第9話「盗まれた村、八」
「こっちに来るんじゃないわよ!」
千夜子は三人列の最後尾から、影の人に向けてクロスボウの矢を放った。
矢は、影の人の首元に刺さる。しかし、影の人は怯みもしない。普通なら致命傷のはずなのに、そんな理屈は通じないとばかりに、矢を引き抜いた。
「効いてると思ったけど、ダメね。以前は生前の反応をしただけなのかも」
千夜子は背負ったままのカバンに手を突っ込み、中身を探る。けれども、目当てのものが見つからない。
「あっ、閃光手りゅう弾はもう使ってたわ」
千夜子が代わりに取り出したのは爆竹の袋だ。クロスボウを小脇に抱え、爆竹を取り出し、まとめて影の人の地面に向かって投じる。
パンッ、パンッと連続した破裂音が山に響く。だが、影の人は爆竹に見向きもせず、三人を目指して歩み進んでいた。
「ちょっとは驚きなさいよ。百十円が無駄になったじゃない!」
そんな時、三人の足が止まる。千夜子は何事か、と二人に命令を飛ばした。
「もっと奥に行って、追いつかれるわよ」
「ダメだ。ヤヒコの墓が見つかったんだ。掘り出すまで、なんとか耐えてくれ」
「――無理言うわね。上手くいかなかったら、怪異になって呪い殺してあげるわよ!」
千夜子はカバンを下ろし、クロスボウの矢を再装填した。今度の矢は、黒い石のようなものが縛られていた。
「とっておきよ!」
千夜子の矢が、影の人の中心にぶち当たる。すると、今度は影の人が揺らめいた。効果があったようだ。
「黒曜石付きの矢よ! 六つで千九百八十円。お手頃価格よ」
影の人は両手を使い、急いで矢を抜こうとしていた。
その隙に、千夜子は影の人との距離を詰めた。
「黒曜石のダガー、一万三千九百八十円をくらえっ!」
黒曜石が鈍く日の光を反射しながら、影の人の懐を傷つける。
踏み込みが足らず、切傷は浅い。それでも、影の人は痛みを訴えるかのように、膝を付いた。
「これが現代の力、通販の威力よ!」
千夜子は自分の武器を自慢し、勝ち誇った。それが、僅かな隙になってしまった。
影の人は、しゃがみこんだまま片腕を振るい。千夜子の腹を横に一閃した。
「あっ」
千夜子は避ける暇もなく、斬撃をくらう。服は破け、その一部が空中を舞った。
千夜子は自分の膝を地面で汚し、うずくまる。ただし、身体から血は流れていなかった。
「ぼ、防刃シャツ。安物だった、かしら」
影の人は矢を抜き、立ち上がる。それから千夜子に止めの一撃を見舞うために、片腕を大きく振りかぶった。
「させるかあああ!」
影の人が自分の腕を振るう直前、啓太が影の人に向かって身体を投げうった。
あまりの勢いに、影の人の身体は後ろに弾き飛ばされる。ただ、物理的ダメージも痛みもないらしく。影の人は平然と姿勢を元に戻した。
「五月蠅いハエ共だ。ブンブンと鳴きやがる。もう終わりにするぞ」
影の人は、両腕を鞭のように振るい、周りの卒塔婆や藪を巻き込んで切り裂いていく。
「ああ、次が最後だ」
啓太は銀のペーパーナイフをかざした。それには、先ほどと違い、刃の部分に白い塵のようなものが振りまかれている。
それがヤヒコの骨の粉末であることに、影の人は気づいた。
「私を冒涜するとは、どこまでも舐めた連中だ。礼に骨まで刻んでやる」
「いいや、そんな暇は与えない」
啓太はかざしたナイフを逆手に持つ。
次の瞬間、啓太はそのナイフを自分の胸に突き刺した。
「っ! 出てこい<じんだい様>」
ナイフを抜いた啓太の胸から、摘まんだ水道のホースのように、鮮血がまき散らされる。
地面に落ち、染み込む血は止まることを知らない。ついに、失血で意識が遠くなった啓太は土に顔を付ける。
その時、右腕が紅く光ったかと思うと、地面を流れる血が不思議な挙動をし始めた。
啓太の血が、弧を描き、円を作っていく。じうじうと、流血が呼応して、奇妙な鳴き声を上げる。
それは歓喜、それは礼賛、それは招来の儀式だった。
血で描かれた円の内部が、黒く淀む。そこは永遠に続くと思われる闇の穴、その奥から白い物体がせりあがってくる。
「全ての儀式を食い荒らせ、生贄返しの<じんだい様>」
まず最初に、穴から幾数もの白く長い腕が生えてきた。
次に海坊主のような白い頭が覗き。その顔には、瞼を引きちぎったかのような見開かれた目が無数に存在していた。
そして袈裟に斬られたかのような、斜めの口が獲物を見据えて、にやりと笑う。その眼前にいるのは、影の人だ。
「これは、なんだ。どうなっているんだ!」
影の人は、絶叫に似た声で叫ぶ。その悲痛な祈りも、じんだい様には届かない。
無数の腕が触手のように伸び、影の人を捕らえる。影の人は抵抗のため腕を振るい、三本程度は腕を打ち捨てることに成功した。
それも、些細なもがきに過ぎなかった。
じんだい様の腕が、影の人の全身に寄り縋る。ついには影の人は身動きが取れなくなり、動きが止まった。
次の瞬間、影の人の身体が宙に持ち上げられる。どこに運ばれるかと思えば、影の人はじんだい様の顔の前に引き寄せられた。
じんだい様の閉じた口が、花を咲かせるように大きく開かれる。
そこまでして、影の人はやっと自分の運命を悟った。
「お、おのれ。おのれおのれおのれ! 呪ってやる。アメもミズも、その子供も、呪い殺し――」
影の人の声が、こと切れるように遮られた。
じんだい様は自分の腕ごと、影の人にかじりつき。ゴリゴリと口の中で固いものを転がすように、ゆっくりと咀嚼していく。
最後に、喉を大きく鳴らして、口の中のものを容赦なく嚥下した。
じんだい様は、満足そうな顔をすると、潔く黒い穴の中に身体を戻していった。
「終わった、か」
啓太が呟くと同時に、地面を流れていた血が急速に動き出す。
それは時間を巻き戻すかのように、啓太の胸の穴に吸い込まれていく。あたかも、古巣に戻る蟻の大軍のように、ぶちまけられた血が啓太の身体に収められた。
啓太は血が戻ったことを確認すると、立ち上がる。その胸には傷はなく、かさぶただけが残っていた。ただし、服までは元に戻っていなかった。
「ちぇっ、結構気に入ってたのにな」
啓太は服の汚れを落とすと、千夜子と亜子に振り向いた。
そこにいた二人は、啓太を見て、口をあんぐりと開けて呆然としていた。
「驚かしてすまなかったな」
啓太は何事もなかったように、二人に謝った。
「これはまさに、呪詛返しね! 呪詛返しと言えば、陰陽師や祈祷師。まさか啓太は、いえ上城家はそういった家系だったのね。私が聞いていたのは、どこかの孤島で不思議な事件に巻き込まれた程度の情報だったけど、それが原因だったのね。これは増々啓太を行探研に招待しないと、全世界に関わる損害よ。しかも呪いや儀式に理解もあり、判断も早い。こんな逸材はやはり――」
千夜子が早口で何かを喋っている。啓太はそんな千夜子を捨て置いて、ミズに話しかけた。
「残る時代の怪異は、亜子……違ったな。ミズだけだな」
「ええ、そうですね」
ミズは愛おしそうに自分の身体を撫でる。それは母親が子供を撫でるような、そんな動作だった。
「その容姿をしている女性、亜子はどこなんだ?」
「心配ありません。私はこの亜子の身体に憑依しているだけです。私が還れば、そのまま亜子の意識が戻ってきます」
「そうか。色々、世話になったな」
「こちらこそ、二人を利用するような真似をして、すいません」
ミズはぺこりと頭を下げる。その下瞼には相変わらず涙を溜めていて、嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。
「私が逝く前に、これをお願いします」
ミズは紙質の古い手紙を、啓太の手の中に収めた。
「これをお渡しする相手は、分かりますよね」
啓太は手紙の宛先を見て、理解した。ああ、そういうことだったのだ。
「ああ、渡しておく。必ずな」
「あの子には、よろしく言ってください」
ミズは天を仰ぐと、ふっと力が抜けた。
そんな亜子の身体を、啓太は待ち構えていたように受け止めた。
「逝ったようね」
「そうだな」
「それにしても、その能力はどんなものなの? 帰る前に聞いておかないと、お昼寝もできそうにないわ」
啓太は心の中で、なら夜はぐっすり寝ているんだろうな、と思いながら返事をした。
「あれは、祝福の呪いさ。俺の恩人が右腕に埋めた呪具をキッカケに使えるようになった。生贄返しの神様だよ」
「生贄返し、さっきも言ってたわね。文字通り生贄にされることで発動するのかしら」
「大体正しいよ。ただし俺の恩人に言わせれば、儀式の受けてになれば発動する可能性があるらしい。より正確な、適切な手順を踏むほどに、じんだい様の力は強まる。それにしても、俺が最初にじんだい様を呼んだ時よりも、今回ははるかに大きかったな」
「きっとこの時空の狭間が原因ね。ここは怪異を増大させる。現実よりも明らかに、そして形ははっきりと、より強大に表れる。異界の特権ね」
「なるほどな。これからどうする? まだその時空の狭間とやらから抜け出せそうにないんだが」
啓太の言う通り、周りの卒塔婆や山々、藪の景色が変わる様子はない。方法を間違ったのだろうか。
「少し歩けば現実に戻るはずよ。ただ急に電車の走る線路に投げ出されたりしたことあるけど、大丈夫よ」
啓太は不穏な発言に顔を強張らせたものの、藪の道を進む千夜子の後を追った。
もちろん、啓太のその背中には亜子が背負われている。さすがに亜子をそのまま置いていくには、偲びなかったのだ。
三人がそうして藪の中に入ると、そこは来た時よりも奥深く、前方がしなだれた藪に隠されていた。
「こっちでいいのか?」
「大丈夫大丈夫。心配しない」
三人は邪魔な葉っぱを掻き分けて藪の中へ潜り、勘を頼りに進んでいく。
しばらく行くと、背の高い草はいつの間にか樹木の葉に変わり、ついには視界が開けたのであった。
「おい、そこで何をしているっ!」
唐突に、正面から声がかかった。千夜子の背中側から顔を覗かせると、そこには作業服を着た中年の男性がいた。
「わっ、わっ、時空のおっさん!」
「誰がおっさんじゃい! まだまだ俺は四十手前じゃい」
時空のおっさんかと思われた中年の男性は、千夜子の言葉に反応した。おや、怪異ではないのだろうか。
「芝生の中に足を踏み入れるなっ! 若い男女はどうしてこうも礼儀がなってない。事務に言いつけるぞ!」
「す、すいません」
中年の男性は清掃作業員だったらしく、その手には箒が握られている。
他にも周りを見渡すと、啓太にも千夜子にも見慣れた光景が広がっていた。
そこは、三人が所属している大学、X市立大学の構内であった。
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