第15話「ロクロクロ、五」

 都市伝説上の怪物、ロクロクロはいた。それも村人を殺して回る殺人鬼として!


 啓太は教会に向かって歩きながら、そんな謎テロップを頭に思い浮かべる。これは視聴率一パーセントを下回りそうな、偏屈な番組だ。


「物思いにふけって、心配事?」


 そんな啓太の思索に割って入ったのは、千夜子だった。


「いや、あのロクロクロをどう退治しようかと、考えていたんだ」


 啓太は妄想の内容を言うのが気恥ずかしくて、別の題名をもっともらしく答えた。


「あら、それは啓太にとって簡単じゃない。いざとなったら胸グサーで、<じんだい様>を呼び出せば解決でしょう」


 千夜子は人任せなのに自信たっぷりに返答する。


 だが、それは誤りだ。


「言っとくけど、その手はもう使えないからな」


「えっ? 何でよ」


「じんだい様を呼び出すには条件があるんだ。一つは対象となる儀式の受け手となること、つまり生贄だったり呪われる相手だったり、祝福される立場であることだ。

 二つ目はもっと重要だ。じんだい様を呼び出すのに、神秘を保った儀式を用いることだ」


「神秘、ね。つまり隠匿性の高い、隠された儀式のことね」


「察しがいいな。簡単に言えば、メジャーよりもマイナーな方がいい。世界的によりも、地域限定な儀式の方がいい。じんだい様は儀式の神秘を喰らうワケだからな。

 そういうワケで、あまりにも人に知られている儀式は効果が薄い。それに、もう一つ注意点がある」


「注意点?」


「ああ、じんだい様は神秘を喰らう。だから一度喰われた儀式は、その神秘力を失うワケだ。

 神秘を奪われた儀式は、再演しても術的素養を失う。それは同様に、じんだい様を呼び出す効力も失っていることになる」


「神秘がない儀式では、じんだい様は何も食べられない。そういうワケね」


「そうだ。そのうえ、じんだい様はさっき言った通り、あまりにも知名度が高い儀式ではほとんど力を発揮しない。好まない、って表現がいいかもな。

 その場合、じんだい様を呼び出せても弱いし、儀式で受けた俺の傷がふさがれない可能性さえある。意味は分かるな」


「胸を刺すわけだから、啓太が死ぬわね」


「そういうことだ。だから前回の手はもう使えない。残念だったな」


 啓太が説明を終えると、千夜子はブスッとした顔で小さく呟いた。


「使えない。役立たず」


「……人を便利な道具か何かだと思うなよ」


 そうこう話している間に、三人は教会の前に到着した。


 教会が建っている場所は、村の賑わいから外れた。山の近くの小高い丘にあった。


 教会の壁は真っ白いペンキで白粉(おしろい)が施され、教会の屋根はトマトソースを垂らしたように赤いのが特徴的だった。


 それは、周りの自然と対照的で、良く映えていた。


 また、教会の裏には墓石が陳列しており、次の来訪者を今か今かと待ち望んでいるかのようであった。


「教会の裏と中、どちらから探そうか?」


「えっ? まさか日記の類が墓に生えていると思っているの? 頭大丈夫?」


「違うって。神父の墓がどうなっているか見ればいいんじゃないか、って話だ」


 ロクロクロの身体が戦前の肉体を基にしているかは定かではない。もしそうであるならば、墓に遺体はないはずだ。ダメ元で確認する価値はある、と啓太は思ったのだ。


「なるほどね。啓太にしては良い発想ね」


「おい。さっきの言葉取り消せよな。取り消せよな!」


 千夜子は啓太の言葉を無視して、墓地に足を向けた。


 啓太は言葉を引っ込めて、亜子と共に千夜子の後を追った。


「あら? もしかして啓太の憶測が当たっているかも」


 柵越しに墓地を見ると、目線の先に地面を大きく穿つ塹壕のようなものがあった。


 そこには墓石もなく、人一人分の大きなあながポッカリと口を開いている。


「リビングデッドか……」


 啓太以外の他二人も、同じ言葉を思い浮かべた。


 リビングデッド、生きた死体、ゾンビ、ウォーカー。言い方は様々あれど、想像できるイメージは同じだ。


「噛まれたら感染するっすか?」


「感染の話はゲームが始まりよ。ブードゥ教起源のゾンビは、もっと魔術的な存在。薬と呪術によって死を偽装したものよ。案外、生き埋めにしたのが、異形としての復活の原因だったりして」


 千夜子は怖いことをさらりと言ってのけた。


「ともかく相手が神父なのは確定のようね。早速、教会を荒らすわよ!」


 まるで物盗りの言動である。言葉は慎んで欲しい、と啓太は思った。


 三人が教会の正面玄関に回ると、教会の扉は開かれていた。ただ、それは開かれているというより、打ち壊されていた。


「中もひどいわね。村人たちの仕業かしら」


 教会の天井にある鉄製のシャンデリアは傾き、今にも落ちてきそうだ。また、床にはいくつもの穴が開いており、床板ごと踏み抜きそうだ。


 そして、教会の奥にあるステンドグラスは誰かに叩き割られて、元の荘厳さは見る影もない。


 ここには髪はいない。そんな嘆きが聞こえてくるような惨状であった。


 三人は祈りの場を探索する。しかし、直ぐに見る者がないことを悟った。


 ここには、書物の類がないのだ。


「奥に行くわよ」


 教会の奥に進むと、細い道の先に個室があった。


 その扉は綺麗で、中も荒らされた形跡はない。


「どうやら礼拝堂を壊すだけで満足したようね。関係ないのに、キリスト様もとんだとばっちりね」


 個室は使われており、おそらく神父の部屋だろう。


 部屋は神父の几帳面な性格を表すかのように、隙がなく、物も少ない。ただし、木製の立派な机が置かれていて、それだけは違和感を感じさせた。


「やけに部屋にそぐわないでかい机だな。仕掛けでもあるのか?」


「もしかしたら、誰かから譲り受けたのかもね」


 啓太は念のため、机の裏や彫刻に仕掛けがないか調査する。だがそれは、無駄のようだ。これは単なる高価な装飾の机だ。


「さて、探すわよ」


 とは言っても、その机に収められている書物は少ない。目当てである神父の日記も、あっさりと見つかってしまった。


「まあ、探すまでもないわな」


「チェッ、つまらない」


 啓太は残念がる千夜子をよそに、日記の最後のページを開いた。




 私は今、私の聖なる行為によって村人たちに軟禁されている。


 村人たちによれば、私の罪は子供たちを殺したことだという。


 だが、それは違う。私は子供たちを救ったのだ。


 子供はこの世で最も清く正しい存在だ。無垢であり無邪気。クソアバズレな女どもや不浄な大人の男どもとは違い、私が唯一触れられる聖なる存在だ。


 だから私は彼らを、天使たちを愛することにした。


 子供たちは私の誘いにすぐ従ってくれた。共に語らい、共に笑い、共に食事をして、楽しい時間を共有した。


 しかしそれも一時の事だった。私が天使と共に寝そべろうとした時、天使は豹変した。悪魔に誘惑され、変心してしまったのだ。


 私は天使を組み伏せ、彼の悪性を取り払おうと努力した。


 私は聖なる鎖で彼を守り、愛の鞭で純情な心を取り戻そうとした。


 最後は私の聖なる体液によって、彼を内側から浄化しようとした。


 けれども、その試みは失敗した。身体の内側から湧き上がる聖なる衝動を解放した瞬間。体内から放出された体液は、空気によって蝕まれ邪悪な汚物に変わった。


 なんということだろう。私の天使は穢れた罪によって侵され、後戻りできぬ身体になってしまった。そう、天使の神性が失われてしまったのだ。


 私は私の慈悲によって、天使を救うほかなかった。甘い抱擁によって彼の首を覆い、私は力を込めた。


 私の洗礼は成功した。天使は邪悪な肉体を捨てて、救われたのだ。


 最初の義彦くんは失敗した。二人目の明弘くんは私を拒絶し、三人目の吉男くんはあろうことか暴力をふるってきた。


 誰も私を受け入れてくれず、唾棄すべき姿になってしまった。こんなにも愛していたのに!


 私は三人を救ってやったのだ。私の父がそうしたように。


 なのに、この仕打ちは何だ! 私の愛を理解できぬ凡人たちに、私を裁く権利などない!


 おお神よ。私に力を授けてください。だらしなく肥え太った奴らに、審判の四騎士を差し向けたように、私に神の御加護を与えたまえ。




 啓太はそっと日記を閉じた。


「何だよ。コレ」


 他の二人も同意見だった。あまりにも独善的で身震いする内容に、しばらく場に沈黙が支配した。


 その固まった空気を打ち破ったのは、亜子の質問だった。


「聖なる体液って、何っすか?」


 啓太も千夜子も、おお、と嗚咽した。神父の言葉ではないけれど、清いままの君でいてほしいと天に願った。


「それはまだ、亜子には早いわ」


「そうなんすか? 二十歳まで禁止なワードなんっすね」


「ええ、その通りよ」


 啓太は亜子の尊さに目がくらみそうになりながら、他に何かないか机の上を探す。


 ほとんどは聖職者らしいっ持ち物ばかりであるが、一つ異質なものを見つけた。


「なんだ? これだけ包装されている」


 啓太は手に取った包みを開ける。中にはこの場にふさわしくない、黒い馬上鞭が入っていた。


「愛の鞭、ね。良いご趣味だこと」


 千夜子は啓太の持つそれの用途を思い、気色悪がり、軽蔑するように睨んだ。いつものへの字の口も相まって、その顔は心底嫌そうに歪んでいた。


 啓太は鞭の革に刷り込まれた乾いた血の跡をを見て、使用される現場を想像してしまう。


 すると、吐き気を催す映像が頭に飛び込んできて、あまりの気持ち悪さにそれを捨てようとした。


「いや、待てよ」


 啓太は日記に書かれていた一文を思い出し、捨てるのを思いとどまった。


 これは、使えるかもしれない。


「早く捨てなさいよ。ソレ」


「ダメだ。これは持っていく」


「はい?」


 啓太は馬上鞭をズボンの後ろポケットにしまい込む。その姿を見た千夜子と亜子は、啓太から距離を置いた。


「汚らわしい」


「よく分からないけど、汚いっす。啓太さん」


 啓太は二人の罵倒に少し傷つきながらも、自分の身の振り方を弁解する。


「うるせえよ。これは必ず切り札になる。だから持っていくだけだよ」


「それが言い訳? 素直に白状すれば、軽蔑するだけにしておくのに」


「だ、か、ら。言いがかりだって言ってるだろ!」


 啓太は全力で特殊な嗜好を否定するも、千夜子と亜子は信じない。啓太が近づこうとしても、更に後ずさりする。


 二人は壁まで追い込まれると、ネズミのように散らばって逃げ出した。


「おい、いい加減にしろよ」


 千夜子と亜子は子供のようにはしゃぎ、駆け回り、鬼ごっこのようなワンシーンが始まった。


 そうして、三人は神父の固執での探索を終えた。

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