ!」
啓太は野球打者のように金属製バットを振るう。それに気づいたロクロクロは縄の切断を中止し、啓太の一撃から身を守った。
啓太のバットとロクロクロの日本刀が交錯する。何度か違う機動で二つはぶつかり合うも、リーチは日本刀の方が長く、啓太はロクロクロの懐に入れない。
しかし、それでいい。狙いは始めから日本刀だ。
幾度か二つの金属が擦れあい、衝突し、弾かれる。そのおかげか、日本刀は刃こぼれを起こし、鉄粉が二人の間で舞う。
ただ啓太の目的である、日本刀を叩き折る作戦は成功しない。思った以上に、日本刀は硬い。
「啓太は下がって!」
ラチがあかないと思ったのか。千代子が日本刀のぎりぎり届かない場所に立ち、リボルバーを構える。それを確認した啓太は一歩後退した。
千代子は片目をつぶって引き金を絞り、リボルバーの撃鉄を落とす。
その瞬間、銃口から小さな火花と共に弾丸が射出された。
「……!」
ロクロクロの手の平に指の太さほどの風穴が開く。それにより、日本刀を持つ握りこぶしが緩んだ。
「どっせい!」
啓太は野太い掛け声を出しつつ、バットを横に振るう。バットの一撃を受けた日本刀は、ロクロクロの手からはじき飛ばされて、回転しながら宙を舞った。
「よしっ! 勝ったぞ!」
啓太は止めの一撃とばかりに、ロクロクロの頭部を狙う。けれどもそれは、迂闊な行動だった。
バットの芯がロクロクロの頭部を捉える前に、ロクロクロは腕を振るったのだ。
通常ならバットの方が人間の腕よりも硬く強く、骨を砕いてしまう。ただし相手はロクロクロと呼ばれる怪異だ。
インパクトの瞬間、啓太の腕に激痛が走る。バットがロクロクロの腕に負けて、へしゃげながら横に飛んだのだ。
ロクロクロの腕はというと、折れてはいない。僅かに包帯の一部を破っただけで、ロクロクロ自身に傷一つない。
「ば、化け物め!」
ロクロクロの包帯の隙間から、幾重にも刻まれた切り傷、打撲痕、むち打ちの跡が覗く。まるで啓太の打撃など、数ある負傷の内にも入らぬかのように翳(かざ)されている。
次にロクロクロは、自分を縛り付けているロープを強引に解(ほど)き始めた。
それを啓太達が制止する暇もなく、ロクロクロが解放されたのだ。
「に、逃げろ!」
啓太も千夜子も同時に後ろへ飛び退く。刀がないとはいえ、相手は怪異。何をしでかすか分からない。
ロクロクロはのそりと立ち上がり。両足を肩幅ほどに広げ、しっかり地面を踏みしめた。
「第二ラウンドだ」
ロクロクロは拳を握りながら、初めて言葉を口にした。
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