第17話「ロクロクロ、七」

 三好川の河原の上で、啓太ら三人は時代の怪異であるロクロクロと相対していた。


 三人は仕掛けていた罠を用いることでロクロクロから日本刀を奪うも、ロクロクロを倒す決め手がなく。戦況が優位とは言えなかった。


 対するロクロクロは、それまでの緩慢な動きを止め、突如走り出した。


 向かう先は、啓太の方だ。


「来るなら来い!」


 啓太は怯えることなくファイティングポーズをとり、ロクロクロを迎え入れた。


 ロクロクロは大振りに振りかぶった両腕を交互に振るう。腕は風を切って何度も啓太に迫りくる。ものすごい速度だ。当たれば、ただでは済まない。


 ただし、ロクロクロの攻撃はモーションが大きい上に直線的だ。啓太は左右に身体を逸らしたり、上下に腰を沈めて回避する。


「隙ありっ!」


 逆に啓太はロクロクロの攻撃の合間を縫って渾身のストレートを叩きこむ。場所はわき腹だ。威力は十分、肋骨が骨折してもおかしくはない。


 だが、そう上手くはいかない。肉を叩く感触は、皮膚の裏に鉄骨を仕込んでいるかのように、鈍い。


「痛っ! クソッ、なんて硬さだ」


 啓太は再び距離を取ろうと、後ろに飛び退こうとした。


「あっ」


 啓太は足元の石ころに足を取られてしまった。ここは河原の石ころが多く、ヒットアンドアウェイには適していないのだ。


 啓太は体勢を立て直そうとするも、上からロクロクロの拳が迫っていた。


「うおっ!」


 拳の圧に驚かされた啓太は、そのまま足を滑らせて地面へ背中を投げうった。そのおかげで、ロクロクロの一撃はさっきまで啓太の身体があった場所を通り過ぎていった。


 けれども、次の一撃は避けられない。


「こっちよ、ロクロクロ」


 ロクロクロの身体に二発の銃弾がめり込む。左肩に一発、左脇腹に一発だ。


 効果は薄いようだが、ロクロクロの気が一瞬逸れた。


「わわわわっ」


 啓太はその隙に、情けない声を上げながら両手両足で這って距離をとる。ついでに、身近に落ちていたバットを取り戻して、立ち上がった。


 その間に、ロクロクロは千夜子に近づく。千夜子の方は、牽制に一発撃ちながら後退しようとしていた。


「あらっ?」


 千夜子は後ろに下がる途中、運悪く大きな石を踏んづけてしまう。そのせいで身体が傾き、バランスをとれずに尻餅をついてしまった。


 千夜子が痛みに尻をさすっていると、ロクロクロが間近に迫ってきていた。


 このままでは千夜子が殴り殺されてしまう。そう感じた啓太は、声を張り上げた。


「ロクロクロっ! アンタの秘密をバラしてやる!」


 その言葉に、ロクロクロの動きがピタリと止まる。


「アンタが子供たちに惹かれ、痛めつけたその理由は――」


 ロクロクロの反応が早い。身体を啓太の方向に向けたかと思うと、全速力でこちらに駆けだした。


 ロクロクロは河原の石ころで身体が崩れるのも構わず、すぐさま啓太に肉薄した。


「どうおらああ!」


 啓太は待ち構えていたように、思い切ってバットを振りぬく。


 だがロクロクロは造作もなく啓太のバットを手で受け止める。バチィッ、と鋭い音が周囲に広がり、バットの動きが止まった。


「己の罪を懺悔しろ」


 ロクロクロは啓太の手から、剛力によってバットを奪い、捨て去った。


「こっちだ! ロクロクロ」


 啓太は追いすがるロクロクロの腕を回避して、川の方へ走る。


 ロクロクロもまた、啓太を追って川に向かった。


 啓太は水に浸かりながら、身体を捻ってロクロクロと向き合う。その時、ロクロクロは啓太に追いつき、啓太の首を掴んだ。


「ぐっ!」


 啓太はそのままロクロクロの手によって澄み切った水の中に沈められる。啓太の目に映る水中は、淡い緑色をしていて透明度が高く、澄んでいた。


 啓太は水越しにロクロクロの顔を見た。白い輪郭に火の灯ったような眼球が水面で揺れている。


「第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物の『來れ』と言ふを聞けり」


 ロクロクロは厳かに黙示録の一節を唱える。


 だが啓太の耳には急流の雑音が邪魔をして、その声が届きはしない。


 代わりに啓太は、ロクロクロに向かって嫌みの笑みを捧げた。




 洗礼というのをご存じだろうか。


 それはキリスト教の入信の際に行われる秘跡、浸礼とも受洗とも言われている儀式だ。


 元は新約聖書の、イエス・キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたことを根拠としている。神聖な儀式だ。


 行う方法は様々で、頭部に水を注ぐ灌水、頭部に水を付ける滴礼、そして身体を水に浸す浸水がある。


 まさに今、ロクロクロが啓太にしているようにだ。


 三好川の水の流れが急に変わり、啓太を中心に渦を巻く。


 そして啓太の下、川の水底に黒い小さな穴が出現した。それは影の人を飲み込んだ、じんだい様の出現する円陣であった。


 穴の奥から、細長く白い腕がせりあがる。啓太の背中を避けて、ロクロクロの身体に縋りつき、その身体を押し上げた。


 ロクロクロは新たな脅威に慌てて、啓太から両手を放した。


「ぶっはあ!」


 啓太は水面から顔を出し、大きく息を吸う。縮まっていた肺は胸郭全体に膨らみ、新鮮な空気を全身に行き渡らせた。


「ったく。手間暇かけさせやがって」


 啓太はじんだい様の腕に囚われたロクロクロを見る。


 ロクロクロは、いまだ健在だ。じんだい様の腕の数も大きさも十分ではなく、倒すまでにはいかない。


「洗礼はメジャー過ぎて効果が薄いか。何か他の方法を――」


 良策がないかと、啓太は考えを巡らせる。例え不死身と言われるロクロクロとはいえ、弱点があるはずだ。


 弱点、トラウマ、もしくは苦手なものでもいい。ロクロクロを倒せるヒントがあるはずだ。


 そうして頭を悩ませていると、啓太は自分の臀部にある違和感を思い出した。


「っ! そういや、切り札を忘れていたな」


 啓太は後ろポケットから教会にあった馬上鞭を取り出す。もし元神父であるロクロクロに苦手なものがあるとしたら、これしか思いつかない。


 効果の方は如何程か、啓太にも想定できない。それでも、試す価値はあった。


「ロクロクロっ! こいつを見ろ!」


 馬上鞭が天に向かって振り上げられる。それを見たロクロクロは、右目を更に大きく見開き、明らかに動揺しているのが分かった。


 やはり、これはロクロクロの弱点だ。


 啓太は川の水を掻き分けて、ロクロクロに接近する。


 ロクロクロは逃げようと身体に絡みつくじんだい様の腕を振り払おうとするも、逃げる暇は与えられなかった。


 馬上鞭が左から右に、振り払うようにロクロクロの身体と接触する。


 その途端、ロクロクロに触れて馬上鞭が大きくたわんだかと思うと、ロクロクロの腹部の一部が消失した。


「よっしゃあ!」


 包帯が解け、ロクロクロの腹が削り取られたように露出する。そこには内臓や骨はなく、空の陶器のごとく空虚な空間が広がっていた。


「うおおおおお」


 ロクロクロは泣き声のような絶叫を上げ、やっとじんだい様の腕から逃れて河原に上陸する。


 そのまま、腹を押さえて足取り遅く、バイクの方へ向かい始めた。


 ロクロクロはバイクで逃げるつもりのようだ。


「待つっす。ここは通さないっす!」


 勇敢な亜子がロクロクロとバイクの間に入り、引き延ばしたパチンコのゴムを手放した。


 加速した鉄球がロクロクロ目掛けて飛び、なんとロクロクロの唯一の片目を直撃する。


 ロクロクロは立ち止まり、目を押さえてもがく。それは啓太が後ろからロクロクロに追い付く十分な時間を稼いだ。


「しっ!」


 啓太は馬上鞭を足払いのようにして膝裏を狙う。馬上鞭が触れた瞬間、ロクロクロの膝は薄氷のように砕かれた。


 ロクロクロは身体の支えを失って、地に伏せる。けれどもロクロクロは逃げることを諦めていない。両腕で這いつくばりながらも、バイクに向かおうとしている。


「あの世で子供たちに詫びを続けろ! クソ神父っ!」


 止めの馬上鞭がロクロクロの首に迫る中、ロクロクロは断末魔のように叫ぶ。


「私はただ――」


 啓太の一撃が首を切断し、その勢いでロクロクロの頭が毬のように跳ねる。


 それから河原の上を、頭がてんてんと転び。右目を上にして止まった。


「――愛されたかっただけなのだ」


 ロクロクロは遺言のようにそう言い終えて、動かなくなった。

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