第11話「ロクロクロ、一」
X市立大学に入学した上城啓太は困っていた。
入学当初から行方不明者探索研究部、通称行探研の部長である恐神千代子に目を付けられ。その千夜子と共に、偶然にも行方不明者を発見してしまった。
そのおかげか。もう千夜子の中では、啓太は行探研の入部希望者として扱われてしまっている。
千夜子は啓太の勧誘に積極的だった。一回生の大講堂前に張り付くのは当然として、選択科目による移動まで把握し、ついにはトイレの前まで尾行するしつこさであった。
しかも千夜子の誘いは直接的な話し合いだけにとどまらない。大講堂の啓太の席に入学届を行探研の名義で置いたり、周りの人間へ啓太が行探研に入部を決めたと吹聴したり、ありとあらゆる裏工作をしてきた。
そのうえ、あろうことか千夜子は上城家の両親とも会い、行探研の入部を両親に推す、という行為まで行ってきたのである。
上城家の両親も千夜子を気味悪がればいいのに、人が良い。千夜子の話術と粗品を大層気に入ったらしく、一度入部してみてはどうだと啓太に相談するまでとなっていた。
啓太は千夜子の度重なる追跡と勧誘から逃げた。そのためサークル選びもままならず、バイト選びも手に付かない状態となってしまった。
これではいけない。と感じた啓太は、千夜子の誘いをキッパリと断るべく。千夜子の本拠地、部室棟の行方不明者探索研究部の扉を叩いた。
「恐神千代子! 居るのは分かっているぞ。出てこい!」
啓太は今までの恨みとばかりに、行探研の扉を必要以上に小突く。
しばらくすると、その扉はガタガタと建付けの悪い音を出し、開け放たれたのであった。
「ど、どなたっすか?」
扉の先にいたのは、なんと千夜子と啓太の二人で時空の狭間から救い出した、植田亜子だった。
啓太は亜子の姿について、特に驚きもしなかった。
「亜子、か。結局入部することにしたんだな」
「はい。チョコ先輩からは色々と教えてもらってるす。今度、時空の狭間に行ったときは私、大活躍っすからね」
時空の狭間、つまり現実ではない異世界では、人はおらず時代の怪異という存在が徘徊していた。啓太が時代の怪異として会ったのはミズ、そして影の人であるヤヒコという存在だった。
彼らは善意があったり、悪意があったり様々で、啓太は彼らに翻弄された。数日前とはいえ、それは懐かしい思い出のようなものと感じる。
だからと言って、再び時空の狭間に行くことはないだろう。啓太は怪我こそしなかったものの、危ない目に会った。これ以上、好き好んで危険に身を投じる必要はないのだ。
だからこそ亜子にも同様に、この行探研には入って欲しくはなかった。
「義理の両親が行方不明なそうだな。けれども今からでも別の方法があるんじゃないのか?」
「嫌です。私は自分の力で両親を探すっす! もう他人任せは嫌なんっす」
ラーメン屋での話し合いで、亜子は産みの親を亡くしただけではなく。自分を育ててくれた義理の両親が、一年前このX市で失踪しているというのだ。
それがこのX市立大学に入学した理由でもあり、亜子は元々行方不明者を探すつもりでいたのだ。そこに行方不明者を探す行探研入部の勧誘、これは亜子にとってまさしく渡りに船だったわけだ。
「それにチョコ先輩は、私の命の恩人っす。命の恩人の頼みを、みすみす断るわけにはいかないっす」
「一応言っとくけど千夜子が命の恩人なら、同じ助けをした俺の頼みも聞いてほしかったな」
「それはそれっす。これはこれっす」
なんとも都合の良い価値観である。これには、啓太も苦笑いだった。
啓太は亜子の脇から部室の中を覗く。中には所狭しと本が積まれて、お世辞にも片付いているとはいえない。
そしてどうやら、千夜子はまだ来ていないようだった。
「チョコ先輩は聴き取り調査で遅れるそうっす」
「聴き取り調査? ……分かった。なら、中で待たせてもらうよ」
亜子は特に啓太の入室を妨げず、部屋に通してくれた。
啓太が行探研の部屋に入ると、そこはひたすら本があった。机と椅子もあるが、それらは本に追いやられて真ん中に集められている。唯一の窓側も、本が窓の半分を覆い、残された場所には部長の机と椅子が鎮座していた。
「本だらけだな。恰好だけなら、研究部を名乗っても違和感ないな」
本棚の一段に眼をやると、そこには怪しい革の本や論文をホッチキスでまとめただけのものなど、奇怪な紙の類が展覧されている。
『胎児の夢』『わが日記。思いよらざりしわが旅の記。往きて還りし物語。またその後の出来事』『石碑の民』『キチガイ地獄外道祭文』
どれも啓太には見覚えのない本だった。
「ずいぶんな蔵書だな。誰の持ち物なんだ?」
「チョコ先輩の叔父さんと多々良先生という方の物だそうっす」
「へー、それにしても多いな」
啓太は、どれか値の付きそうな本をくすねてもバレはしないだろうな、という雑念に取り付かれて首を振る。
いかんいかん。ここは現実で時空の狭間ではないのだ。今度こそ、窃盗罪で警察のお世話になってしまう。それだけは、避けねばならない。
「……盗っちゃダメっすよ」
「あんたも言うか。俺は盗りやしないよ!」
啓太が適当な席に座り、腕を組む。それに続くように、亜子も向かいの席に座った。
「そもそも、千夜子の奴。何の目的でこんなサークルに人を集めているんだ?」
「理由の一つは、大学にサークルとして認められるには三人の部員が必要らしいっすよ。チョコ先輩と、私と、啓太さん」
「おい、俺はまだ入部してないぞ。それに入部するつもりもない」
啓太がはっきりと意見表明すると、亜子はしゅんとした。
「啓太さんがいればとても頼りになるって、チョコ先輩も言ってたす。私も、啓太さんが入ってくれれば嬉しいな、って思ってたすよ」
「そうは言われてもなあ……」
啓太が困っていると、ふいに扉が開く。やっと、啓太の目的がやってきたようだ。
「じゃーん。チョコ先輩が帰ってきましたよ! 後輩の亜子君は大人しく待っていられたかな?」
「なーにが亜子君だ。人の弱みに付け込んで無理やり入れたんだろ」
「おろ? 啓太も来てくれたの? これでやっと行探研も三人ね。去年は私と先生だけで、大学から部室を追い出されかねなかったから、安心だわ」
「勝手に決めつけるなよ。千夜子。今日こそは勧誘を止めてもらうぞ」
千夜子は「ふむ」と啓太の言葉に相槌を打った。
「何が不満なワケ?」
「不満も何も、身の安全が保障されないのに研究部に入れるか! 第一、亜子にもし危害があったらどうする。あんたは責任とれるのか?」
「責任と言ってもね。そこはリスクとリターン。個々の目的がある以上、自己責任ね。だけど協力は約束するわ。一人じゃ時空の狭間の探索も限界だと思っていたし」
「なら余計に俺には入る理由がない。俺には時空の狭間でしたいことも探したいものもない。あんたみたいに楽しみたくて行ったんじゃないからな」
「あら、だったら理由があればいいのね」
千夜子は携帯を取り出すと、何やら操作する。啓太に見せたいものがあるようだ。
「バイト探してたんでしょ。良いじゃない。私が雇うわよ」
千夜子の差し出した携帯のディスプレイに数字が浮き出る。
啓太がそれを確認すると、桁が尋常ではない。大手の会社社長の年収数年分、というような数字だ。
「これは投資用にプールしている金額。他にも不動産資産とか、運用している資金、貸金庫に非常用の現金と貴金属もあるわよ」
「ど、どこで稼いだんだよ!」
「高校の時に投資ばかりしていたって言ったじゃない。返済したけど、親のお金を借りてね。おかげで成績は散々だったけど。英語と数学だけはできたから、ここの大学の経済学部に入れたわよ」
「か、金があれば人生勝ち組だと思うなよ!」
「そうね。実際、金があっても使い道は少ないわ。残念ね」
啓太は貧乏人の、千夜子は金持ちの発言をする。急に人間としての差を見せつけられたようで、啓太は気勢を削がれた。
「危険手当って案外少ないのよね。色々考慮に入れて……啓太を雇った場合の年収はこのくらいかしら」
携帯の電卓機能で算出された数字に、啓太は目を丸くする。その数値は、この大学一年分の学費を、五倍にした値だ。
たとえバイトを一年間、汗水流してもこれほどは稼げない。これなら学費どころか、啓太の両親も楽させることができる金額だ。
「啓太も両親に恩返し、したいんじゃない? こんな機会二度とないわよ」
「く、くそっ。人の足元見やがって」
「断るなら別の方法も考えるわよ。啓太の両親の働き先を調べて、株主になって、株主総会で一言喋れば。どうなるかしら」
普通の人間なら、そこまではしないだろう。だが千夜子の経済状況を鑑みれば、不可能だとは否めない。
「私も。強要はできないし。嫌々協力されるのも。私の意向にそぐわないし。どうしたものかしらね?」
「うぐぐぐ」
啓太も強気に拒絶した手前、中々首をうんとは振りにくい。その点は千夜子も理解していたのか、助け舟を出してきた。
「私がこの行方不明者探索研究部を立ち上げたのは、好奇心や人助けのためだけじゃないの。このX市には、私の叔父も行方不明になっているの」
「そ、そうなのか」
「ええ。三年前までは、叔父もこのX市立大学で教鞭をとっていたの。多々良先生と仲良くしていて、昔学生だった時、同じ名前のサークルを作っていた。私にも優しくしてくれて、時空の狭間や怪異についても話してくれた。失踪するまでわね」
「何があったんだ」
「多々良先生によれば、三年前のある日、ある言葉を言い残してフィールドワークに出てしまった。それっきり、連絡もなく手がかりもない。私の父は警察の捜索を待って、すぐに失踪届を出した。自分の弟なのにね」
千夜子は悔しそうに唇を噛む。三年前なら、高校生だ。親に反論できるほど強気に出れなかったのだろう。
「手がかりは多々良先生に残した言葉、それは――」
千夜子は一拍置いて、口にした。
「生まれ変わりに会ってくる。その一言だけよ」
「生まれ変わり、か」
「失踪する三か月前に、叔父は自分の妻を事故で亡くしているの。たぶん、何らかの方法で叔父は自分の妻に会いに行ったんだと思う。
だから叔父を探すためにも、啓太に手伝ってほしいの」
千夜子の一言一言には真剣な面持ちを感じる。本当に、自分の叔父を探したい一心なのだ。もしかしたら、親類としての情だけではなく、別の感情もあるのかもしれない。
啓太は、アメとミズのことを思い出しつつ、自分の返答をした。
「そこまで言うなら、手伝うよ。ただし、契約は書面にしろよ。口約束だけじゃ心配だからな」
「もちろんそうするつもりよ。契約は必ず果たしてよ」
啓太と千夜子は契約成立の握手を交わす。それを亜子は、ニコニコと満面の笑みで眺めていた。
「さて、準備が整ったところで本題いくわよ!」
千夜子は先ほどまでの語調を一蹴して、元気よく発言した。
「近頃発生した女子大生失踪事件、これを調べるわよ」
千夜子は宣言すると、部屋の真ん中にあるテーブルに資料を広げた。
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