第10話「盗まれた村、九」

 時空の狭間から現実に戻ってきた後、啓太達は行方不明になっていた千夜子と亜子の発見を警察に報せることにした。


 警察では簡単な事情聴取が行われ、千夜子は親類に知らせずに旅行へ出かけていたと誤魔化し。千夜子の破れた服については、バックにあった着替えと交換することで事なきを得た。


 千夜子と亜子は念のため、簡単な検診を受けるべく、病院へ搬送されることになった。


 千夜子は自分の腹にある不自然な打撲を警察に知られないため。事情を知るかかりつけの医師を頼ることにした。ついでに亜子も、同じ病院で検査することとなった。


 そして検査の結果、千夜子は腹部の打撲で、亜子は軽度の栄養失調で入院することとなった。


 啓太は二人が入院している間、ミズから手渡された古い手紙を、直接当人のポストに入れることにした。


 そうして時空の狭間での一件から、一週間が経った。


「いいバイト先ないかな……」


 抗議も終わり、人がまばらな大学の講堂内で、啓太はバイト探しの雑誌に目を通していた。


 啓太の家庭はお世辞にもお金持ちではない。それでも両親の願いもあって、啓太は格安で自宅通いのできる大学。つまりX市立大学を受験し、合格し、入学することができていた。


 両親は入学金や学費を心配せずとも良いと言うものの、啓太は知っている。啓太のために父は仕事を増やし、母はパートに通うようになり。啓太は両親に更なる苦労を掛けているのだ。


 だから、少しでも家計を支えるために、啓太もバイトを始める気でいたのだ。


「似合わない思案顔で何しているの。啓太」


 バイト雑誌を眺めていると、正面から声がかかる。それは、忘れようもないソプラノボイスの響きだった。


「こっちの事情だ。ほっといてくれ。ただ退院おめでとう、とは言っておくよ」


「あら、ありがとう。それにしても、バイトね。お金を稼ぎたいなら、いい方法があるわよ」


 啓太は千夜子の提案に少々興味があり、バイト雑誌から目を離して、その整った顔を見た。


「FX、株、投資よ。私は高校時代、それだけを頑張って一財産を築いたわ。やってみなさいよ」


 啓太は再びバイト雑誌に視線を戻した。無理もない、啓太には金融を始める元手がない。それに投資関係はリスクが大きく、素人の啓太でも稼ぐことが難しいことくらい分かっていた。


「スーパーの品出しとか楽そうだな。肉体労働はきつそうだし、コンビニは覚えることが多そうだから向かないか……」


「今なら年率五パーセントで資金を出してもいいわよ。重要なのはリスクマネジメント。難しいことなんてないわよ」


 二人がお金の話でキャッキャッ、ウフフと戯れていると、二人に声を掛けてくる人物がいた。


「啓太さん、それに千夜子さんっすよね」


 口調はともかく、その声色には啓太も千夜子も聞き覚えがあった。


「亜子……か」


 そこにいたのは時空の狭間で行動を共にした亜子がいた。正確には、亜子に憑依したミズに面識があったのだが、ミズはもういない。


「記憶はないけれど、二人に行方不明の自分を見つけてもらったと聞いたんす。この度は迷惑かけたっす」


「……元気になったようで良かったよ。あれから見舞いに行かずにすまなかったな」


「二人に御足労いただくなんて、めっそうもないっす。こちらこそ、すぐにお礼ができずにすみませんでした」


 話し方はともかく、礼儀の正しい女性だ。印象は明るく、ミズだったころの面影はあまり感じない。本当にもう、ミズは逝ってしまったことを再確認した。


「二人には私の産みの親もお世話になってたらしいっすね。こちらも、お礼申し上げるっす」


「産みの親って……まさか、亜子はミズの?」


 千夜子は驚いているようだが、啓太には分かっていた。ミズが何故、亜子の身体を選んだのか。どうして啓太に手紙を託したのか。理解していたからだ。


「自分の下宿のポストに投函されてたんすけど、手紙の中に二人のことが書かれていたんです。生みの親の、ミズは二人に『ありがとう』と伝えて欲しいと書いてありました」


 亜子はそう言いながら、二人に頭を下げた。


「こちらも、ミズには世話になった。お互い様だよ」


「そうね。啓太一人じゃ、命があったかどうかも怪しかったわね」


 啓太は、千夜子の茶々を受け流しつつ、亜子に頭を下げた。


「それにしても二人はミズと、いつ出会ったんすか? どう考えても年齢が――」


「あああっ! いや、それはあれだ。俺が小さい頃に両親が世話になったんだよ。そうだそうだった」


「そうなんすか?」


 亜子はやや疑問視していたものの、啓太の言い分に納得したようだ。


「亜子はその後、どうなの? どこかの養子になったのかしら?」


「はい。今の植田家の両親に育てられて、この通りすくすくと」


「そうなのね。ミズは亜子のことを心底心配していたそうだけど、良かったわ」


「それも、手紙で知りました。ミズはもう亡くなっているそうっすね。一度は会ってみたかったす」


 亜子はそう、寂しそうに視線を落とす。


 啓太はそんな亜子を見て、少し気になっていたことを訊くことにした。


「亜子は、ミズを恨んだりしていないのか?」


 啓太の問いに、亜子は目を丸くした。


「とんでもないっす。感謝こそすれ、恨みなんて一つもないっすよ。私を手放した理由は手紙で知れたし、おとうさんとおかあさんに出会わせてくれたことは私の幸運っす」


 亜子はそうきっぱりと言い、最後に付け加えた。


「できることならミズと会って、『ありがとう』って伝えたかったす」


「……そうか。それなら良かった」


 啓太は安堵した。もし亜子がミズを憎んでいたら、とてもじゃないがいたたまれない。


 けれどもミズの心配をよそに、亜子は幸せそうにしている。それだけで啓太は、胸がすく思いだった。


「さて、ここで私から提案があります」


「なんだ? 藪から棒に」


 突然、啓太と亜子の話に割って入って、千夜子がある提案をしてきた。


「二人とも、行探研に入ってみない?」


 啓太は怪訝な顔で、亜子は不思議そうな顔で、千夜子を見た。


「行探研って何すか?」


「ふふふ、正式名称を行方不明者探索研究部と言い。その崇高な使命はこのX市に住まう人々の安全を守ることなのよ!」


 啓太は呆れた顔で、千夜子の言葉に修正を入れた。


「それは方便で、本当は怪異に興味があるだけじゃねえのか?」


「怪異はついでよ。つ、い、で」


 千夜子の言葉を聞いた亜子は、わなわなと震えている。千夜子の本音に落胆したのだろうか。


「す、凄まじい偉業っすね。千夜子先輩! 私にも手伝わせてください!」


「私のことはチョコ先輩と呼びなさい。偉大な探求者、亜子よ。私達でこの街の行方不明者を一掃するわよ!」


 啓太がしていた頬杖から、顎がストンッ、と落ちる。この亜子という女性、短絡的な思考のようだ。


「よく考えろ! こんな怪しげな女の口車に乗るな!」


「だって良いことじゃないっすか。行方不明者を探し出すボランティアですよね? まず第一歩は、ゴミ拾いからっすね!」


「勘違いしてるじゃない。止めろ止めろ!」


 啓太が盛り上がる千夜子と亜子を制止しようとしていると、ふと思い出したことがあった。


「そうだ。お礼にラーメン屋に連れていく予定だったな。二人とも、まずはそこで話し合おう。結論は、ラーメンを食ってからだ」


「ラーメンっすか!?」


 千夜子はともかく、亜子は良い反応をした。どうやらラーメンは好きなようだ。


「アブラナシヤサイカラメマシニンニクスクナメ、って呪文を一度言ってみたかったんす。連れて行ってください」


「……おい、どこで知ったんだその地獄のメニュー」


「ネットの知り合いが教えてくれたんっす。これさえ覚えて注文すれば、どこのラーメン屋に行っても恥ずかしくないそうです」


「とりあえず、その友人の言うことはもう信じなくていいと思うぞ」


 啓太が忠告しても、亜子は目を輝かせたままで、こちらのことは気にも留めていないようだ。


 三人は、どこのラーメン屋が良いか相談したり、おごりは年配の千夜子と発案の啓太どちらなのかを話したり、上限何円までか決めたりしていた。


「まったく。楽し気な奴だ」


 啓太は、楽しそうに会話に混ざっている亜子を眺めて、心の中で呟く。


「亜子はあんたの望む通りに育ったようだぞ、ミズ」


 啓太は、ここにはいない誰かのために、そう伝えた。




「ところで、おかしな点があるのよね」


「何か変な点があったのか?」


「私が時空の狭間に行くキッカケになった、古い手紙があったじゃない。失くしちゃっただけど、あの手紙の内容、亜子に見せてもらった手紙と同じだったのよ」


「はっ? 俺が届けたのは時空の狭間に行った後だぞ。時系列が違わないか?」


「そうなのよね。亜子の下宿先に手紙を届けた時、変なことはなかった?」


「何もないぞ。人がいない静かな団地のマンションの、一階にあるポストに入れたんだ。部屋番号も間違えてないぞ」


「……誰もいなかったの? それって、ミズと会った時と同じじゃない」


「……。いや、夕方の団地だから普通に人がいなかった可能性もあるからな」


「じゃあ、時間の歪んだあの手紙はどう説明がつくの」


「……俺に訊くなよ」

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